「来る者拒まず、去る者追わず」というのは、自然体となるにはよいスタンスだと思う。

赤ちゃんや子供は大体こんな感じで過ごしている感じがする。


しかし何事も限度と言うものがある、

「来る者を受け入れすぎたり」

「去る者を放っておいたり」

すると逆効果になったりすることもある。


例えば、ストーカーみたいにしつこく迫られたり、

自分ではどうにもならないような人が追い詰められて自殺しようなんてときに放っておいたら、

そのままでは自分が追い詰められてしまうだろう。


子供だって、しつこかったら嫌だと言うし、相手にされなければ泣きだす。

子供なりにそれを表現している。


しかし、大人になるとこれがうまくできなくなることもある。

「来る者拒み、去る者追う」人は、特定な人への依存状態になっている。ストーカーになりかねない。

「来る者拒み、去る者追わず」な人は、孤独状態になっている。何も受け入れられない。

「来る者拒まず、去る者追う」人は、過去を受け入れられない状態になっている。前ばかり見て足元の石でよく転ぶ。


どこかに偏ると、今の自分を生きることができなくなり、自分を見失ってしまう。

だから「来る者拒まず、去る者追わず」で、今の自分を精一杯生きたい。

今回は、感情移入について考えてみる。


■ 感情移入


自分の感情や精神を他の人や自然、芸術作品などに投射することで、それらと自分との融合を感じる意識作用。 - 大辞泉


とある。

簡単に書くと、自分の意識を他人や他のものに移してまるで自分のことのように感じることだろう。


例えば、あの人だったらこういう時はどういう風に行動するだろうか?と考えたり、

言われたことではなくて、言われる前に「この人はこういうことを言いたいんじゃないか?」という考え方をしたりする。


また、TV番組や映画、ゲーム、漫画、小説などで、自分が対象になりきってその人の感情を感じたりする。

ある主人公が苦難に遭遇しているときは自分も苦しく感じ、楽しく笑っている時は自分も楽しく感じる。

これが感情移入だと考える。


感情移入している間は自分ではなく他のものになりきっている。

要するにそれは自分の自然体から離れている状態ともいえる。


そのため、感情移入は対象の感情をそのまま感じると言う点では、

実際に自分も同じように経験したようになりプラスの作用がある。


しかし、それは対象の感情がプラスの方向行くと分かる時だけだ。

中には負の感情もあるわけで、そればかり受け取っていたらおかしくなることは容易に想像できる。

世の中は不満だらけで、そういったものを逐一感じていたのでは身が持たない。


自分がその不満に対して解決できることならば問題はないだろう。

しかし、大抵はその人にしか解決できないことばかりで、解決されないまま別の負の感情を受け取り続けてしまう。


ため込んでも、ストレス発散が出来る人であればそんなに問題にはならない。

でも、負の感情を受け取り続けているにも関わらず発散できない人は、

許容量を超えた時に良くない方向に爆発してしまう。時には病気にさえなる。


自分自身がそういうタイプの人間だからよく分かるが、

自分の許容量を超えると自分では何もできなくなってしまい、行動できなくなる。

受け取りすぎた負の感情が自分を支配し、自然体に戻ることができずリラックスできない。


何事も「過ぎたるは及ばざるがごとし」。

感情移入して他人を助けるのもいいが、感情移入しすぎて自分がおかしくなったら本末転倒だ。


感情移入は必要な時だけにするという心がけも必要かなと感じる。

感情移入もほどほどにということだろうか。

今日は、自分の名前が自分に与える影響を考えてみる。


自分の名前は一生付き合う。

だから、その名前を好きでなかったりすると自分自身を痛めつけることにつながってしまう。


自分自身も、「直人」という名前は好きだったが、「下田」という名字が好きになれなかった。

下という感じがどうもマイナスのイメージを植え付けてしまっていたからだ。


ただ、小さい頃はそんなことはなかった。

よくよく思い出してみると、中学生の時に「下」という悪いイメージを友達に言われてからだった。

それを真に受けて自分自身のイメージを悪い方向に捉えてしまった。


まだ、名字だけだったのでそれほど深刻なところまでいかなかったが、

これが自分の名前だと深刻になってしまうだろう。


