先月リトリートなるものに行きまして。
ま、ちょこちょこネタにはしてますが、そこで受けたセッションが…
超激痛でして。
ご紹介のみでろくすっぽ調べもせず、なんとな~く行ってみたいなで行ってしまった もので…そんな自分に腹立つやら、後悔するやら、帰りたくなるやら …わし痛いの嫌いだから 。
まあいろいろ浮上して大変だった訳です(トリガー言いますが)。
あまりにも出てくるもので、正直今までのクリアリングは一体何だったんだべさとさらに落ち込む始末
事前にわかっていたら行かなかったかもしれませんわ。それくらい痛かった。
恐らく…そんなわしだからこそ、ほとんど何も分かってない状態で行かざるを得なかったんだろーなーと今は思ってますが。
そして、終わってからちょこちょこネタを整理したりしとる訳ですが(ムダにしたい訳ではないので)。
今から記録することもその一つ。
セッションの間にいろいろ話があったりしていたのですが、そこで「痛みに感謝しましょう」という話が出てきたとです。
正直イラっとしましたね。わし痛いの嫌いだし。激痛の最中に感謝できるほど人間できてませんので。
それにわしは看護婦なんで、例えば外来で「痛い痛い!どうにかして~」言って来ている患者にそんなん言ったらどうなるだろ?うわ~絶対逆切れでクレームだわなんて思っちゃいますし
。
とりあえず激痛にのたうちまわっている最中の人間に言わないほうがいいかと(笑)。
ただ…、決して間違ったこと言われているとは思ってません。
もし痛みがなかったら…けがして大流血とかしてもすぐには気付きません。
例えば、糖尿病の症状で末梢神経障害というものがあるのですが、これは足の感覚が鈍くなるので、けがとかすると気付かず大事になって最悪足を切断することになったりすることもあるんです。
なので、そうならないように糖尿病の患者さんはちょこちょこ足を見てお手入れすることを指導されたりするのですが。
痛みって必要な感覚ではあるんです。
「ケアが必要ですよ~」ってお知らせしてくれる大事なものではあるんです。
痛いけど。
で、もし痛みがなかったら?
わしは…
「自分を大切にしないかもしれない」と思いました。
いつの間にかシータの掘り下げしてました。
長文になったので(いつもか)次回。