すとれいと・びるど/ver.2a

すとれいと・びるど/ver.2a

snowwind-b3の、プラモな日々。ヤフブロから引っ越してきました。
のんびり、のんびり。ひたすら素組Only。塗装・スミ入れ気が向いたらね。

1/500アイアンギアー級。


結局、磁石を仕込みました。
2ミリの厚さがあり、台座に収まらないので、中をくり抜いた0.5ミリを貼ったあと0.3ミリで蓋をしました。



今度は、前脚。
脚の間隔からすると、台座はこのあたりに来るべきなんだろうけど

磁石を仕込むスペースとしては、ここだよなぁ。
つま先との間に磁石を仕込んだ箱を置いてもいいんだけど、工作が面倒なんで、そのアイディアは却下。


磁石が自由に動ける程度の位置に角材貼って、
端材で蓋。
両端にL字材を貼って、磁石を封入。
プラ2ミリを挟んでの吸着板では、いまいち安定感がない(別にガッチリ固定する必要はないんだけど)ので、ここもやはり磁石投入かな。
・・・どーでもいい工作が続きます(笑)

8月頭の#塔分補給。


郊外の神社で、巳待塔。
なぜか隣町の町史(村だったかも?)に記載されていたのは、この村がかつて隣町を含めた「組」に属していた(現在の行政区画と異なっている)からだろう。
宝暦年間というと決して珍しくはないけれど、今から2四半世紀も前と思えば改めてすごいなと思ってしまう。
この神社には火袋の窓の形が珍しい灯籠があって目を引いた。
いやこれも十分注意していれば珍しいものではないのかもしれないけれど、十字の形はキリシタン関係だとすると説もあって、気にし出すとヌマリそうで、怖いwww。「創立年が『年』でなく『天』なのも、キリシタン関係」という話もあって、こちらの石塔類でも時々目にする。この灯籠については風化で読みづらい状態で、未確認となってしまった。(いや、「天」の調査はしないぞwww)

この神社の近くの村で、民家の敷地内に庚申塔と湯殿山塔があったのを確認していた(2024年6月の3参照)ので、意を決して撮影の許可をいただきに訪問。



文化年間の庚申塔と、文政年間の湯殿山等を正式にゲット。
湯殿山塔は、村で建てたものとなっているが、庚申塔については定かでないという。

会津盆地の南端、大川(阿賀川)沿いの街道筋は、川から離れた東側の山の縁をたどっていそうな気がするので、山裾の農道となっているようなところを丹念に辿るともう少し何か出てきそうな気もするのだが、他所モンが藪漕ぎしてる図はいかにも不審者っぽいしヘビや毛虫がキライなのでそこまではしないけど。


翌朝、その大川の西側の土手沿いをお散歩。
てーと、土手の上から石塔がいくつか並んでいるのが見えたのでちょいと下りてみると、
小さな祠の両側に湯殿山塔2基と、水神様(一番奥)。車で移動していたら絶対に見えない場所だった。
この近くには厩山が数基並んだ場所もあって、村はずれのこのあたりにはかつてお寺か神社があったのかもしれないが、会津風土記には詳しい記述が見当たらない。
この日確認した湯殿山塔は文化・文久年間のものだが、それよりも140年ほど前の寛文年間に会津全域で水害が続いた時期があり、このあたりも氾濫や堤防決壊の被害が出ていたようなので、新編会津風土記が編纂されていた享和〜文化年間までの間はとのような状況になっていたのか。この村の少し北側の神社はその間の天和年間に流失して戦前にようやく再建されていると言うし、この村の周囲に寺社が見当たらないのは過去の災害を反映しての事なのかもしれない。


今回の収穫
 庚申塔 1件
 巳待塔 1件
 出羽三山塔 3件
 道標 2件
1/500アイアンギアー級。

アイアンギアーをいじり始めた頃、台座と艦底を磁石で固定しようとしてちょっと仕込んでいたんですが、
台座の中央に仕込んだので全然役に立っていない事実に気付いてませんでした(爆)

「それでは」と、磁石の吸着板とやらを調達して仕切り直し。
ふくらはぎブロックの艦底形状では、ちょっと心許ない。
磁石で挟み込むほうが良さそうです。

向こう脛ブロックは艦底が平面なので、磁石と吸着板の組み合わせで問題なさそうてす。
角型では左右に並べて置けないので、丸型の方を使うようになるでしょう。


往きつ戻りつ、今宵はアイアンギアー級。

エンジンポッドの後ハメ加工を目論んでます。


0.3ミリ2枚貼り合わせてちょうどいい厚さかな、と。

で、この板をどちらに差し込むか。


ポッド側を鞘として、
脚側から差し込むようにします。
おっけーOK
あとは、筒状に仕上げるだけです。
思っていたよりも早く、形にできました。






どうせ雨だろうと踏んでいた最後の日曜日。意外にも晴れていたので朝のジョギング、1時間少々。

いや、半分は歩いてたけどwww

湯殿山塔2基



午後も晴れていたので

今度はお散歩1時間少々。

民家の敷地内の鳥居の奥に
ちっこい庚申さま。
「天津祖/日光山」・・・。
この辺りじゃ初めて見る銘だなぁ・・・

隣の石祠が、そちらの分社?ってことなんだろうか。


そこから5分ほどの神社に
宇賀神さま銘の石塔。
弁財天同様に川や水なんかの神様よね、くらいしか知らない。

側面を見ると
おー、「巳待講中」による造立。
なので、巳待供養の石塔として大丈夫、と先輩からのご指南を受けて、そのように報告。



この日の収穫
 庚申塔 1件
 巳待塔 1件
 出羽三山塔 2件。