終末期のセデーションを考える | アラフィフ主婦の日常

アラフィフ主婦の日常

前立腺癌の父親を1月に見送りました
闘病・介護
その後の事
パート探し
大学生と浪人生の子供の事等、
日常を書いています

転倒が続いた後から腰痛を強く訴え、ベッドのギャッジアップ、オムツ交換等で辛そうな表情で過ごす父親

 

レスキューの使用で少しは落ち着くものの、薬が切れると痛そうで、介護する側は擬かしい気持ちでいました

 

せん妄の症状が強く出現した日、一晩中、父親の横で見守りをしましたが、父親も然り、一睡も出来ませんでした

 

翌朝、姉と交代し、家でウトウト寝ていると、姉から電話があり

「痛み、せん妄で辛い父親を見てられない。穏やかに過ごして欲しい、何かいい手立てが無いか」と、医師に相談したと言うのです

 

在宅療養に入ってから麻薬を使うようなり、レスキューの回数が徐々に増え、また、母親の時の経験から呼吸困難で苦しくなる事に不安を感じていた父親は、以前に主治医と話していました

 

しんどくなってきたら、いつでも点滴で楽に出来ます。ただ、今(その時)は、まだ早いよ」

と、主治医から言われていたのです

 

点滴で鎮静をかける事、それが何を意味するのかという思いが、姉も直ぐに決断が出来なかったようです

 

それは、私の長男と主人がコロナに罹り、体調が優れず、検査で陰性になるまで帰省先から帰って来れない状況にあったからです

 

父親は長男を普段から気にかけ、また、長男も父親の所によく顔を出してくれていました

 

セデーションにより、父親に会えないままの別れになる事を心配し、どうすべきかと私に尋ねてきたのです

 

姉は、私の家族の帰りを待ってからでも遅くなく、セデーションを使わなくても意識レベルが下がる時は来る、希望する場合は私の同意も得る事、当日21時に開始が出来るという説明を主治医から受けたようです

 

切羽詰まった姉の状況と、死期が迫っている事もあり、父親に穏やかに過ごして欲しいという気持ちは私も同じで、姉の思いを尊重すると伝えました

 

ところが、姉は、セデーションを実施する事に踏み切れず、再び医師に相談し、その日は手持ちの薬のベースアップで様子を見る事になったのです

 

その時、私は、薬が効いて穏やかに過ごして欲しいという気持ちと、薬が効く事で、父親の声がもう聞けなくなるなあという思いでいました

 

投薬後、暫くして、次第に穏やかになっていった父親を見た姉は安堵したのですが、そこからは、日単位で急激に意識レベルが低下していきます

 

主人と長男のコロナ陰性が確認出来た日、何とか息のあるうちに私の家族に会って欲しいという願いが通じたのか、ギリギリで主人と長男、次男も父親に会う事が出来ました

 

一生懸命に生きようと呼吸する父親の手を長男と次男が握り、主人も側で見守ってくれ、私も、家族が側にいる事を父親の耳に届くように伝え、ひとまず自宅に戻る事にしました