古い技術雑誌を引っ張り出しています。

書かれていたエッセイを読み返してみると、
確率と直感について
面白い話題がありましたので、ちょっと紹介。

ネットで検索すると解説がいろいろ出てきますが、
「モンティ・ホール問題」という
直感ではとくに理解しづらいこんな内容です。


挑戦者の前には3枚のドアA, B, C がある。



どれか一つのドアの後ろには、
豪華な賞品がかくされているが、
残りの二つのドアはハズレである。

司会者は当たりのドアを知っているが、 
当然、挑戦者は知らない。


挑戦者は、ドアAを選んだ。
すると、司会者は、残された2枚のうちドアCを開け、
それがハズレであることを挑戦者に見せた。



ここで司会者は、挑戦者にこうもちかけた。
「はじめに選択したドアAのままでも結構ですが、
ここでドアBに変更してもかまいませんよ」。


さてここで挑戦者は、変更すべきか否か?

Cはハズレなので、残るはAかBかの二択である。

ならば、Aが当たりである確率は2分の1で、
Bが当たる確率も同じく2分の1であるから、
かえてもかえなくても同じだ、
と考える人が多いのではないだろうか。


確率問題に関する人間心理と経済行動の関係に
くわしい明治大学の友野典男教授は、
この問題を授業でよく取りあげるという。

やはり多くの学生は「かえなくてよい」
と答えるそうだ。

だが、正解は「Bに変更すべき」である。
 
この状況下では、Aが当たる確率は3分の1だが、 
Bが当たる確率は3分の2となる、
というのが正しい確率なのだ。



なぜ私たちの直感は、 
正しい確率を導くことができないのだろうか? 

一つの理由として、
確率計算に登場する「巨大な数」を
直感的に扱うことのむずかしさがあるようです。

私たちの脳にとって、
たとえば「365の50乗」を瞬時に計算することなど
不可能です。

確率を計算できない以上、 
不正確な直感にたよるしかないというわけです。


著書『利己的な遺伝子」で有名なイギリスの
生物学者リチャード・ドーキンスは、
近著の中で次のようにのべている。

「非常にありえなさそうなことは、
起こりえないこととして処理しても問題はない。
私たちの精神的な「理解する範囲」が狭いのは、
私たちの祖先が生き残るのを助ける上で、
それを広げる必要がなかったからなのである」

私たちがありそうにない出来事の確率を
直感的に理解できないのは、
進化の過程でそれを理解する必要が
なかったためだ、というのである。 
こうした説の真偽は定かではない。


数学的に正しい確率とは、本来、
膨大な回数の試行を経てはじめて得られます。

しかし、人間が実際に経験できる回数は少ない。
そのため、少ない経験にもとづく直感的な判断は、
しばしば、
正しい確率に対してズレを生じてしまうようです。

確率論は奥が深く、
一朝一夕でマスターできるものでもありません。
しかし、直感で判断する前に、 
少しだけ「本当の確率はどのくらいか」
と考えてみてもいいかも知れません。

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そうは言っても、直感的に理解し難いと
考えるのが面倒で、論理的に考えるなんて
疲れますよね。

そこで、直感的に考えやすい方法として、
透けて見える違和感を探してみたりします。

モンティ・ホール問題で透けて見える違和感って、
司会者が、残された2枚のうちハズレのドアCを
挑戦者に見せた事で、
ドアBを開けなかった違和感が、ちょっと見えます。

なんでBを開けないの?開けられないの?
って、直感的に考えてみると、
Bの扉、怪しいって思えてきます。

普段の生活では、
直感が正しいことが殆どだし、
外れても諦められるし・・・

確率計算なんて面倒なことして、
外れた方がストレスですよね🤗