人生とは、他人との幸せを最大公約数にし、不幸を最小公倍数にすることなんじゃないかなと。


いきなり数学の用語がでてきたのでわけわからないと思いますが、

ようするに、2つ以上数字があったとき調和のとれるのが公約数と公倍数であるのかなと。


音楽で調和がとれる和音もその位置にあるといいます。

http://www.geocities.jp/kitarou182/music/harm/harm.htm


自然な調和はいたるところに存在して、1/fゆらぎなんかはそれかなと思いますね。

それから外れると調和がとれず不協和音として不快な感覚が出てきていると感じます。


家族や会社がバラバラになっていると不協和音と表現されることもありますが、

全体の調和がとれていないということなんでしょうね。


人が2人いたら、2人の公約数と公倍数を求める。

3人いたら、3人の公約数と公倍数を求める。


数が多くなるほど調和を取るのが大変なのも分かる気がしますが、

面倒でもそれをしていくといつかは調和に辿り着くと思うわけです。

それが嫌であれば、輪からはずれるという選択肢もあるはずです。


そうすればぶつかることなく全体の調和がとれそうなそんな感じがします。

例えば、お金を沢山もっているとか有名だからという理由で近寄ってきて、
金がなくなったり失敗して落ち込んだりするといなくなってしまう人がいます。

自分はそういう人は好きではありませんが、そういう友達がいました。
自分自身」です。

どういうことかというと、上手くいっていた自分、調子が良かった時は自分を信じ、
病気になったり何か周りと違うからといって落ち込んでいた時は本当の自分じゃないと思っていたのです。

これは、まさに良いところだけしかみない嫌な友達と同じようなことをしていたわけです。
自分で嫌だと思っていたことを自分自身にしていました。自分自身が自分の敵だったわけです。

これでは、自分のことを好きになれるわけがありません。
鏡に映った自分をみて、なんてダメなやつなんだろうとまともにみれなかった時期もあります。

でも、本当は良い時も悪い時もどっちも本当の自分だったのです。
そこで、自分の悪いところもそっくりそのまま受け入れることにしました。

等身大の自分をみて、今の自分が出来ることから少しずつ行動するように心がけました。
夢見がちなスーパーマンやシンデレラみたいな考えは捨てました。

そうすることで今の自分には不要なものを捨てられるようになり、身軽になりました。
過去でもなく未来でもなく、今の自分だけをみるようにしただけで、気持ちも軽くなりました。

そして、他人と比べることもやめました。
自分が本当にしたいことがみえなくなってしまうからです。
他人と比べてばかりしていた時は自分が行きたい方向を見失ってどこに行っていいのか分かりませんでした。

そこで、まず自分がしたいことを決めてから目的地に向かうことにしました。
途中で道に迷いそうになったらそこだけ他のものと比べて軌道修正することにしています。
そうすることで、他人の意見に振り回されることもなくなりました。

そうしているうちに、自分自身が自分の味方になったのです。
落ち込んだ時も自分自身を励ますようになりました。
「大丈夫、君なら出来る」と。

周りに流されてしまうと何が何だか分からなくなることもありますが、
自分の自分に対する考え方や見方が変われば、いろんな可能性が広がるなと思った今日この頃です。

よく、真面目すぎるとよくないと言う話もあります。

それが何故なのか自分なりに考えてみました。


まず「過ぎたるは猶及ばざるが如し」で、やりすぎはよくないということですね。

それは何かと言うと、手段と目的が入れ替わってしまうことにあると思います。


例えば、遊びをする時に皆で楽しく遊ぶと言う目的があったとします。

そこで皆一緒に遊べる遊びを考えることにします。


しかし、「皆一緒に遊べる遊び」を意識しすぎるあまり、

例え皆一緒に遊ぶことが嫌な人がいても、強引に引き込んで遊ぼうとすることがあります。


それは、皆でやるんだから我慢しろということになりますが、

その人が嫌な思いをするわけですから、皆が楽しく遊ぶという目的は果たされません。


皆一緒に遊ぶという手段に固執しすぎればどんなに頑張っても難しいでしょう。

だから、ここで手段を変えて、グループを分けたりすることで仲間はずれがいないようにするという、

別の方法も考えられるわけです。


しかし、自分はこうやりたいからこうしろという人がいたらそういった別の手段が取れません。

いつの間にか「皆一緒に遊べる遊び」と言う手段が目的になってしまったわけです。


ここで言いたいのは、真面目すぎると手段が目的になりやすくなるということです。

時と場合によっては手段を変えて目的を果たすことも必要だと感じます。


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また、真面目な人はうつ病などの心の病気になりやすいともいいます。

それも何故なんだろうかと考えてみました。


まず、真面目な人は自分がやろうとすることに関して貪欲で完璧主義になりやすいということです。

仕事であれば、仕事を完璧にこなそうという気持ちが強い人が多いわけです。

そのためには時間やお金を使うことを厭わないで、よりよくするためにはどうしたらいいかと考えます。

勤勉と言われるのもそこから来ていると考えられます。


しかし、それが行き過ぎると周りの人にもあれこれ言いたくなるのです。

仕事を完璧にやろうとするのはいいのですが、その仕事を多人数でやる場合もあります。


そうすると、自分よりペースの遅い人が気になって仕方ないのです。

自分はこれだけ頑張っているのにどうしてお前はもっと頑張らないのか?と言う感じにもなります。


はじめからだらけているのであれば問題外ですが、

もしその人がその人なりに一所懸命にやっていたらどうでしょうか?


