2015年3月ニュージーランドの旅(その1) クイーンズタウン





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初めてのニュージーランドでしたが、天気によく恵まれその大自然を楽しむことができました。実は2回カメラを置き忘れましたが、必ずそのカメラが戻ってきてニュージーランドは本当に平和で安全な国であると思いました。最近はずーっとマニアックな歴史の旅をしており久々に大自然を満喫することができました。



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ニュージーランドを旅して、グランドサークル、イエローストーン、ヨセミテそしてタスマニアやヨーロッパアルプスをすべてMIXしたようなところだなと思いました。1粒で何度も楽しめるニュージーランド!



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雲一つなく日が照り付けると暑いくらいの天気でした。



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この風景は「人生で一度は訪れたいRESORT」の一つにしてもいいかな・・・。



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すこしクイーンズタウンを車で離れるとほとんど人もいなくてあるのは雄大な自然と羊のみ。



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ニュージーランド入国に際して食べ物や、土の検査質問が大変厳しく長い列ができました。ニュージーランドの人々の「自分たちの自然を大切に守ろうという気持ち」がよく伝わってきます。





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雄大な自然があれば当然、美しい湖や河があります。写真はMIRROR LAKEでちいさな魚や湖に沈んだ木材などがよくわかります。




2015年3月京都の旅
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古しえの平安京




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南にまっすぐに延びる一本の道。この道をまっすぐ南に下ると東寺と西寺(跡)そして羅生門跡に通じます。




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ここは京都千本丸太町の交差点で古の平安京跡です(二条城の北西にあたる)。今で言えば東京の皇居にあたるところです。



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交差点北西にはめこめてある大極殿跡のプレート。
 



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近くにある解説板で交差点のプレートあたりが幟の立っているあたりか?




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小さな公園の北側に大極殿跡地を示す石碑。後ろには普通の民家が立っていました。1000年以上の時間が経過し、おそらくここに大極殿があったことを社会が忘れ周りを民家が取り囲んだろうなと思いました。大極殿遺構に何層もの土が堆積し歴史がその存在を忘れ普通の公園、普通の交差点、普通の民家へと変貌したものと思います(ローマのフォロ ロマーノもそうだった)。



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ここは先ほどの大極殿跡から北東にある紫宸殿、清涼殿跡地です。平安時代天皇の私的な生活空間が存在した周辺です。ここも大極殿跡地同様京都の普通みみられる民家が立ち並んでいます。




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近くに設置してある紫宸殿を中心とした略図です。




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この酒屋さんの裏に紫宸殿があります(勝手に写真を撮ってすいません・・・かなりEXCITEした状態でした)。




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先ほどの酒屋さんの北東に位置する内裏の屋敷跡。ここはお休みでしたがCAFEです。




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この路地に内裏の主だった屋敷が立ち並んでいたそうです。紫式部、清少納言の世界がここで繰り広げられていました。



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この路地から南側まさに紫宸殿が存在していたあたりです。今京都御所ではなかなか見せてくれませんが、かつてここに紫宸殿はありました。



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この家、本当にすいません勝手に写真を撮ってしまいました。清涼殿跡です。どんな気持ちでお住まいなのか伺いたい気持ちでした。





2015年1月パリの旅続き

(その3)アンボアーズ






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パリからTGVで約1時間(GARE MONTPARNASSE)、途中乗り換えアンボアーズにつきます。ロワール河から見たアンボアーズのお城です。アンボアーズには3つの意味が集約されていると思いますが、1番目ここからフランスルネサンスの花が開いていったこと、2つ目カソリック教徒と新教徒との激しい衝突が起こったこと、3つ目レオナルド・ダ・ヴィンチが晩年の3年間を過ごした土地であるということです。









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お城は現在当時の5分の1、6分の1程度になっているとのことですがそれでも中はかなり大きなものでした。











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これは敷地内に残るサン・テュベール礼拝堂です。入口の彫刻はシャルル8世とアンヌ・ヅ・ブルターニュが仲良く祈りを捧げているところで、フランス王国とブルターニュ公国が仲良く合併したことを象徴しています。










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礼拝堂中のレオナルド・ダ・ヴィンチの墓です。墓参りをしたくてアンボアーズにやってきました。レオナルドのお父さんはヴィンチ村の公証人でやがてフィレンツェで出世していきます。もしレオナルドが庶子でなかったら正当な後継であったなら画家にはならなかったかもしれません。当時の庶子は相続、身分でも厳しく区別されていたみたいです。生母との関係もそんなに濃厚なものではなかったみたいです。謎に満ちたモナ・リザ(実はイサベラではないかと言われている)を描いて生涯離さなかったレオナルドですが、生涯女性と生活をしたことがなく当時10歳であったサライという少年と生涯連れ添ったということです(サライには遺産分割でミラノのぶどう畑半分を贈っている)。プラトン的愛とキリスト的愛の中で生涯を過ごしたものだと思います。






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敷地内にあるレオナルドの像です。ここは最初にレオナルドが埋葬されたサン=フロランタン参事会教会のあった場所だそうです。






















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ここはアンボアーズ城から徒歩約10分のところにあるレオナルドが最後3年を過ごしたクロ・リュセの館です。











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レオナルドの寝室です。ここに来た当時すでにレオナルドの右手は痺れていたそうでもう絵は描けなかったのではないかと想像されます。











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レオナルドお気に入りの風景だったみたいでアンボアーズのお城を眺めることができます。










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聖ヨハネ像レプリカ。ルーブルにあったなー。










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なんと地下道の入口。アンボアーズのお城とつながっていたみたいです。数年前レオナルドの生まれたヴィンチ村を訪れなんと静かな村なんだと思ったことがありますが、寡黙だけれでも雄弁に物語るレオナルドの人生、納得することに命をかけた人生だったんだろうと思います。アンボアーズを訪ねることができ幸せでした。