よく、真面目すぎるとよくないと言う話もあります。
それが何故なのか自分なりに考えてみました。
まず「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、やりすぎはよくないということですね。
それは何かと言うと、手段と目的が入れ替わってしまうことにあると思います。
例えば、遊びをする時に皆で楽しく遊ぶと言う目的があったとします。
そこで皆一緒に遊べる遊びを考えることにします。
しかし、「皆一緒に遊べる遊び」を意識しすぎるあまり、
例え皆一緒に遊ぶことが嫌な人がいても、強引に引き込んで遊ぼうとすることがあります。
それは、皆でやるんだから我慢しろということになりますが、
その人が嫌な思いをするわけですから、皆が楽しく遊ぶという目的は果たされません。
皆一緒に遊ぶという手段に固執しすぎればどんなに頑張っても難しいでしょう。
だから、ここで手段を変えて、グループを分けたりすることで仲間はずれがいないようにするという、
別の方法も考えられるわけです。
しかし、自分はこうやりたいからこうしろという人がいたらそういった別の手段が取れません。
いつの間にか「皆一緒に遊べる遊び」と言う手段が目的になってしまったわけです。
ここで言いたいのは、真面目すぎると手段が目的になりやすくなるということです。
時と場合によっては手段を変えて目的を果たすことも必要だと感じます。
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また、真面目な人はうつ病などの心の病気になりやすいともいいます。
それも何故なんだろうかと考えてみました。
まず、真面目な人は自分がやろうとすることに関して貪欲で完璧主義になりやすいということです。
仕事であれば、仕事を完璧にこなそうという気持ちが強い人が多いわけです。
そのためには時間やお金を使うことを厭わないで、よりよくするためにはどうしたらいいかと考えます。
勤勉と言われるのもそこから来ていると考えられます。
しかし、それが行き過ぎると周りの人にもあれこれ言いたくなるのです。
仕事を完璧にやろうとするのはいいのですが、その仕事を多人数でやる場合もあります。
そうすると、自分よりペースの遅い人が気になって仕方ないのです。
自分はこれだけ頑張っているのにどうしてお前はもっと頑張らないのか?と言う感じにもなります。
はじめからだらけているのであれば問題外ですが、
もしその人がその人なりに一所懸命にやっていたらどうでしょうか?
人それぞれ能力というものが違うので、どうしても能力差というものが生まれます。
それを自分と一緒だろうという考えでいってしまうと、相手は困ってしまいます。
それが行き過ぎると、相手の粗が気になりだします。
それによって他人の揚げ足とりをするようになり、ひどくなると否定ばかりします。
でも、相手はその人なりの考えがあってやっているので、否定されればそれを否定するわけです。
否定が否定を呼ぶのです。こうなりはじめると、お互いが否定合戦に陥ります。
人は否定されると、否定から身を守ろうとして殻に閉じこもるようになると感じます。
だから、いつの間にかやりたいことが自由に出来なくなる状態に陥ります。
否定が自由を奪ってしまい、行動がなかなかできなくなるわけです。
その結果、やりたくても行動できないという悩みや苦しみを生み、
それが長期に渡ると心の病気になるのではないかと考えています。
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ここまで長々と書いてきましたが、これらは自分の経験上感じたことです。
自分も真面目すぎるが故に自分自身で自由を奪っていたのです。
それどころか、無意識に他人を自分の思い通りにコントロールしようとしていたわけです。
どうも、日本では真面目な人が多いが故に、否定が飛び交っているように感じます。
否定が否定を呼び、否定だらけの世の中になってしまっているのでは?と感じます。
その対処として、一人ひとりが一所懸命に生きて、他人を否定しないということが挙げられると思います。
今では、否定しそうになった時は「その否定は本当に必要なのか?」と考えるようにしています。
今の自分にできることから一歩ずつ、それだけでも変化は起こると思います。