古い技術雑誌を引っ張り出しています。

「人はなぜ信じてしまうのか」について
興味深い記事がありました。



ものごとを冷静に合理的に判断する態度を
クリティカル・シンキングと言い、
生きるために重要なことと言われています。


信じやすい人の心を心理学的に考察すると、

関係のないところにも関係を見つけ出してしまう
という心理メカニズムが働いていて、
人間の心理の面白い点だそうです。


人間は2つのことが同時に起こったら
その間になんらかの因果関係があると
感じてしまうようです。

例えば、
真っ赤に燃えているものに触ったら熱かった。
これは危ない。

暗いところから蛇が出てきた。
ここは危ない。

という具合です。


2つの事象を結びつけることを
「随伴性の認知」と言います。

これが生み出したものがジンクスです。


幽霊や空飛ぶ円盤を、自分の目で見たら
信じないわけにはいかない。

というように、
超自然的なものを信じてしまう大きな要因は
その人の体験です。


逆に信じない人のタイプが2つあります。

合理的な思考なしに頭から否定する人。
 「そんなものあるわけないだろう」
 の一言で済ませてしまい、
 全く何も考えずに信じているタイプです。

クリティカルに疑う懐疑的な人。
 懐疑的な態度を取るのは
 人間の心理にとって不安定な状態なので、
 少数派です。
 深く一生懸命考えてやろうという人なので、
 かなり奇特な人で、よっぽど好きなタイプです。
 (クリティカル・シンカー)

クリティカル・シンキングって、
実は心理的なストレスを伴うのかも知れません。




雨乞いをすると雨が降るという伝承は、
心理学では「相関の錯覚」と言われています。
ちゃんと判断するには、

雨乞いをしたとき
雨乞いをしないとき
雨が降ったとき
雨が降らないとき

の4つの場合を想定して、
分割して考えなければならないのですが、
人間はそれが非常に苦手です。



Aに強く印象付けられる。
BCDには注意が行きにくい。


人間は簡単に、
目立った2つの出来事にのみ着目して
両者の関係を感じ取ってしまいます。

雨乞いをすると雨が降るって関係付けるには、
期限を切らなければ出来るし、
後付けで解釈すれば何とか関係付けてしまいます。


「相関の錯覚」を防いで、
真実を導くにはどうすればいいでしょう?

いろいろな角度からクリティカルに考えられれば
おかしなことは見破られるはずです。
そうした見方を訓練すればいいはずです。

しかし、
ものごとを懐疑的に見たり批判したりするのは、
人間には基本的に馴染み難いのかもしれません。


クリティカル・シンカーには、
人をバカにしているようで
気分を悪くさせる人がいそうです。

そんな中で訴え続けるのは
エネルギーが要ります。

クリティカル・シンキングが
なじまない理由のひとつに、
言葉の問題もあるようです。

クリティカルは、
日本では「批判」から「非難」「難癖」
という意味につながりやすいようです。


人それぞれ個性があるので
一概には言えませんが、
何処かで妥協しながらクリティカル・シンキング
をするのが現実的なのかも知れません。

「相関の錯覚」で、
関連性のないところに関連を見出してしまうって、
カルト宗教のロジックと似てますね🙄