両親ともに入院した話 | 36歳、これから野菜と暮らします 

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36歳から野菜作りをはじめて旬のとれたてを味わう贅沢を知ったら、シンプルに生きたくなり11年勤めた仕事辞めました。百貨店の販売員から近所の病院受付へ転職5年で、別の病院へ再転職。年収半分幸せ倍増♡43歳独女のささやかな日常のブログです



こんにちは〜


夕暮れの川沿い散歩

気持ちよかったです♪






今日は、先日の続き



両親が入院した話です


まず、父親


友人と昼間から飲んで

公園で倒れ、救急車で運ばれ…


急性アルコール中毒…


もう、おバカすぎる当時66歳

楽しかったようで飲み過ぎたそう


点滴など処置をしていただく間

泣きわめき…

やっとこさ、もう帰っても大丈夫!


と、なった時


父が


動けん!!と



母に私、そして看護師さん

その場に居た全員が


はよ、立って歩け!!

この酔っぱらい!


と、思ったはず


動けん、動けん

と、繰り返す父


なんか様子がおかしい


体がまったく動かない

手も足も

動かせない


先生も慌てた様子で

すぐ大きな病院で検査しましょうと


そのまま、大きな病院へ行き

検査した結果


後縦靱帯骨化症

と、いう難病を持ってることが

発覚


字の通り、後縦靱帯が

骨のように硬くなる

その結果、神経が圧迫されて

麻痺してしまう


そんな爆弾💣を

首に抱えてるとは知らずに

酔っ払って公園で倒れ


首の神経に負荷がかかり


首から下が動かない

と、いう状況に…



...真顔



回復するか、わかりません

回復しても、歩けないかも

車椅子に乗れたらいい方です



...真顔



こうゆう時言葉が出ないですね



口は良く動く父



やってしもた、やってしもた

ごめん、ごめん



と、繰り返し



父も母も、全員涙をこらえて



大丈夫、大丈夫やよ

うん、大丈夫や



と、言い合いました



最初に運ばれた病院に戻り

父の入院生活が始まりました



翌日も仕事お休みいただいてたので

母と入院に必要なものを

用意して病院へ


目と口以外動かない父

傷だらけの顔は

無理して笑ってました


19時すぎに、母と病院を出ると

もう真っ暗でバス停までの

道は暗く、大きな深い溝があり


1人のとき気をつけてね!



と、声をかけてました




次の日の夜、母から電話が入り




ごめん

病院出て、溝に落ちた


肩が折れてるかも、痛い


通りかかった人に引き上げてもらい

病院まで連れてきてもらった



と…



電車に飛び乗り病院に向かいました

1時間半ほどの電車の中で 



もっと安全な道がないか

なんで探さなかったのか

後悔ばかり



病院近くの駅について連絡すると

病院の受付で夜勤の先生が

外科ではないため診れないと帰された


通りかかった看護師さんが近くの

病院を教えてくれたから

タクシーで来て、応急処置してもらった


と、



⁉️



タクシーに乗り

その病院へ向かいました



母の顔をみて一安心

右肩ががっちり固定されてるのが

すぐにわかり痛みが強いようで

しんどそうで見てるのが辛かった



母は父の入院してる病院で

冷たく診れませんとだけ

言われたことにショックを受けていて

服も汚れて、手もだらんとしていたで

あろう姿をみて、他の病院を案内もしない

受付スタッフに腹が立ちました

看護師さんが気づいて

声を掛けてくれてよかった




応急処置してくれた先生が来て


右肩骨折してます

今は応急処置だけしました

明日ボルト入れる手術します

朝9時に来てください



そのまま、1か月半程入院です

 


え?



入院⁉️



こうして、別々の病院で

父親と、母親の入院生活が

はじまりました



つづく




すみません、長くなりました

読んでくださってありがとうございます


六花