jw研究生として経験したこと、感じたこと、
忘れかけていた事を思い出しています。


長老の職場で、長老と聖書研究を進めていました。

近くの群れの夜の集会に行くことの方が多くなり、
長老との研究頻度が減っていきました。

群れでの聖書研究は冊子を使っていました。

集会での冊子解説が、
私の研究の中心になっていきました。

次第に群れの方々とも馴染んでいきました。


いつだったか、長老との聖書研究の時、
王国会館を近くに建てているところですが、
手伝ってみてはどうか?と言われました。

建設中の会館は、外装が既に出来上がっていて、
内装工事を進めているところでした。

お手伝いに行く日時を決め、行くことにしました。


お手伝いの当日になり、現場に着いたところ、
多くの男性女性が内装工事をされていました。
会館の外装は簡素でしたが、上品な印象でした。

プロの工事の方は1人だけだったと思いますが、
その他の人達は、監督者からの指示を受けて、
時々談笑されながらも、
和やかに作業されていました。

作業の様子は、サボる人も怒る人もなく、
皆さん真面目で穏やかな方々でした。

大きな会衆で大勢の方に紹介され、
小心者の私は、ビビッていたと思います。


私は電気設備には少し明るかったからか、
マイクやスピーカーの配線を、工事の方の指示で
手伝っていたかなと思います。

その日の作業予定が終わった後、
その建設中の会館で、集会が始まりました。
王国会館での集会参加は、この時が初めてでした。

集会が終わった後、
長老が伝道奉仕に行くことになり、
私も付いて行くことになったように思います。


今思い返してみると、
建設奉仕、会館での集会参加、伝道奉仕の
3セットを一度に初体験し、
さぞかし大きなカルチャーショックを
受けたと思います。


その後の私は、
日曜日は王国会館での集会に参加し始め、
伝道奉仕への抵抗も減っていく事となりました。

長老の経験豊かな誘導術は、
私には妖術のように効いたのかも知れません。