スピリチュアルとは関係なく、自分自身の事について
考えていたんですけど。
結局の所、私自身が、寂しさの中にいるということが
わかっただけでした。
誰かに依存しているわけでも、誰かを批判しているわけでもなく、
自分のやるべきことがないわけでもなく、
誰かに必要とされているわけでもなく、
誰かの為に何かしてあげようというおせっかいな気持ちがあるわけでもなく、
ただただ、心が寂しいんだと思う。
なぜ寂しいのかは自分自身が一番わかっていて、
ただ、それをどこにも持って行けないことが寂しいのだということも。
寂しさを寂しいと感じなくなる所まで、
1人の時間を充実させればいいのだろうけれど。
その為の、時間も気分転換をする自由なお金も
何も今は無く、子供中心の生活で。
でも、その子供達からは、保護者なんだからやって当然な言動をされて
とても虚しいのだろう。
本当は、5万円くらい持って、ふらっとどこか誰も知らない所に
失踪の旅にでも出てしまえば、心は軽くなるのかもしれないけど。
家族の重荷や保護責任者の義務やとりあえず3食の家事や炊事や洗濯を
しなくちゃいけない環境と、本当に先々の事を考えると
全く自分自身の為に1円たりとも使えない状況が
私の心を追い詰めているのだと思う。
ナイフが刺さりっぱなしの心の穴をふさぐのはかなりしんどい。
でも、自分でふさがなくてはいけないのだけど
何か別の物で、埋めようとしてもそれはできなくて。
でも、自分は何のためにここにいるのか、
今どうして生きているのかさえわからなくなることがある。
私が一人だったころにも、いつもきっとその想いはあって
それは、私が死ぬまでは、消えてはくれないのだと思う。
言われなくてもわかっている事を、周りに言われて、
ちょっと愛されない自分を思い出してしまっただけかもしれない。
貧乏人だと蔑まれたり、あっち行けと言われたり
ひどい言葉を投げつけられた過去や
自分のすべてをどこかに置いてきてしまったような
私じゃない私・・・。
つかれるな~。いつかはこんな寂しさが、心から消えてなくなるのだろうか。