手かざし、氣、波動、祈り | Shiningmoon Blog

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手当するとは手を当てることであり、手かざしにより患部の痛さが収まっていく。転んで泣いて痛がっている子供に、お母さんが「痛いの痛いの飛んで行け~」と患部に手を当て(手をかざし)、その手を空に払うように動かすのは日本の伝統。

私も最近は、氣を送ることを調べたりしています。
見えないものを感じる、祈りを信じる、神を信じる、氣を信じる。
日本人の祈りは、現代で言う「波動」であり、氣を送ることを庶民皆さんはやっていたわけです。

祈りがなぜ周辺に影響を及ぼすのか?
足立育朗さんの「波動の法則」を読めば、想い、念、氣、祈りという、思うことは、体の中の水に伝わり、水分の分子、中性子、陽子に伝わり、それはもう目に見えない素粒子を振動させることになるのです。
その素粒子の振動が、実は私たちの目に見えるものに振動を与えていたのです。

人間も物質も、細かく極小化すれば原子となり素粒子にまでなり、誰であるとか、何であるとか、分けるものはなくなり、私はあなたであり、あなたは私であり、私は草木であり草木も私であり、虫も動物も私であり、岩も土もあなたということなのです。
この地球に生きとし生けるもの、すべてが地球を司っているのです。

空気を信じない人はいませんよね。
空気へ振動させ、スピーカーから音楽が鳴り、空気を伝って、私たちへ伝わります。ハイレゾの高音も、中高年には認知できない高音ですが、実際には耳に入っています。
目に見えない素粒子の振動は、空気に伝わり、自分の周りの人や物にまで伝わるのです。目に見えない世界は存在するということです。

不平不満愚痴泣き言を思っている、そう思っているだけで、その思いの振動があなたの周り、人や物に影響を及ぼすのです。
不平不満愚痴泣き言の振動により、それをあなたが引き寄せてしまい、同じように不平不満愚痴泣き言を言いたくなることが、また起こるのです。

「幸せになりたければ、自分から幸せの振動を出す」
自分から、今この瞬間、幸せ、心地いい、安心だと思うことで、良い振動を与えることができるわけです。
それが、「未来でもなく過去でもなく、今を生きる」ということであり、「今、ここ」が大切と言う所以であります。素粒子という量子論も、祈りや念じるという仏教の教え仏教と同じことで、最先端の科学を突き詰めると、昔からの仏教の教えと相似しています。

行動は、思ってから行動しているわけで、思うことが先ということです。
思わなければ、行動も生まれず、結果も出ない。
思うこと、創造することが、どれだけ大切かということなんですね。

日本国民の祈りは、古来から育まれた力。
草木や巨石や土や虫や動物や山や空や、この自然を自分と同じように愛する、大切に思う、声を掛けることの大切さを日本人を知っていたわけです。
山信仰、巨石信仰、雨乞いなど、自然を神として祈ることは、古来から量子論を実践していた、私たちが持つ本来の見えない力であり、人は自然とつながっていることを昔の人は知っていたということです。

人々によるすべてを愛する気持ちの集合意識が、地殻へ地球へ伝わるのです。
昨今の地殻変動は、人々の利己主義による相思想念が地震を起こしているのです。


何億年という地球という生命体にとって、人類などなんら必要はないのです。
人々が執着をなくし、同じ地球人として讃えあい、与え合う精神に戻り、精神世界に回帰していかないと、この地球からの戒めが起こります。

まとめ
「手かざし、手当て」
氣は、思うことで素粒子の振動を与えるということであり、相手の水分や分子に良い振動を与えることは、良い波動を送るということであり、気持ちが通じるということは、実は量子論的に最先端科学的行動だったということです。
 

 

 

 2024.4.22追記
素粒子まで細分化すれば全て同じ、ということをサアラさんがわかりやすく話されてる動画がありましたので追記します