呪いという幻想? | 地球に来てよかったな「お多福」のゴキゲン研究録

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スピリチュアル好き、健康オタク、脱ガマン、ワガママとご機嫌に生きることが地球貢献につながるのではと勝手に思っていたり、好き勝手なことを記録をしています。

どうも、おかげさまで元気にさせていただいております。

 

これまでさんざんネタにしてきました前職の爆弾BBAですが、自分でも、もういいかげんにしたいもんだと思いながらもね…。

 

「いつまでも、気が済むまで言っていい」ということにわしはしています。

 

というのも、ツイッターを見ていた時に「いつまでも震災の話をしている」と言われた被災された方(詳細は不明なれど)のツイートをたまたま拝見しまして。

 

東日本大震災が2011年、熊本地震が2016年…。

今2019年ということはそれぞれ8年と3年か…。

 

もうなのか、まだなのか、いつまでもなんてその期間をどう評価するのかは人それぞれでしょうが、わし自身は直接被災したわけでもないし、いまだ復興している最中で軽々しく言うもんじゃないよなと思ったし、そんなことを被災された方に言えるような人がいることにわしは(わしかて口悪いくせに)なぜかびっくりしたのと同時に「気が済むまで言っていい」と思った次第。

 

爆弾BBAと地震を一緒にするのは失礼とは思いつつも、リアルではね、ヒーリングをしてもらったのと社会復帰してバタバタしているのもあって記録する以外に思い出すことはそんなにないのですが。

 

わしのぶろぐを見てくださった方には楽しくなかっただろうとは思いますが、これわしのためにやっているので、まあ…えろうすんませんとしか書けないっす。

 

で、タイトルなこと。

 

その爆弾が火山を噴火させたとき、わしは「わしに怒られるのが嫌なら後はもう、上司なりケアマネさんなりお客さんに怒られるしかないね」と思ったのと、それでも当時一応わし的には上司を交えてきちんと話をしたほうがいいと思ったのですが、わしの所属のオフィスが変わったこともあって以後爆弾とは関わることなくわしは退職したので、今現在爆弾がどうしてるかなんてもはや知ったことではないし、どうでもいいのですが。

 

あるときふとね、あいかわらず元気でやってるんだろーなーって思ったんですよ。

 

というのも、前職の訪問サービス業の場合はサービスの車を出して訪問することが第一優先なので、看護師がどれだけへっぽこでも他の二人のスタッフでフォローできればOKだったし、オフィスに在籍する看護師自体が少ないし(実際わしも爆弾来るまで一人だったし)、冷たい言い方をする年下の先輩(わし)がいなくなったので、好き勝手にやってるんだろーなーと。

 

なので、看護師としてへっぽこの自覚のある方は前職はおススメですよ音譜(って書いちゃったけど、わしの本音は「(前職の)仕事舐めるな」なんですがね。これもそのうちネタにしたいんだけど)

 

そのかわり仕事でわからないことがあっても、聞ける人間も教えてくれる人間もいない(いなくはないけど各オフィス間が車で1時間位離れている)。

 

人がいても自分からは聞けないやつでしたからね~。

 

誰にも聞けない→誰からも教えてもらえない→成長できない。

 

ああ、自分で学ぶ、学習する気持ちと行動があれば別でしょうけど。

 

わしはこの図式が脳内に浮かんだとき、一瞬呪いが発動したか?わしはこいつの学びの機会を奪ったのか?みたいな考えが浮かんじゃったのですが。

 

それが爆弾の選択でもあるし、会社の選択でもあるし、わしの選択なだけですね。

 

わしシータヒーリング習ってたし、そこで「呪い」についても習ったけど。

 

おかげさまで「呪い」というものも幻想の一種というか…自分で引き寄せた、もしくは選択したととらえることができるのかもねぇと思っちゃいましたよ。

 

まあシータでも確か呪いを引き寄せる原因となる思考にワークするみたいなこと習ったような…(オイ)。

 

そんなこんなな脳内アウトプットで失礼いたしました。