自信が持てない人は大抵自分の名前が嫌いだったりする。

イメージ負けやそれは自分ではないと思いこんでいたりする。

それも、過去に友達や周りの人に言われた軽はずみな言動を真に受けて、

自分はダメなんだと思いこんでしまっていることが多い。


自分の名前を嫌いになってしまうと、常に自分自身で自分を痛めつけるような状況になる。

自分で自分の存在を否定してしまうからだ。

それに、名前は他人からも使われるため、呼ばれるたびに自分はダメだと再認識してしまう。


それではいつまで経っても良い方向にはいかない。

悪い方向で捉える事もできるが、良い方向で捉えることもできる。


自分を良い方向で捉える癖をつけたらどうだろうか?

そうすれば、自分の名前を好きになるかもしれない。

ちょっと散歩していたら、なにやら閃いたので今日2回目の記事です。

今回は「過去・現在・未来」について。


人を「過去・現在・未来」で考えてみると、

過去:身に付いたこと・起きたこと

現在:感情

未来:夢・希望・願望

と言う風にみれるだろう。


それぞれ別々に作用しているわけではなく、

「身に付いたこと・起きたこと+感情+夢・希望・願望」として入り混じっているように感じる。

だからこそ人生はなにがなんだかわからず難しく感じてしまう。


この中で自分がコントロールできるのは現在の「感情」だけだろう。

過去の「身に付いたこと・起きたこと」をみていても、それ自体は変わらない。

未来の「夢・希望・願望」をみていても、それが勝手にやってくるわけでもない。


過去というのは「体の変化」で、経験やスキルなどもそれに含まれるだろう。

未来と言うのは「頭の中のイメージ」で、まだ起きていない事。

その中間にいるのが「自分の感情」でこれが一番大切に感じる。


だからといって、現在の感情だけをみていても、うまくいかないだろう。

感情任せで行けば、周りの人とぶつかるのは必至だ。

そこで過去と未来が関連してくる。


過去をみて今の自分が出来ることをしっかり把握する。

そうすることで、必要以上に自分を大きく見せる必要がなくなる。

そして、未来をみて今後はどのように変化させていきたいのかをはっきりさせておく。

そうすることで、周りの人の意見との違いに翻弄されることなく自分の意見を明確にできる。

最終的に、自分の筋道がみえ現在の感情がぶれることなくうまくコントロールできるようになると思う。


過去・現在・未来をそれぞれ別々に考えてしまうとうまくいきにくくなるが、

全てが繋がっていると考えれば、今の自分ができることがはっきりして行動しやすいのではないだろうか?

そしてそれは自然体という観点でいえば力を入れすぎずにマイペースで進んでいける原動力になると思う。

「腹8分目」と言われる。

これは何故なんだろうか自分なりに考えてみた。


例えば、満腹まで食べたとする。そこまで詰め込むことは可能だ。

しかし、その後の消化活動に問題が起こる。

余ったスペースがないので、消火液がうまく機能せず予期せぬ動きが出てきてしまう可能性でてくる。

先に上の方にある食べ物が消化しても、スペースがないので腸の方にうごいていかない。

そのため、いつまでも胃に留まったままになってしまうだろう。

それが腹痛や胃腸の不調につながるのではないだろうか。


他の場合に例えて考えてみる。

エレベーターに人を一杯詰め込んでみよう。

そうすると出る時が大変になる。奥にいる人は入口の方にいる人が先に出なければ出ることができない。

そこで本来なら必要のない余計な力をつかわなければいけないことになる。

8割程度であれば隙間があるのでそこをつかうことで奥に居ても外に出ることは可能だろう。


引き出しや倉庫にしても100%埋めてしまうと、中にあるものを自由に取り出すことができない。

何かを出す時に全部だしてみるといった無駄な時間や力を使うことになる。


呼吸にしても、頭で考える時でも、2割程度の余力を残した方が色々スムーズに事が運ぶと思う。

余ったスペースを利用することで、乱れたものを整えるという大事な力が使えるようになるからだ。

いつも体が全力でいると、この整えることに力が使えない。


外に何かを残すと言うことに対しては100%、あるいは120%の力をかけることがあっても、

自分の体に対しては80%の力が一番上手くいくような気がする。