jw研究生として経験したこと、感じたこと、
忘れかけていた事を思い出しています。


王国会館での集会に参加し始めて、
数週間くらい経った頃だったと思います。

冊子の特集記事で、進化論の特集がされていて、
興味深く読んだ記憶があります。

進化論を解説した一般の書物を読んで、
進化論の概要は理解していたつもりでした。


この特集記事を読み進めながら、
進化論に頼らない考え方があることを知りました。

人の本来の姿を、聖書の中の言葉を引用しながら、
進化論では説明が難しいという解説内容で、
とても新鮮に感じました。


長老との研究の中で、そのことを話していたら、
王国会館での集会で、冊子の記事をもとに、
研究内容を発表してはどうかと勧められました。

大勢の前で喋るのは、
小学1年生の転入挨拶以来です。
あの時の大コケ、大失敗の記憶は消えていません。

吃音者にとっては、考えるだけで倒れそうです。


長老は、信じていれば助けて頂けると言い、
王国会館は祝福されているし、私なら出来る。

私の心配は取るに足らないことでしょうと、
ついに説得されてしまいました。
 

発表する原稿を纏める中で、自分の喋りやすい
言葉を中心に選びながら、何度も読みの練習をし、
王国会館での発表の日を迎えました。


自分の発表の番になるまでは、恐怖の時間でした。

発表の番が来て、演壇に立ち、原稿を見ました。

読み始めると、普段は引っかかるはずが、
最初の一言を無事に発することが出来、
最後まで、吃音が出ず、原稿は読み切れました。

読み終えた時の達成感は、とても印象的で、
何かに助けられている感覚なのかとも思いました。


長老から掛けられた言葉は忘れてしまいましたが、
何か嬉しい言葉を掛けられたことで、
信じれば出来る!これは真実だ!
っと深く刷り込まれたようです。

冷静に考えると、読み易い原稿で何度も練習した
成果だったのかな?と、今は思います。


この経験が強く影響したと思われ、私は、
従順な羊へと変わり始めることになりました。