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SM小説

酒を飲みながら書く小説

「私は人間の格好をした幽霊なのです」

「何を言ってるんですか? 私の目にはしっかりとあなたの格好が見えている。脚だってしっかり床についている」

「ええ、そういうことは生きている人間が思い込んでいるだけであって、実際は違うことがたくさんあるのです」

「例えば?」

「色黒な幽霊が居ます。幽霊と言えば青白いんでしょうけどね」

「う~ん、確かにそういう思い込みがある」


 女の言葉一句一句を丁寧に、市販の大学ノートに書き写していった。ボールペンを握る指先は不思議と震えていなかった。


「手首を曲げて、指先を下に垂らすポーズ。あんな格好はしません。基本的には、生きていた時と全く同じ生態です。幽霊が死んでいるのなら、生態という言い方は間違いかもしれませんが」

「宙に浮いたり、行きたいところにワープできたりはするんですよね?」

「幽霊によると思います。死んだ原因が何であるのか、その理由にどれだけの強い念があるのか、そういう因果が関係しているようです。私は基本的にはそういうこはできません。特に誰かを憎んでいるわけでも、前世にやり残してきたこともありませんから」

「喉は渇きますか? コーヒーでも……」

「幽霊は食事をしません。疲れませんし、眠たくなりませんし、痛みを感じません。それらは人間と一緒では無いですね」


 自分が飲むためのコーヒーを煎れるため、湯を沸かしながら考えた。全く信じられない、どう見ても気の狂った人間としか思えない。暇なのか? と。


 何故俺の前に現れたのだ? ふわふわした疑念を暴くために、もう少し幾つかの質問をしなければならないと思った。


「そういえば未だお名前を伺ってませんね」

「名前? そんなことは今、重要ではありません。"女"で結構ですよ」

「お、女。しかしそれはちょっと困るというか、呼びにくいですね。死前のお名前を教えて頂けると……」

「まゆ」

「まゆさんですか」

「あなたのお名前はきよかわきよしさんでしょ」

「な、何故知ってるので?」

「私は幽霊ですもの。どんな字を書くのかしら?」


 女が置いた用紙に、清川清と書いた。


 上から読んでも下から読んでも清川清。このことが深いトラウマになっている。子供の頃は、これを理由にからかわれた。テスト用紙に名前を書く時、誰かに見られて笑われているような気がした。病院でフルネームを呼ばれると恥ずかしくなった。だから自分の名前が嫌でしょうがない。


「まゆさん。私にはあなたの話を信じることができません。そしてあなたが何故、今私の前に現れたのか未だにわかりません」

「結論を急ぐ必要はありません。あなたが信じるまでゆっくり時が経つのを待てば良いのです」

「そう言われましても、私には婚約者がいる。仕事だってある。あなたと一緒に居るわけには……」

「大丈夫です。あなたにとって都合の悪い人からは、私の姿は見えませんから。日常生活で邪魔したりもしません。心配不要です」


 それから数時間が経って、仕事を終えた妻の麻美が帰宅した。


「ただいま! ちょっと遅くなっちゃった」


 緊張で震える体を抑えることができなかった。それもそのはず、隣に見知らぬ若い女が座っているのだから。


「ねえ! いないの?」


 麻美が居間を覗いた。ソファーには、自分と見知らぬ女が隣接して座っている。飛び出そうになっている心臓が、目に見えてしまいそうなほどドクドクと鼓動していた。それ以上に女の姿が妻の目に入るのを恐れた。


「あらいるじゃない。どうしたの? 顔色悪いけど」

「あ、あああ。おかえり。ちょっと怖いTVを見てしまってね」

「えええ、こんな時間に怖いTV何てやってる?」

「んああ、怖いというか気持ち悪いというか。いや夢を見てたのか?」

「ねえねえ、ちょっと大丈夫?」


 そういって麻美が近づいてきた。確かに女の姿は映っていないようだ、そう心から感じた。


「熱は無いみたいね? せっかくの休みなのに何してたの?」

「い、いや、ずっと、ゴロゴロと」

「ふ~ん。変な人」


 変なのはこの状況だ。結婚を間近に控えた男女の横に、青白い若い女が座っている。幽霊のような透明さは無い、全くそのまま人間そのものじゃないか。私の目には見えて、妻の目には見えていない。本当にこんなことがあるのだろうか? 自分に何度も確かめるようにそう心の中で考えた。


 夕食時も晩酌時も、夜にセックスをするときだって、ずっと隣に女がいる。女がじっと私たちを見ている。女は時々話しかけてもきた。


「美味しいくらい言いなさいよ」とか「疲れた奥さんに話題を求めないの」とか「あなたがもっと動かなきゃ」とか。しかし疑念は晴らされた。

 麻美には、この女が見えていないし言葉も聞こえない。この女が言っていたとおり、自分に都合の悪い人間に対して、存在を消すことができるようだ。言い換えると、女にとって都合の良い人間だけに姿を見せることができて、本当の人間のように振舞える、という言い方のほうが正しいのかもしれない。


 こんな状況で射精ができるわけもなく、寝る寸前まで麻美は文句を言っていた。仕事が大変だったのか、今では小さい寝息を立てて、自分の肩に顔を乗せて寝ている。

 女は立ち去るのでもなく、座るわけでもなく、ずっとベッドの横で黙って立っている。十分邪魔をしているじゃないか、と思いながら眠りに付いた。


「あなた、もう8時よ!」

「……あ、ああ」


 熟睡できなかった。何なら今日の仕事を休もうかとも思ったが、女が監視する中、この生活を送ることで、より一層の疲れをもたらしてくれそうだと思い、家を離れた。


「いってらっしゃい」

「いってきます」


 その後に、女も「いってらっしゃい」と加えた。当然それには応えなかった。


 仕事が手に付かない。何をするにもあの女のことが頭から離れない。自分に何かを頼んでいるのが聞こえて頷いているのだが、我に返ると何を頼まれたのかもわからなく、もう一度のその人に話を聞く。そんなやり取りが十数回に達したところで、上司に呼ばれた。


「おい、お前今日顔色おかしいぞ。何かあったのか?」

「いえ、ちょっと寝不足なだけのようです」

「悪いことは言わないから、今日は早退しろ」


 他人に相談できるわけも無く、話の流れで本当に早退してしまった。


 不安な気持ちで鍵を開ける。


「ただいま」


 返事は無い。そして家の中には誰もいない。更に何か様子が変っている。テレビが無くなっている、パソコンも無い、ゴルフセットも無い、預金通帳と印鑑が無い。


 テーブルの上に二枚の紙が置かれていた。


 保証人欄に清川清と書かれた借金返済の明細コピー。もう一つは自分が昨日メモしていたノートを切り取ったものだ。私は人間の格好をした幽霊なのです、のところに赤のペンで下線が引かれている。そこには、「バカな男ね」と添えられていた。


 笑いながら逃亡している妻と女の顔が目に浮かんだ。


 別にこんな回りくどいことしなくてもできたろうに、と思えたのは数年後だった。