2016年3月ギリシャの旅(Ⅱ)デルフィ








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アテネから車で約3時間、デルフィの遺跡です。アポロンの神託を求めおそらくギリシャ中から人々が集まり国の祭ごとが決定されていた重要な場所です。ギリシャ3大悲劇「オイデイプス王」の神託もここで行われ、父親の王様が息子のオイデイプス(腫れた足)に殺されたのもこのあたりの三叉路だそうです。おそらく繁栄を極めていただろうし、各地の人々の情報交換、外交が活発になされていただろうと想像できます。

















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当時ギリシャ人はこの世界は平面な円盤状で成り立っており、これがまさに世界の中心であると信じていました。この写真が「大地のへそ」。















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アテネ人の宝庫と呼ばれるはぼ完璧に残る建物。南壁に縁起が書いてあり、アテネがマラトンの戦いでペルシャに勝った戦勝記念でアポロン神に捧げた宝庫だそうです。
















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何やら石垣にギリシャ文字が・・・。有名な「汝自身を知れ」という言葉も書いてあるそうです。










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アポロン神殿跡です。この周りには様々な都市国家が神託のお礼に捧げた宝庫や記念柱が立ち並んでいます。写真で確認できるように山深いところにデルフィは存在し紀元前12世紀の当時この地に来るのは大変なことだったろうし、だから余計に神託は貴重なものでありがたく受け入れることができたのだろうと思います。














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デルフィに残る古代劇場。現役の劇場だそうです。蚊も出るだろうなと余分なことも考えます。




















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デルフィ博物館に残るスフィンクス。顔は女の人で体はライオン、羽もあり。完璧な姿で残っていました。














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死者の飾り物。昔から金は大事なものでした。日本ではヒスイの大事な時代もありました。













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紀元前5世紀の酒杯。完璧な姿で残っています。ライオン足の椅子の腰を掛けたアポロンが竪琴と持ち、右手で献酒を行うシーン。















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有名な青銅の御者像。シチリアの僭主が競技会の勝利を祈念して奉納した4頭立て戦車の一部です。ギリシャといえばアテネやエーゲ海が有名ですが、デルフィは古代ギリシャ神話や都市国家集団の中で「神託」を通じて人々の人生や政治に多大の影響を及ぼした古代国家群の中心で、大きく言えばヨーロッパの源のような場所と言っていいところだと思います。






















































































































































































2016年3月ギリシャの旅(Ⅰ) アテネ


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ギリシャの旅を楽しんでまいりました。写真はギリシャ危機で有名になった国会議事堂。意外と小さなもので周りは各国大使館が並ぶ官庁街。この写真チェックインしたホテル グランド ブルターニュの玄関からとったものです。日曜日の昼下がりでHEAVY TRAFIC JAM。タクシードライバーに景気はどう?と聞いたら「俺はHAPPYだよ」とのこと。100ユーロなら100ユーロでやるし、1000ユーロなら1000ユーロでやるから関係ないよとのこと。フランス語でケセラセラだねというとその通りとの回答。聞いた話によると国家には金はないが個人は金を持っているとのこと。参考にすること多々あり。





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これがそのホテル。間違いなくいいホテル。おすすめです。





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ホテル最上階のレストランから見たアクロポリスの遺跡です。アテネはちょうどすり鉢状になっており、街の中心にアクロポリスの丘があり街のいたるところからアクロポリスが見て取れます。アクロポリスとは「高い丘の都市」という意味だそうで、紀元前5世紀神(もしくは神々)の鎮座する神殿を都市国家アテネの人々はアクロポリスを仰ぎ見て毎日を過ごしたのだろうと思います。



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夜レストランのテラスから望遠で写したアクロポリスの遺跡です。薄暮の中ライトアップされ幻想的な眺めでした。






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日曜日は入場料無料。入り口ボトルネックになっており、かなり時間がかかりました。修復中でしたがかなり大きな遺構で、当時は白亜ではなく色彩豊かな建物だったそうです。その昔シチリアを旅した時もパルテノン神殿は見学しましたがシチリアは係員もおらず勝手に中も見ることができシチリアの方がおすすめです。







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パルテノン神殿の北側にそびえるエレクティオンの神殿。古代アテナイの英雄エレクトニオスを祭る神殿。ペルシャ戦争で壊滅的打撃を受けたそうですがその後再建。想像を絶する古い時代の話でまさに世界史の現場。紀元前5世紀にこんなものを作ったギリシャ人の文明はかなり高度なもので建物黄金比率で計算され建てられているそうです。





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エレクティオンの神殿の南側にある入り口で6人の少女が迎えてくれます。この写真の像はレプリカで1体は大英博物館、他はアクロポリス博物館に展示されています。

2016年2月大阪の旅

 

 

 

 

今年初めてのブログはここ大阪から始めたいと思います。大阪の旅は家内のリクエストで、大阪でおいしいものを食べたいというところから始まりました。大阪といえばわたくしの仕事から言ってここ適塾跡からはじまります。適塾は幕末から明治維新にかけて日本の蘭学・医学の中心地で、私塾ではありますが西の知の総本山的存在であった所であります。福沢諭吉先生をはじめとして近代日本の礎を築いた人材が数多く輩出された場所であります。この私塾適塾を創設されたのが緒方洪庵先生で、この私塾がのち大阪大学の源流となるところです。

 

 

 

 

この日は寒い日ではありましたが、よく晴れており白い壁と青空がよく似合う日でありましたこの適塾大阪北浜にあります

 

 

 

 

続いて訪れたかった場所は谷町沿いにあります近松門左衛門のお墓参りであります曽根崎心中をはじめとして題は忘れましたが旦那たちが寝床をつぶした話など数多く当時の風俗を描いた日本を代表する作家のひとりであります

 

 

 

 

うっかりすると見過ごしてしまうようなところに近松先生のお墓はありました。

 

 

 

 

 

近松と並び称される井原西鶴先生のお墓も近松先生のお墓の近くにあります。西鶴の好色一代男はなんとスケールの大きな話だと読みながら感心した思い出があります。近松先生と西鶴先生を読み比べると近松先生のは格調高いなと思いますし(浄瑠璃も見てみたいなと思いますし)、西鶴先生のは血沸き肉躍るようなより庶民感情に訴える物語かなと思いました。

 

 

 

井原西鶴先生のお墓

 

 

 

 

曽根崎心中の舞台お初さんが死んでしまうお初天神です。

 

 

 

 

 

話変わって道頓堀のド派手な看板。グリコ背景の色が変わりますし走っている感じがよく出ています。

 

 

 

南にあります法善寺横丁。織田作之助先生の「夫婦善哉」まだ読んでなくて急いで読まないといけないなと思いました。ここのお好み焼き気に入りました。

 

 

 

 

通天閣と新世界。ある意味大阪を代表するdeepな世界。

 

 

 

 

 

ビリケンさんと食い倒れ太郎さんを組み合わせた像です。

 

 

 

ちょっと名古屋や東京、福岡にはないdeepな世界。アジアやアメリカヨーロッパにもないある意味世界に誇るべき文化かなと思いました。食べ物も安くておいしいし面白い街だなと改めて思いました。ここ大阪に初めて本格的にきて思ったことは、もしあの時歴史が変わっていたらここが間違いなく日本の中心であったし、それを感じさせる町が醸し出す歴史、文学や浄瑠璃をはじめとする文化がここには確実に存在すると思いました。