2024年8月の塔分補給(1) | すとれいと・びるど/ver.2a

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snowwind-b3の、プラモな日々。ヤフブロから引っ越してきました。
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8月頭の#塔分補給。


郊外の神社で、巳待塔。
なぜか隣町の町史(村だったかも?)に記載されていたのは、この村がかつて隣町を含めた「組」に属していた(現在の行政区画と異なっている)からだろう。
宝暦年間というと決して珍しくはないけれど、今から2四半世紀も前と思えば改めてすごいなと思ってしまう。
この神社には火袋の窓の形が珍しい灯籠があって目を引いた。
いやこれも十分注意していれば珍しいものではないのかもしれないけれど、十字の形はキリシタン関係だとすると説もあって、気にし出すとヌマリそうで、怖いwww。「創立年が『年』でなく『天』なのも、キリシタン関係」という話もあって、こちらの石塔類でも時々目にする。この灯籠については風化で読みづらい状態で、未確認となってしまった。(いや、「天」の調査はしないぞwww)

この神社の近くの村で、民家の敷地内に庚申塔と湯殿山塔があったのを確認していた(2024年6月の3参照)ので、意を決して撮影の許可をいただきに訪問。



文化年間の庚申塔と、文政年間の湯殿山等を正式にゲット。
湯殿山塔は、村で建てたものとなっているが、庚申塔については定かでないという。

会津盆地の南端、大川(阿賀川)沿いの街道筋は、川から離れた東側の山の縁をたどっていそうな気がするので、山裾の農道となっているようなところを丹念に辿るともう少し何か出てきそうな気もするのだが、他所モンが藪漕ぎしてる図はいかにも不審者っぽいしヘビや毛虫がキライなのでそこまではしないけど。


翌朝、その大川の西側の土手沿いをお散歩。
てーと、土手の上から石塔がいくつか並んでいるのが見えたのでちょいと下りてみると、
小さな祠の両側に湯殿山塔2基と、水神様(一番奥)。車で移動していたら絶対に見えない場所だった。
この近くには厩山が数基並んだ場所もあって、村はずれのこのあたりにはかつてお寺か神社があったのかもしれないが、会津風土記には詳しい記述が見当たらない。
この日確認した湯殿山塔は文化・文久年間のものだが、それよりも140年ほど前の寛文年間に会津全域で水害が続いた時期があり、このあたりも氾濫や堤防決壊の被害が出ていたようなので、新編会津風土記が編纂されていた享和〜文化年間までの間はとのような状況になっていたのか。この村の少し北側の神社はその間の天和年間に流失して戦前にようやく再建されていると言うし、この村の周囲に寺社が見当たらないのは過去の災害を反映しての事なのかもしれない。


今回の収穫
 庚申塔 1件
 巳待塔 1件
 出羽三山塔 3件
 道標 2件