「恐れ入ります、警察のものですが」、制服を着た長身の男が立っていた。
「わっ、な、何でしょうか?」、喉飴は男を見上げた。
「ちょっと立て込んだ話なのですが、中にお邪魔しても宜しいですか?」
「あ、ええと、はい。ど、どうぞ」、喉飴は警察官の男を家の中に招いた。
警察官は喉飴が後ろを振り返ったのを確認してから、音が鳴らないように鍵を閉めた。
「すみません、散らかってますが、お茶入れますので、ソファーに……あああ!」、喉飴はテーブルに置かれたDVDケースを見て、慌てて隠した。
「どうかされましたか?」、警察官は不審に思っている、ように喉飴には見えた。
「ごめんなさい、ごめんなさい。何でもないんです。テレビでも見てお待ちくだ――」、そう言いかけながら、リモコンのスイッチを押すと、喉飴と精治のセックスシーンが映った。画面の中の喉飴は、痙攣を起こしはじめながらも、激しく腰を振っている最中であった。
「あああ……」、喉飴は放心状態になった。
「こ、これは……」、警察官も放心状態になった、ように喉飴は思った。
「す、すみませんでした。それでお話とは?」
お茶を入れながら、喉飴は冷静を取り戻した。そして警察官がここへ来た理由も、喉飴には何となくわかっていた。
「早速なんですがね、鶴見港で死体が見つかった事件はご存知ですか?」
「はい。昨日ニュースで見ました」、警察官はお茶を一口だけ口に含んだ。
「それでは、その死体の男が、AV男優だということはご存知ですか?」、警察官はじっくり喉飴の目を見てきた。
「……は、はい。それは今日聞きました」、少し迷ったが、喉飴は正直に言った。
「そうですか、それでは話は早いですね」
男はそう言って立ち上がり、ポケットから白いハンカチを出した。そして、そのままハンカチを喉飴の呼吸器に押し当てた。喉飴はそのまま気を失った。
「恋愛は本気でしたことがありません。同級生はみんな自分より幼稚に感じたし、年上の男性と接する機会はほとんどありませんでした」
「高二の頃、サッカー部のマネージャになりました。サッカーのルールはあまりわからなかったけど、汚れたユニフォームを洗濯したり、薬缶に冷たい麦茶を作ったり、試合中にタオルを配ったりしました」
「はい。ちょうどその頃、部室内の異様な雰囲気を感じました。練習の後、汗臭い部員が自分に群がってきて、胸とかお尻とかを触られました。最初は嫌だと思ったんですが、次第に変な気分に変わっていきました」
「週に二回くらいですかね」
「はい。昨日できました」
緑蛙は、信号で停車している車のボーンネットにしがみついた。運転手は、携帯電話のメール打ちに夢中で、緑蛙に気づいていない。
車が走り出すと同時に、緑蛙の体に慣性の法則が働いた。太陽光で熱されたボーンネットに、緑蛙は手足の吸盤を必死に張り付かせて、視界を望んだ。
五分後、車はうまい具合に喉飴の事務所前を横切った。緑蛙は意を決して車から飛び降りた。アスファルトの道路に転がり、周囲を見ると後続の車が緑蛙に迫っている。緑蛙は必死に横へ飛び、それを交わした。
「うっ、冷たい」、顔に冷たい何かを掛けられて、喉飴は目を覚ました。しかし視界は真っ黒で何も見えない。体を動かそうとした瞬間、ジャラっと音を立てた金属が、その行為を許さない。
「目が覚めたかな?」と警察官は言った。
「これは何の真似ですか?」、喉飴は手足をバタバタさせた。
「うはは、AVの撮影でも始めるみたいだよな。喉飴さんよ」
「!」
この男警察官じゃない。喉飴は察した。
「おうおう、もっとバタバタもがいてくれよ。興奮しちまうぜ」、男は喉飴を拘束したベッド横でウロウロしている。
