なんで説教や指摘をするのか?
説教や指摘をしたところでその人がしたことやしなかったことが消える訳じゃないよね…。
「私だったらこうするのに」ということがされていなかったから?
わしは今看護婦だからそれで書くけど、「看護婦ならふつーこうでしょ」みたく「私=看護婦全員」とごっちゃになってることがけっこうあるよね。
看護婦全員が本当にそういう風にすべきことならマニュアルにでも法律にでもすればいいのに。
仕事のやり方ってその人それぞれのスタイルがあると思うんだけど。
正論や理想だけ言えるのってホントいいよね。
「私のやり方が正しい、あなたのやり方は間違っている」
わしは「私が正しい」という思考が好きではない。「正しい人」に追い詰められて正しさを押しつけられてる気がして苦しいから。
「正しい人」は「はいは~い。あなたがすべて正しいで~す。わしが間違ってま~っす。ごめんなさいねぇ~ん」と言って聞かせたところでそこで一体なにを得ているのだろう?
他の人にはできていることができていないから?やっていて当たり前のことができていないから?
私はみんなと同じようにできなければならないんだね…。資格取って経験10年以上だからできて当たり前、できなければならないんだね…。
それって一体誰が決めたんだろう??
私の言う通りになっていなかったから?
私の言うことは100%誰にでも理解されるべきことなのだろうか?
言ったことは言ったとおりにされて当たり前なのだろうか?
私の思いどおりの人間になれということなのだろうか?
わしにはわからない。
なんで説教や指摘をするのか?
本当に次から気を付けて欲しくて言っているのだろうか?
「なんでやってないの?なんでこんなことしてるの?なんで言われたとおりにしないの?」って言われても、わしとしては「じゃあどうすればよかったんですか?どうして欲しかったんですか?」と聞きたい訳。
わしとしては「次からはこういう風にしてください」ってやることを提示してもらえれば「わかりました。次から気を付けます」って言えるんだけど。
ワガママなのかなぁ。