人の優しさを必要としていたなんて知らなかった | 地球に来てよかったな「お多福」のゴキゲン研究録

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スピリチュアル好き、健康オタク、脱ガマン、ワガママとご機嫌に生きることが地球貢献につながるのではと勝手に思っていたり、好き勝手なことを記録をしています。

どうも、おかげさまでNew職場で平和に過ごしております。

 

ま、先のことは分らんですが。

 

今のところギスギスした人に出くわすこともなく、ありがたいことです。

 

おかげさまでわからないことも聞きやすいですし、声もかけやすいのでいらぬ気を遣わずに済んで仕事しやすいですね。

 

わし、「仕事に慣れる」といふ日本語が意味不明なところがあるし、大体今までの職場ある程度仕事を覚えて一通り動けるようになるのに3か月くらいかかっていたので、変に緊張しないという意味では最速だと思っています。

 

ま、今のところ、めんどくさいところをベテランさんがすべて担ってくれているのと、人手があって仕事がヒマというのが大きいのですが。

 

そんなこんなでタイトルなこと。

 

周りの人が優しいということがこんなにありがたいことなんて思わなかったし、おかげさまで自分の気をすり減らさずに済んでいる。

 

そんなわけで、わし自身がそんなに人様の優しさを必要としていたとは思わなかった、と。

 

あんなに人嫌い、人間苦手だと思っていたのに。

 

いや、わしだって人に優しくされたいし、優しくしてほしいですよ。

 

でも優しさって、「人に優しくすること」って、義務でもなければ、権利でもないよね。

 

あと、わしにとって優しさって安心感で定義されているということに気づきましたよ。

 

わし怖がりだからね。

 

でもまあ、優しさにもいろんな定義があるのでしょうし、いろんな形があるのでしょうけど。

 

わしの場合は、ほっとする優しさをもらうと嬉しいし、有難いなって思う。

 

だからこそ「優しくしてもらって当然」みたいなのにでくわすと意味不明かつあまのじゃくが作動するところがあって。

 

「~が当然、当たり前」的思考が個人的に好きではないせいだとは思っていたのですが…(大昔ネタにしてましたわ)。

 

 

「そうしたいからする」というその人の意思や選択だよねとやっと言語が降りてきて。

 

わしに優しくしてくれたその人の選択に感謝しかございません(^人^)。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

すみません、以下は毒だしなので見なくていいっす。

まだ爆弾引っ張っているのか的記録ですし汗。なのでせめて小文字にします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

かつて「優しくしてくれないとできるものもできません!」とか「人としてどうかと思います!」とかほざいたBBAに出くわして意味不明だったのだけれど。

 

すみません、もう会うこともないし(会ったら何するかわかりませんしむかっ、お互い?)スピ的には「古いおもちゃでいつまでも遊んでいるようなもの」みたいな表現をされてあまりよろしくないと思われますが、わしが持ち合わせてないもので作られて人間の皮をかぶせてできているような存在だったので格好のネタになっちゃってるんですよねぇ。まあ物理的、社会的に抹消されるよりははるかに優しいよな。

 

うん、ホントなんでお前に優しくしてやらないといけないんだい?

わしお前の(期待を満たす)ために生きてるわけじゃねーし。

お前の期待するような人間でいる義務もないわけだし、何よりわしより知識も技術も経験も若さも(笑)劣るような奴に人でなし呼ばわりされる筋合いって全くないどころか、そっちの人間性がむしろ疑われるし。

 

優しくされないとできない仕事なんかやめてしまえ!!

(ああ、ホントは本人に直で言ってやりたかったよ。わしリアルじゃ口と脳みそが回らないし、ここまで言語化するのに何か月?それにそいつも言われたことを理解できるような脳みそをお持ちでないのはとっくに判明してるし、また火山噴火させるだけだろうけど。もうわし辞めたし、辞める前に会社の偉い人と周辺のオフィス中にそいつのこと触れ回ってやったけど)

 

 

 

って書いちゃったけど、優しくしてもらえるからその仕事を続けられるっていうのはあるよね…。職場の人間関係大事だよね。

 

優しくしたい、続けてほしい、いてほしいって思ってもらえることってすごいことだし、有難いですよ…。