「喉飴さん、きっと今あなたはこう思っている。この男は警察じゃないと」。喉飴は何も返さず、次の言葉を待った。
「告白しましょう。実はさっき話した事件の犯人、私なんです」、喉飴は職業柄、この状況に危機的な緊張感をまだ持っていなかった。しかし男の告白を聞いて、初めて死を予感した。しかしこの時喉飴の手足には、逃げようという力が不思議と沸いてこなかった。
「あなたが犯人なの? 私はあなたの顔をしっかり見たわよ」
「ええ、そうでしょうね。でも大丈夫です、私が捕まることはありませんから」と男は言った。
「あんた誰なの?」
「おっと、顔はいいですが、身分をばらすわけにはいかないですね」
「……そう」、喉飴は力なく反応した。
「私がここに来た理由。それはあなたを犯人に仕立て上げるためなのですよ」
「!」
「動機はこういうことになるでしょう。撮影の相手に嫌悪していたAV女優は、撮影前に男を殺害し、何食わぬ顔で現場に現れたと」
この男は、自分のことをよく知っている。喉飴はそう感じた。
「馬鹿、言わないで、アリバイだってある」
「アリバイ?」
「私はその時、仕事をしていたし、一緒に何人もの人がそれを見ている」
少しの時間、間があった。
「その関係者は全て、これから死ぬとしたらどうしますか?」
「!」
この男、狂っている。男優の極太と一体何があったのかはわからないが、狂っている。そしてこの男の話している内容が、どう考えても嘘に聞こえてこない。
「そんな、こと。そんな無茶苦茶ありえない。あなた死刑になるわよ」
「目的を持って”ヒト”を殺した”人間”は、自分が死刑になるとか考えないものだよ。最後まで計画通り、隙なく行動するだけだ」
喉飴の全身を恐怖が覆った。見えない男が話し続ける内容は暴行に近い攻撃力があった。
「そして計画の第一歩は、あの男の死。第二歩目は君の遺書と自殺」
「誰かあああ!」、喉飴は見えない真っ黒の空間に声を張り上げた。その刹那、口に何かの布を押し込められた。
「んんん」
「余計な体力は使うな。正確に言うと君は自殺未遂に終わる。死にはしない。死んだら警察は、何かの臭いという疑念を抱く。君には生き延びてもらわねばならない。牢屋の中でずっとね」
喉飴の全身に鳥肌が立った。男の会話と、自分の肌に食い込んだ鋭利なものに。
「私はここに警察官が来るように仕組んできた。公衆電話にセットしたタイマーが15分後に稼動して、110番へ繋がる。出血多量の前に誰かが来るから、安心したまえ」と男は言って、口に詰めた布を取り出した。
「痛っ、あなた冷静になりなさいよ。自殺する人間がどうやって自分の手足を拘束できるの?」
喉飴の太ももに鋭利なナイフが食い込んで、少しずつ皮膚を裂いていく。
「手錠を解いてから逃げるさ」
「手首足首に跡が残るからすぐばれるわよ」
「ははは、あんたはAV女優だろ。そんなプレイいつもしてるんだろ」
SM物は未経験だよ、喉飴は心でそう唱えた。
「誰も疑わないさ、跡が残ってたって。そんな撮影をしていないと証言してくれるスタッフもこれから死ぬから安心しな」
確かに色々と用意されているようだ、そう正直に感じた。
「手錠を解いたら、あの男が犯人よと叫びながら、あなたを追いかけるわよ」
「大丈夫だ、またハンカチを当ててやるから。お前は俺専用の人形のように、意識を失ったり取り戻したりを繰り返す」
「……最低なやつね」
「その言葉、大嫌いだ」
その言葉を最後に、喉飴の見ていた真っ暗な画面が、真っ白な画面に遷移を始めた。誰か助けて、精治君、高草さん、里美、みどりが……そして、そのまま意識がなくなった。