2015年1月パリの旅続き

(その2)ランス







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パリからTGVで約1時間(GARE EST)ランスに到着します。ここには3つの世界遺産とわたくしが一番訪れたかったチャペルがあります。これは最初に訪れた世界遺産のサン・レミ大聖堂です。世界遺産ですが中には人一人いなくて、異国の地の宗教施設で誰もいないというのは気持ちのいいものではありませんでした。ここはクロヴィスに洗礼を与えた聖レミの聖遺物(遺体)が安置せれているバシリカです。







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中にはいろいろなオブジェがライトアップされており新約の物語の一部が再現されていました。










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ランス大正堂です。ここは13世紀以来聖ルイ王が戴冠式をあげて、その後歴代のフランス王がここで戴冠式を執り行っています。









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大聖堂前にはジャンヌ・ダルクの像。これには理由があります。救国の英雄ジャンヌ・ダルクが百年戦争で勝利し、シャルル7世に伴われて戴冠式に列席した所がここランス大聖堂であります。








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このあたりシャルル7世が戴冠式を行ったところとされる場所です。












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なぜか一番奥にシャガールによるステンドグラス。シャガールはユダヤ系じゃなかったかなと思いながらも、綺麗なステンドグラスを見つめていました。









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ランス大聖堂横のトー宮殿です。トー宮殿は大司教の館でTの字に似ているところからトー(TAU)と言われています。戴冠式の品々やいろいろなタペストリーが展示してありました。










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おそらく柱の一部じゃないかと思いましたが、フランス王家の白ゆりの紋章です。










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タペストリーが保存状態も良く展示してありました。












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ここが一番訪れたかったノートルダム平和礼拝堂です。レオナール藤田の作った礼拝堂です。冬の間は公開されないことを聞いて知っていましたが、訪れないわけにはいきませんでした。猫と女の絵で、その乳白色の色使いで有名ですが、第2次世界大戦で陸軍に協力しとのことで批判され日本を離れフランス人になっています。実家が陸軍軍医総監に連なり成り行きで絵を書く事になったのでしょうが(推測)スケープゴートとして批判され日本を離れました。ここにも戦争に翻弄された人生があります。












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ピンクの入口。某社のシャンペンのトレードマークになっているのでしょう。次回は中にお参りするつもりです。








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ランスに残るローマの遺跡、マースの門です。少し雨が降りましたがランスに行けて、藤田に会いに行けて幸せでした。







2015年1月 パリの旅続き

(その1)テンプルの塔






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ここはパリ3区にありますテンプルの塔跡地です。周りは賑やかな所でバスチューユやマレー地区にも近いところです。ここはその昔テンプル騎士団の本拠地があり、18世紀フランス革命がおこる中ルイ16世家族が幽閉されたところであります。ヴァレンヌ事件の後(ルイ16世一家が国外逃亡を企て失敗に終わった事件で、遠藤周作先生の王妃マリーアントワネットに詳しく書かれていたと思います。)ルイ16世は本当に僅差で死刑判決を受け自ら考案したギロチン台で処刑されます。ルイ・シャルルは涙の中マリーアントワネットによりルイ17世として祝福を受けますが、正確には国王として認定されていないものと思います。ルイ16世の弟が王政復古の時ルイ18世として即位したため17世とされています。この塔の中で家族と引き離されたルイ17世は靴屋のシモンに革命家になる教育と今で言う児童虐待を受けます。名前が残っているぐらいだからかなりひどいことをしたんだろうと思います。その後約2年間独房に幽閉され10歳前後の子供が自分で立つこともできないくらい衰弱します。最後は、結核死とされていますが虐待の中で亡くなりました。





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今は公園になっております。悲しい歴史の舞台です。










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子供の遊具があるのはなんとも皮肉なめぐり合わせかなと思いました。









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お母さんたちが小さな子供連れて遊びに来ていました。今の常識では到底容認できない歴史上の事件がおきたところですが、殺気立った革命の時代にあっては当たり前に近いことだったのかも知れません。以前サン・ドニを訪れた時その心臓はルイ17世のものと確証されたと書きましたが、正確にはマリー・アントワネットとの親子関係が証明されただけでルイ16世との親子関係が証明されたわけではありません。いろいろな話が残っていて、ルイ16世が処刑されたときその流された血液を群衆がハンカチに吸い取り記念に持ち帰ったと言われています。ルイ17世の心臓、ルイ16世の血液とルイ16世のお姉さんの子孫のDNA鑑定ではじめて親子関係が証明されるそうですが、歴史の謎のままにしておいたほうがいいのでしょう。京都といい、パリといい、ロンドンといい古い都にはこんな物悲しい歴史がいっぱい転がっています。




2014年12月パリ、ミラノ クリスマスマーケット

(その2)ミラノ









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宿泊したホテルの近くのカルチエのイルミネーション。どこの国でもこの飾りつけで昔からこれ。すぐにカルチエとわかります。ホテルに帰るのにいい目印になりました。






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この近くの狭い商店街にこんな車たちがならべてありました。ちなみにフェラーリはなかったな・・・。





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寒い中綺麗にSHOW UPされており、お洒落な街でした。さすがミラノコレクションの街。






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宿泊したホテルの飾りつけ。FSに泊まりましたがいいホテルでした。日本人も結構多いです。





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御存知ドオーモ。ミラノのシンボルです。500年かけて建築されたすごい建造物です。






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屋根にも上がれます。屋根も石でできておりこれを支える柱もすごい。屋根に登るという発想もすごいなと思いますが、日本で言えば本願寺本堂の屋根にあがるようなもので着想の違いか?でも登れたほうが楽しい。中央の尖塔の金色に輝くマリア像「マドンニーナ」。






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それがこれ。地上から108mあるそうです。





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大聖堂の中で、厳かな雰囲気の中でミサをやっていました。こちらの人はまじめに神に祈りを捧げますし、宗教で戦争をしたらやっぱり大変やなと感じました。カトリック教徒まじめやで。私の知っている新教徒も真面目。日本のお寺の坊主で真面目な奴あんまり知らんな・・・(中にはお経を間違える奴もいる)。




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御存知サンタマリアデレグラチィエ修道院の食堂に描かれたレオナルドのTHE LAST SUPPERを見てきました。8時30分からで25人くらいづつの鑑賞です。





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午前7時30分くらいですがまだ暗かったです。中は写真禁止。謎多き絵画です。





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後はミラノアウトレットモールに一日。バルバレスコ、アルバ、バローロめぐりに一日を費やしました。この人何かというと、アルバのトリフ売り。大きいのになると200ユーロ。においをかがしてくれました。





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アルバにあるピアツア ドオーモ3星レストランです。ランボアルジー、クラッコと廻りましたがここが一番。こんな小さな町にあるここが一番。






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今年一年いろいろなところへ出かけました。遊びすぎだという批判をものともせず、私は引退できないという一念で旅を楽しんでまいりました。来年も心の中では訪れたいところを考えておりエピキューリアンとして人生を楽しもうと思っております。皆様にとっても来年がいい年であることを祈念いたしております。それではごきげんようさようなら。(シャンゼリーゼのワイン小屋にて)