人それぞれ能力というものが違うので、どうしても能力差というものが生まれます。

それを自分と一緒だろうという考えでいってしまうと、相手は困ってしまいます。


それが行き過ぎると、相手の粗が気になりだします。

それによって他人の揚げ足とりをするようになり、ひどくなると否定ばかりします。


でも、相手はその人なりの考えがあってやっているので、否定されればそれを否定するわけです。

否定が否定を呼ぶのです。こうなりはじめると、お互いが否定合戦に陥ります。


人は否定されると、否定から身を守ろうとして殻に閉じこもるようになると感じます。

だから、いつの間にかやりたいことが自由に出来なくなる状態に陥ります。


否定が自由を奪ってしまい、行動がなかなかできなくなるわけです。

その結果、やりたくても行動できないという悩みや苦しみを生み、

それが長期に渡ると心の病気になるのではないかと考えています。


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ここまで長々と書いてきましたが、これらは自分の経験上感じたことです。

自分も真面目すぎるが故に自分自身で自由を奪っていたのです。

それどころか、無意識に他人を自分の思い通りにコントロールしようとしていたわけです。


どうも、日本では真面目な人が多いが故に、否定が飛び交っているように感じます。

否定が否定を呼び、否定だらけの世の中になってしまっているのでは?と感じます。


その対処として、一人ひとりが一所懸命に生きて、他人を否定しないということが挙げられると思います。

今では、否定しそうになった時は「その否定は本当に必要なのか?」と考えるようにしています。


今の自分にできることから一歩ずつ、それだけでも変化は起こると思います。

パソコン作業が多いとやっぱり体に負担がかかってくるとかなり感じる。

毎日のケアと適度な運動が必要だなと思うし、やらないとどんどん疲れが蓄積されてくる感じもする。


自分にでてきていた症状として、

・腰痛

・頭痛

・めまい

・肩こり

・胃痛

・すぐにイライラする

・背中、腕、首の筋肉の痛み

・体が硬くなって下を向いたり後ろを振り向いたりしづらくなる

・動悸

・まぶしく感じる

・顎がカクカクする

などなど


多分ここら辺は筋肉の硬直と神経の圧迫、血流障害、骨の歪みなどが色々と重なって体の不調を起こしているのかなと考えている。

その体の状態が悪くなった所に、心理的な負担、天候などの負担、薬や化学製品などの負担などがかかってくると、

耐えられなくて出てくるのが、自律神経失調症やうつ病なんじゃないかなと考えたりする。


そういうことも良く分からずに大学時代から一日中パソコン作業ばかりをして過ごしていたため、

かなり疲れが蓄積されていたのだろうか、治るのが遅い。多分、8年分くらい溜まっているからだろうか。


それでも、少しずつ確実に、筋肉をほぐしたり、東洋医学に頼ったり、カイロや整体にいったりしたら、どんどんよくなってきた。

体は正直で、いままでしてきたことが全部でてくると思う。

だから不調があったなら、何か体に良くない事をしてきたということだろう。

それに気づくことができるかがまず治療への第一歩なのかもしれない。


当たり前のことかもしれないが、

体を動かしたらケアをしてまた使いやすいようにしておき、

運動をすることで予防として不調になりにくい体にしておくことが大切だと感じる。

絵を描く時はどうするだろうか?

色んな方法があると思うが、一般的にはまず白紙の紙を用意すると思う。

既に色んなものが描かれた紙に描いたりはしないだろう。


しかし、人間の場合は何か色んなものが描かれた紙を使うことが多い。

何かと言うと目標や夢がそれにあたる。


人は目標や夢を設定すると、今までの経験などが邪魔をする。

要するに、既に何か描かれた紙の上に別の絵を描こうとしてしまう。

中にはこの状態からでも上手く別の絵を描ける人がいるかもしれないが、

これで自分が思うような絵を描けるかと言うと、難しいと思う。


だったら、白紙から描いた方がいい。

それはどういうことかというと、今までの経験や考えを捨ててしまうことだ。

他人の言葉を使えば「バカになる」ことだ。決断や捨てる覚悟ともいう。


子供は白紙から目標や夢に向かっている。

発想が自由なのは白紙から描いているからだ。

大人もそれをすればいい。


しかし、大人になると既に何か描かれた紙ばかりをつかってしまう。

それが失敗しやすい原因であると考える。


大人になればしなければならない事があると言うかもしれない。

では、今日までの寿命と言われたら何をするだろうか?


多分、自分がやりたいことを優先するだろう。

だったら、「自分がやりたいこと>やらなければいけないこと」になる。


寿命がまだ沢山あると逆転するように見えるが、実はそんなことはない。

交通事故や病気などいつ死ぬか分からないから死は常に隣り合わせだ。

人はいつか必ず死ぬ。今日くるかもしれないし、明日かもしれない。


もし、逆転したとしたら、それはもう人間ではなくてロボットのようなものだと思う。

なぜなら外から与えられた命令にやらなければならないと従っているからだ。


だから、自分がやりたいことをメインにしてからやらなければいけないことに合わせていくのが筋なんじゃないだろうか?

でも、大抵の人はやらなきゃいけない事がメインで、やりたいことはおまけみたいな感じになっている。

人間でありながらロボットのような生活をしていると感じる。

それが生き辛さの原因であると考える。


そこで、まず白紙を用意する。そこにやりたいことを描いてみる。

そこからどんどん描き加えて自分の夢を叶える。

そうすれば、もっと気持ちが軽くなるのではないだろうか?


もちろん、今のままの生活を続けるのも白紙から考えなおすことも選ぶのは自由だ。

重要なのはどちらを選ぼうとも自分で選んだ道ならばそれをやり通す覚悟をするということだろう。