こんばんは。
いつもご覧いただき、ありがとうございます。
今回は私の自己紹介も含めて、ブログを始めた理由をおはなししたいと思います。
私は、人生を終わらせようとしました。
それだけ辛かったからです。
でも今はこうして生きています。
同じように苦しんでいる人に、人生終わらせてほしくない。
その一心で書いています。
乱筆ですが、ありのままを書きます。
●産まれてすぐ
私は、福岡県大牟田市で産まれました。初孫だったので父方の祖父には甘やかされていました。
欲しいおもちゃはなんでも買ってもらえる、食べたいものはなんでも食べさせてもらえる。そんな日々でした。
友達はできましたが、家に遊びに来る友達は私と遊ぶのではなく、最新のおもちゃ目当てで遊びに来るのです。友達がおもちゃで遊んでいる間、台所でジュースを飲みながら、寂しかったことを覚えています。
一緒に遊んでくれるのは女の子の人形遊びでした。この遊びで人形の役の気持ちに入り込み、寂しさを紛らわせていました。
●引っ越し
5歳くらい(うろ覚えです)の頃に父の仕事の関係で神戸へ引っ越してきました。神戸の幼稚園へ通い、小学校へ入学しました。
学校の成績は普通で、友達関係も良く、近所に住む同級生と人形遊び(いわゆるブンドド)をしていました。
●人生の転機、夜中の大声
小学校3年生の時です。母方の祖父が見知らぬ女性を連れてきて、夜~夜中まで、両親と話し合いをしています。時には母が大きな声を出すこともありました。
私は次の日学校です。布団の中で「静かにしてくれ!」と思いながら布団をかぶって耐えていました。時には罵声が聞こえてくる。私にできることは何もありません。
子供ながらに「いい子にするからケンカしないで」と泣くことだけです。
この頃に、自分は無力だ、自分が悪いんだ、と思うようになります。自己肯定感が育たなかったのです。
この頃から常に不安定で、癇癪を起こすようになりました。学校の成績も落ち、勉強どころではありません。いじめも受けるようになりました。
逃げるように、夏休みと冬休みは、九州にいる父方の祖父へ帰省しました。家では言えないワガママも聞いてもらえる。夜中の大声や罵声も聞かなくていい。父方の祖父は、私の心の居場所になっていきました。
●中学、言い訳
小学校5年生で父の仕事の関係で2回、引っ越ししました。転校も2回経験し、友達の作り方、接し方も忘れました。
転校して中学生になっても、いじめられっ子でした。
ある時、何かで父に叱られている時、父に「お前はこうだからダメなんやろうが!」と強く言われました。反射的に「ちがう!」と言い返そうとしたとき、「言い訳するな!」と言われました。
俺が言うことは全部言い訳になるのか。と感じ、閉口しました。父が何を言っても何時間怒鳴っても、絶対に話をしませんでした。
それから38歳までの、長い反抗期が始まりました。笑
●高校
高校では好きなブラスバンド部に入部しました。アルトサックスを担当し、3年生ではドラムメジャーも兼任しました。
●社会人
大学には進みましたが、何のために勉強するのかわからず。2年で中退しました。それから様々なアルバイトをしたり、就職活動をして正社員を目指します。
就職活動は散々でした。
リーマンショックでの人員削減による正社員登用の見直しで、研修期間だった私は、アルバイトとして残るか退職するかどちらか選べと会社から言われ、退職を選びました。
納豆工場の生産ライン管理の仕事では、トイレに行くことができず前立腺炎を患いました。上司に訴えても「トイレに行かないのが悪い」の一点張り。仕事より体が大事です。退職しました。
販売代行の仕事では、急性胃腸炎で入院しました。知らず知らずストレスを溜め込んでいたようです。店長と全く合わず、体を壊してまで続けられないと思い退職しました。
リフォーム営業の建築会社では、上司の横領に巻き込まれそうになり退職しました。入社2か月で上司の横領が発覚し、横領した上司に付いて仕事を教えてもらっていた私も疑われたのです。当然全く知らないので全否定しましが、会社と私の信頼関係が無くなったので退職しました。
上げればきりがないですね。
●祖父の死と自殺未遂
私が配送会社の事務で正社員とした働いていた時に、私を可愛がってくれた父方の祖父が亡くなりました。祖父が危篤なのは12月からわかっており、先が無いのも分かっていました。
1月3日の夜です。
その日は年始で忙しい時期でした。夜20時になっても仕事が終わりませんでした。
一瞬、目の前が静止しました。配送伝票もガシャンガシャン音を立てて印字されていたのに、まったくの無音になったのです。
直感で祖父が亡くなったことを察しました。
間を開けずにオフィスの電話が鳴ります。父からでした。
「じいちゃんが亡くなった。。」
「・・・わかった」
こういう時は言葉が出てきません。
ふとオフィスの出入り口に目がいきました。
人影が一瞬、見えた気がしたのです。
直感で祖父だとわかりました。
「頑張れよ。」
そんな気がします。
次の日、九州へ帰省し葬儀をあげました。
大好きだった競馬新聞と赤鉛筆を入れました。
火葬の時。
火をつけるボタンを押してください、と火葬場の人が言います。親族みんなが私の名前を呼びます。
ボタンの前に立ちます。手が震えて押せるわけありません。
大好きなおじいちゃんが消えちゃう。
母方の祖父が後ろから私の手を取り、押してやらんか。といいます。私が押さなきゃ。と思って押しました。
ボッ!っと火が付いた瞬間、その場に泣き崩れました。
自殺未遂するのはこの半年後です。
それでも私はこうして生きています。