認知行動療法について興味があるんだみたいな声を頂いて、僕にも書いてほしいと言ってもらえたのですが、何を書いたらいいんでしょうか?
認知行動療法の何について知りたいですか?
こんなことが知りたいーみたいな大雑把な希望でもいいので、もらえると記事を書きやすいのですが・・・
認知行動療法について興味があるんだみたいな声を頂いて、僕にも書いてほしいと言ってもらえたのですが、何を書いたらいいんでしょうか?
認知行動療法の何について知りたいですか?
こんなことが知りたいーみたいな大雑把な希望でもいいので、もらえると記事を書きやすいのですが・・・
前の記事の続きですね。前を読んでない方は前記事を読むことをおすすめします。
なんでそういう食い違いが起きてしまったのかな・・・と僕は考えました。割とすんなり原因(である可能性があること)は思い浮かびました。
それは多数を相手に、講座のような形式を取ってしまったからだと思います。
こういう形になると、いわゆる「先生」と「生徒」のような、教える-教えられるの関係になりやすく、上下関係(二者関係)を築きやすいです。
今までは、1人1人、あるいは少人数を相手にしてたから、その人それぞれの話も聞けただろうし、そのケースケースに対する答えが出せてたんだと思います。相談に来た人も話を聞いてもらえた感もあるだろうし。
それを多数を相手にしてしまうと、「こういう場合はこうしてください」とかそういうマニュアルみたいな講座になってしまうんじゃないかなぁ・・・と思うんですよ。でも、「嫁と姑の関係」っていうのはどれ1つとして同じものなんてないし、マニュアル化するのはムリがあったんじゃないかなと思います。
男性の置かれてる状況と、マニュアルの設定が違うのに、「こうしてください」と言われたから、「命令」に感じたのかなぁ・・・と僕は思いました。もちろんカウンセラーがどんなふうに接してたかなんてわからないんですけどね。他に原因があるかもしれないし。
この話を聞いて、僕は、いくら要望があったとはいえ、適切なカウンセリングが施せないような状況は作るべきではないと思いました。そこはきっちりしておくべきだと思います。
嫁と姑の関係をどうにかしたい!っていうのはカウンセリングの範疇だとも思います。
僕とそのカウンセラーさんのスタイルも違うんだと思いますが、僕ならもっと違うアプローチをするかなぁ・・・と思いました。
まあ、それがうまくいくかどうかは別問題なんですけれどもね。
批判なら誰でも出来ると思うので、建設的な意見を考えたいのですが、いかんせん友達から聞いた話&友達の記憶もあいまいでしたので、ちょっと難しいなぁ。
なんか独り言のような記事ですね。認知行動療法について早く書いてよって感じでしょうかね。申し訳ない。
時間をしっかり取って書きたいと思ってるんですが、その時間が今日はなかったのです。近々書きたいと思ってます。
それでは皆様おやすみなさい。よい夢を。
まず最初に。
ゆいさん、コメントへの返信が遅れててすみません。8日中には返したいと思っていますので、良かったら目を通してくださいね。
さて、さっき友達とファミレスにいて、ちょっと話を聞いたんです。7日のニュースなのかもうちょっと前なのかわからないんですけど、「嫁と姑の関係」について、ある人(たぶんカウンセラーなのかなぁ?ここがあいまい)が相談を受けたみたいなんですね。
で、それがクライエント(相談者)にとって、すごい良かったみたいで、それが口コミ式で徐々に広がっていったみたいです。話せてすっきりした、関係が少し良くなってきた、などなど、いい感じだったみたいです。その評判もまた広がったわけです。
そうすると、最初の人数よりも多くの人を対象にやってほしいという要望があったみたいで、それに答えたみたいです。そんな中、参加していた男性が、そのカウンセラー?に対して質問という形で、「それは命令なんですか?」と聞いて、部屋を出ていってしまったらしいです。
そのカウンセラー?が何て答えたかは知りません。友達が言うには、「そういう反応を想定していなかったみたい」とか言ってたので、答えに詰まってしまったのかなぁ・・・と僕は推測してます。
もちろん、カウンセラーさんは「命令」なんてつもりはなかったと思います。しかし、その言葉を受け取った男性が「命令」だと感じたのなら、それは命令になってしまうんですね。
なんでこんなことが起こったのかなぁ・・・と僕は考えました。
・・・と、長くなってきたので、分けましょうか。とりあえずこの記事はここまでで。
「ゲシュタルトの祈り」と対になって、本で紹介されてたよ!とまいまいさんが教えてくれたので、記事として皆さんにも伝えたいと思います。
過去と他人は変えられない
未来と自分は変えられる
神様、私にお与え下さい
変えられるものを変え
変えられないものを受け入れる勇気を
そして、変えられるものと、変えられないものを見分ける賢さを
「他人と過去は変えられない」というのは、交流分析という分野でよく言われることですね。ある人との関係を変化させたいのなら、自分が変わっていこう。そうすれば関係も変わってくる。みたいなニュアンスです。
そうなんですね、自分は変えられるんです。変えたいと思いさえすれば。
信じれば叶うみたいなことを言いたいわけではなくて、まず変化の第一歩は「変えたい、変わりたい」という気持ちだということです。この気持ちがあれば、変えられると思います。もちろん、努力が必要ですけれどね。
何にもしないで望むがままに変えられるなんて、魔法みたいなものは、僕は怖いと思います。
まいまいさん、ありがとうございました。
私は私のために生き、
あなたはあなたのために生きている。
私がこの世にあるのは、
あなたの期待に応えるためではない。
あなたがこの世にあるのも、
私の期待に応えるためではない。
あなたはあなた、私は私。
たまたま心が通じ合えば、それはすばらしい。
通じ合わなければ、それはそれでしかたがない。
さっき、認知行動療法のことをちょっと話しておきながら、今はゲシュタルト療法というものを少し読んでました。
ゲシュタルトを本格的にやり出すのはまだ先だけど、ちょっと気になったからね。
その中にあった、「ゲシュタルトの祈り」と言われる、詩?のようなものです。
当たり前のことかもしれないけど、なんか心が洗われたような気がしたので掲載。結構面白い療法だと思います。