2015年1月パリの旅続き
(その3)アンボアーズ
パリからTGVで約1時間(GARE MONTPARNASSE)、途中乗り換えアンボアーズにつきます。ロワール河から見たアンボアーズのお城です。アンボアーズには3つの意味が集約されていると思いますが、1番目ここからフランスルネサンスの花が開いていったこと、2つ目カソリック教徒と新教徒との激しい衝突が起こったこと、3つ目レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年の3年間を過ごした土地であるということです。
お城は現在当時の5分の1、6分の1程度になっているとのことですがそれでも中はかなり大きなものでした。
これは敷地内に残るサン・テュベール礼拝堂です。入口の彫刻はシャルル8世とアンヌ・ヅ・ブルターニュが仲良く祈りを捧げているところで、フランス王国とブルターニュ公国が仲良く合併したことを象徴しています。
礼拝堂中のレオナルド・ダ・ヴィンチの墓です。墓参りをしたくてアンボアーズにやってきました。レオナルドのお父さんはヴィンチ村の公証人でやがてフィレンツェで出世していきます。もしレオナルドが庶子でなかったら正当な後継であったなら画家にはならなかったかもしれません。当時の庶子は相続、身分でも厳しく区別されていたみたいです。生母との関係もそんなに濃厚なものではなかったみたいです。謎に満ちたモナ・リザ(実はイサベラではないかと言われている)を描いて生涯離さなかったレオナルドですが、生涯女性と生活をしたことがなく当時10歳であったサライという少年と生涯連れ添ったということです(サライには遺産分割でミラノのぶどう畑半分を贈っている)。プラトン的愛とキリスト的愛の中で生涯を過ごしたものだと思います。
敷地内にあるレオナルドの像です。ここは最初にレオナルドが埋葬されたサン=フロランタン参事会教会のあった場所だそうです。
ここはアンボアーズ城から徒歩約10分のところにあるレオナルドが最後3年を過ごしたクロ・リュセの館です。
レオナルドの寝室です。ここに来た当時すでにレオナルドの右手は痺れていたそうでもう絵は描けなかったのではないかと想像されます。
レオナルドお気に入りの風景だったみたいでアンボアーズのお城を眺めることができます。
聖ヨハネ像レプリカ。ルーブルにあったなー。
なんと地下道の入口。アンボアーズのお城とつながっていたみたいです。数年前レオナルドの生まれたヴィンチ村を訪れなんと静かな村なんだと思ったことがありますが、寡黙だけれでも雄弁に物語るレオナルドの人生、納得することに命をかけた人生だったんだろうと思います。アンボアーズを訪ねることができ幸せでした。