何箇所か下水道へ繋がっている出入口がある。鼻に付く異臭が辺りを立ち込めており、それは心の中を汚していくのを知っている。その手前から限界まで息を止めて小走りに歩き、やり過ごそうとする。
生活排水という言葉で片付けることは容易じゃない、複雑な心境の生い立ちの過程の奴等が漂っているのだ。
その後に、弁当屋裏から油っぽい臭いが続いてくる。コロッケだろうか、トンカツだろうか、エビフライだろうか、重くて湿った臭いだ。
止めにラーメン屋の裏からは、何年か経過したようなトンコツの臭いが覆いかぶさってくる。
下水と油とトンコツが重なってきた。
とても苦労して倒した余韻に浸っていたらセーブをし忘れ、連続で同じくらいとても苦労しそうな予感な奴が出てきてハラハラして、それも何とか乗り越えたと思ったら停電して、一からやり直しの時のような不運だ。
真っ暗な小道に、小規模ながら電灯と呼んでいいのか気を使うような、小さな光がちっぽけな物体どもを灯している。自動販売機の灯りと薄呆けたアポートからの明かりがそれを後押しして、辛うじて人が歩くことを許す光度に達している。
そこを見てと言われない限りは、見てもらえないような場所には、圧倒的に落ち着く空間が眠っている。機械的で雑居で誰も気づかない死角。私はその場に座り込み空を見上げた。もう辺りに腐敗臭は漂っていなかった。
黒い空に白い月が浮かんでいる。その月は異常なまでに目立って誰からも隠れようがない存在感を醸し出している。銀幕のスターもハリウッドの馬鹿も汚染された男優も適わない色彩だ。それが才能というカリスマ的な存在と定義できるのだな、と思ったら赤い猫と目が合った。
赤い猫は奇妙な泣き声をする。普通、猫の鳴き声と連想すればにゃあにゃあとかみーみーとか言いたくなるものだが、そいつときたらまるっきし常軌を逸することをしてくれる。
せちゃつはわにえをえようど?
いいえ。私は通りすがりの市民です。あなたの欲求を満たすノウハウは合わせ持っちゃいませぬ。
せちゃつははてこのえをとおど?
はい。私は生きるゆえ、このえをとおど。
せちゃつはいくすえにこのほをさずればりりんする?
いいえ。私はただこの空間に存在し、この空間と共有し、この他愛も無い日常に最高の欺瞞を行ずるべくことをばとおど。
せちゃつはおもかゆい。せちゃつはいっこくもなおはえばされ。
おおせのとおりに。
辺りは急に明るくなることもせず、澄み切った空気も提供できず、その場の状態を維持することに精一杯だと主張した。
二なりの呪いが両者を待ったした。
せちゃつはどこがしん?
私は赤い猫をはじめて見た、せちゃつは世にそぐわない。どうか仰せのままに消えゆかん。
うむ、わはこれぞいかん。すにもうらのゆくいわばんばこれもまたしらもうせよ。
赤い猫は少しずつ体を揺らしながら、少しずつ体を大きくしながら、空気と空気の間にある微妙な隙間に入っていった。
赤い猫は、青い猫に姿を変えて現れた。見てと言われない限りは、見てもらえないような場所に、もう青年は座っていなかった。
パンクしてしまったボールが、暗く沈黙した校庭に転がっている。例え日中に赤い太陽が校庭を照らしたとして、そのボールがどんな競技にしようされる物体なのか長考させられるほど泥で汚れているだろう。
今、校庭から子供たちの笑い声は聞こえてこない。この空間に存在が確認できるのは青い私と、結局存在は目視で確認できない微生物しか残っていないと推定する。そんなはずの空間に、もしも別の何かが浮遊していたら身震いするだろう。それらは結局のところ人間の頭の中で創造されたものであろうに、その創造が想像へ変わり、やがて身を震わすのだろう。
そんなことはこの校庭以外でも容易に考えることができる。自然を破壊しても、動物を殺めても、兵器を開発しても、追尾機能搭載の運命が決定を覆すことは無いのだろう。
見て、あそこに青い猫がいる。
やれやれまた人に会った。体を大きくして発光しよう。
静寂した黒い校庭に、明るい青色光が円を作った。その円はよく見ると楕円だった。
見て、光ったよ。子供たちは恐れを露にして走り去った。一晩の眠りで忘れることのできる記憶には、海馬の許しを得られそうに無い。タメ息がオゾン層を破壊する前に次の空間へ移ろう。
青い猫は先ほどしたのと同じように空気と空気の間にある微妙な隙間に入っていった。でも体は揺れなかったし大きくもならなかった。この動きは不要にして移動できるんだと誰かが気づいてくれるかな? と誰も居るはずの無い空間を眺めてた。
そうかあれはボールではなくてラーメンの器だね。何故校庭にラーメンの器が捨てられているのだろうか。
赤い猫は青い猫に姿を変え、次は何色に変化するのか楽しみにさえなっていた。しかしそれはこの世で表現できない唯一無二の色だった。これは何色か? と尋ねられても、言語としては決して表現することができない色だった。何色にも似つかない、でも透明ではない、そんな心の休まらない色だった。
世界は一瞬で一変した。それは天災や科学的な力によるものではなく、心霊的で非現実的な臭いが漂う予感を常に保っていた。猫はどうやら逃げ道を間違えたのだと考えた。
そこは何も無い世界だった。光は無いが暗闇ではない。生き物は皆無だが何かの気配はする。地面は無いが下に落ちることは無い。空気も無い様子だからとわかったが息苦しくもない。きっと食料はおろか水も原子も無いのだろう。存在が許されない世界。世界ということすらままならない空間。
そこにある形を認めることができた。それは始めてみるようで、たった先に見たようでもあった。そうだ、あれはラーメンのどんぶりではないかと推測する。その物体と距離感がわからないし、縮める方法が存在しないことから、これ以上考えを深くに達する術は無いのだと諦めた。
きっと私と一緒に迷い込んでしまったに違いない。そして私は不安に落ちた。空気の無い空間には隙間が無い。私はここから別の箇所へ移動することができないのだと痛感した。やっと落ち着いて身を休めることができると、プラスに考えた。これ以上、私は考えることは無い、動かない、死ぬこともないし生きる意味もなさない。
2年後。ビッグバンが起こる。
その38万年後、銀河系が形成される。
更にその85億年後、地球が誕生した。
猫は思った。退屈は残酷だ。どうか生命に寿命を作ろう、そして寿命を待たず死する運命を設けよう。
