知り合いが今度シェイクスピア原作の
『ロミオとジュリエット』の英語・日本語同時劇を
するという事を聞いたので
今日は少し
ふ~ん

と思った出来事を。
『禁断の世界残酷史(岡田秀男著、日本文芸社)P51~54』
にこう書いてあった(全文掲載ではありません)。
実はシェイクスピアは読み書きが全く出来ず、
真の作家は他に存在した。
しかし、俳優で美男子、つまりイケメンであったシェイクスピアを
寵愛した当時の権力者、エリザベス1世が真の作家を謀殺し、
その作品をシェイクスピアの物としたのではないか、という説である。
まだシェイクスピアが劇作家でその名を馳せず、
劇場グローブ座の座付き俳優として生活していた1593年5月30日、
詩人であり人気の劇作家、クリストファー・マーローが
ロンドン郊外のデットフォードで食事中に刺殺された。
この殺人事件、捜査当局の懸命の捜査にも拘らず、
結局、迷宮入りとなるも、その数年後
「マーローは女性関係のもつれでシェイクスピアに殺された」
という風説が流れる。
シェイクスピアという俳優は存在し、マーローの死後、
俳優から劇作家へと名を挙げて活躍する事となる。
まるでマーローの代打であるかのように。
この、時間的都合のよさは面白い点である。
まるで、日本の安土桃山時代(戦国時代)、
織田信長を本能寺で討ったとされる
明智光秀が実は生存し、後に日本を掌握する
徳川家康の政策ブレーン、南光坊天海(天海僧正)に
成りすましていたという説みたいである。
まあ、こちらは2人1役ではなく、1人2役なのですが。
(これも時間があったら今度もちっと詳しく書きます)
時代も共通して16世紀末という点も面白い。
さて、テーマを戻しましょう。
実は、この
「シェイクスピア劇作家にあらず」説、まだ理由があります。
まず、
「シェイクスピアは字を知らなかった」という説。
エリザベス朝における作家の自筆原稿は
現在も多数存在しますが、シェイクスピアに限っては
一つも自筆原稿はなく、
シェイクスピアの父も、シェイクスピアの子供達も
教育は施されておらず、名前くらいしかかけなかったそうです。
現代日本と違って教育制度は満遍なく確立されているわけではなく、
父親が教育を受けていないという事は、教育を受けることが可能だった
地位にもいなかったのでは無いでしょうか?
そう考えると、家庭内での教育は考える事も出来ず、
(これは私の想像ですが)仮に本人が作品を書いていた場合、
パトロン、エリザベス1世の尽力で物事を吸収(勉強)し、
書いていたのかもしれません。
その方が夢というか、
ロマンががあって面白いですね、私はヽ( ´ー`)ノ
また、専門家の研究によると、
両者の作品は表現上共通する特徴があるらしいのです。
他にも、「他者のペンネーム」説等、
意外と掘り下げると面白いですね。
_φ(□□ヘ)