古事記とサンスクリット | BLACK VELVETS

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おそらく早い時期から仏僧はサンスクリット語を身近にしていたと察しられる。法隆寺には八世紀後半のサンスクリット語の『般若心経』が保存されている。世界で最も古いものの一つであるという。

古事記編纂のとき、安萬侶が「ミトノマグハヒ」という言葉を漢字にあてはめることなく、表音文字で「美斗能麻具波比(此七字以音)」と書き表したのは、彼の序文にあるごとく、古語を漢字にしたのでは「詞心に逮ばず、全く音をもちて連ねた」のである。この「ミトノマグハヒ」はそのままの音読みで明確な内容を意味した言葉であったに違いない。

安萬侶はこの七つの音を意味のある漢字で表記してまとまつた一つの概念を伝えることを避けた。それは、当時この概念が、すでに七音の語句として朝廷関係者の間で慣用されていたことを意味している。

恐らくはこの七字の音で表す言葉が稗田阿禮の諳じた言葉、サンスクリット語であろう、と私は直感した。「ミトノマグハヒ」はサンスクリット語の語感とリズムをもつていた。古代の特殊な宗教用語、あるいは儀式用語ではないか。いわば雅語であって、特殊な階層の人が用いた非日常語ではないか、と私は思った。

安萬侶は上に述ベたように「詞心に逮ばず、全く音をもちて連ねた」のである。この七字の言葉が「性交」を意味することは察知しながらも、古語のもつ趣を温存しようとして、表音文字で記したのである。

私はほとんど反射的に「ミトノマグハヒ」を梵英辞典で調べた。この辞書は編者の名前をとってモ二エ·ウィリアムスの辞書と呼ばれている。総語数一八万語に及ぶこの辞典の編纂は一二年が費やされた。ドイツで出版されていた大梵独辞典を種本にしても、それでも編纂に一二年かかった辞典である。

サンスクリット語の辞書は、「アイウエオ」順になつている。現代日本語と違ってサンスクリット語は母音が多いが、配列はアルファベット順ではなく、ほほ「アイウェオ」順である。逆に言えば、日本語の「アイウエオ」はサンスクリット語に通じた留学僧によって作られたとされている。

そういうわけで「ミトノマグハヒ」を梵英辞典で調べた私は、息をのんだ。そこには、和訳すると、次のように記されていたのである。

mithuma(ペアの。一対を成した。女と男のペア。ペアを成すこと。性交)
makha(楽しい。快活な。祭り。快楽や祝いのある機会《場合》。供犠)
すなわち、「ミトノマクハヒ」は mithuna と mnakha とからできた合成語 mithunomakhab(ミトゥノマカヒ)で、「男女のペアの快楽行事(あるいは供犠)」、「性交の祭り」を意味している。またmakha は「共同で捧げる供犠に基づく関係」である。この場合、「男と女が共同で行う供犠行為」であろうか。

このように考え、私は『古事記』の中の語句がサンスクリット語である可能性について、ほかの語句についても見直してみる必要があると思った。

もう一つ例をあげると、たとえばイザナキ神は黄泉の国から帰還したとき天照大御神に高天が原、月読みことをすくにすさのおのみこと命に夜の食国、須佐之男命に海原を支配させることに決める。ところが須佐之男命は海原を支配しないでかたすく泣いてばかりいる。

イザナキ神がそのわけを問うと、「母の国である根の堅州国」に行きたいと言う。「根」についてはあとで考えることにして、倉野はこの「堅州国」を「片隅の国」と解している。「カタス」であるから「カタスミ」であろうという解釈である。この解釈は実は本居宣長の『古事記伝』の受け壳りである。かたすみぐに宣長は「堅州国は片隅国の意なり、そは横の隅にはあらで、豎の片隅にて、下つ底の方を言うなり」と書いている。

それにしても、「カタス」(堅州)を「カタスミ」(片隅)とするのもこ匕つけのような気がする。それに、黄泉の国の母のもとへ行きたいとしても、なぜ「黄泉の国の片隅」でなければならないのか。単に「黄泉の国に行きたい」でいいような気がする。「片隅」という解釈は、あまりに現代的ではないのか。「カタス」とは片隅ではなく、死者が葬られた場所、すなわち墓場、死者の国ではないのか、と私は感じた。

そこでモニエ·ウィリアムスの辞書を引いて調べてみると、「カタス」はKatasi 「カタシー」で、「墓場」(a cemetery)であることが分かった。すなわち、「カタスクニ」は須佐之男命の母イザナミ女神が「埋葬された国」、すなわち黄泉の国のことであった。

このような疑問が、『古事記』を読んでいるといろいろと浮かんでくる。

「古事記の真実 神代編の梵語解」 二宮 睦雄著
より引用