【ウィーン発、スミス第14信】 


 4月29日月曜日、晴れのち曇り、時々雨。

 

 朝食後、ケルントナー通りのシュテファン大聖堂に近いジャルパックウィーン支社にゆく。オペラの切符の受け取りである。シュテファン広場で地下鉄を降り(この駅の身障者用エレベーターは、ガラスで丸見えだから、小便臭くない、他の駅のは、中で立小便をするやつが絶えないらしく臭い)、月曜日で市交通局の窓口が開いていたから、ウィーン市内交通路線全図を買う。これはお値打ちのもの地図なのだが、旅行者案内所などでは売っていない。土日だと窓口が閉まっていて買えない。

 

 さて、ジャルパックというのは旅行代理店で、それがあるビルの、同じ4階に航空会社のジャルもあって、まぎらわしい。

 

 せっかく旅行代理店に来たのだから、日本語観光バスの予約券もここで買うことにする。市内周遊+宮殿散策の3時間で、お一人様550シリング、うーむ、自分ひとりだったら、こんな高いツアーは買わんぞ。待てよ、ニューヨークでは200ドルのガイドツアーを買ったこともあった。あれよりだいぶ安いか、と1670シリング(約17,200円)をはらう。出発は明朝9時,オペラ座の前。車椅子もOKとのこと

 

 買い物をすれば、客である。パリのアランよりも日本語が上手なこの白人青年に、例のドクターの手紙を見せ、「重症のガン患者の最後の旅行」であることを話した後、気が重かったリコンファームの代行を頼む。電話だけなら、自分でもできるのだが、相手が「ペラペラ?」と質問してくるので立ち往生してしまう。「日本航空でもないのに、すいませんねぇ」といいつつ、6枚の航空券を見せる。ウィーン→モスクワ3枚、モスクワ→東京が3枚である。青年は、てきぱきと英語で電話し、「大丈夫です、リコンファームいたしました」といってくれる。

 


ケルトナー大通りのテラス・カフェ

 

 たったこれだけのことで、疲れてしまう。ケルントナー大通りのテラスカフェでオレンジジュースを頼んで、トイレ休憩にする。

 

 ふたたび地下鉄駅に戻り、今度はU3線と路面電車72番を乗り継いで、グリルカッセという郊外の町に行く。なんでかというとここには、新しい商店街ビル(アメリカでいうモールみたないな奴)があって、その2回が、ウィーンでも有数に大きなスーパーマーケットになっているからだ。ウィーンも3度目となると、つまらん知識がたまっている。これをカミサンに見せたかったからである。

 

 帰りは、グリルガッセから8番の路面電車に乗る。三角形の一辺を走って、ホテルの近くに来られる。このルートを地図で発見したのは次男であった。

 

 夜は、オペラ「アリアドネ」を見たが、そのあたりは、後日別に書こう。

【ウィーン発 スミス14信】

 

 4月30日火曜日、曇り。

 

シェーンブルン宮殿 

 

 日本語観光バスに乗る。市内周遊とシェーンブルン、ベルヴェデーレの両宮殿に寄る3時間コースだが、うち半分くらいはシェーンブルン宮殿の内部見学である。離宮とはいえ、皇帝陛下は一年の半分近くをここで過ごされたとのことで、西駅の裏側という、当時は郊外であったにちがいないロケーションだから、旧市内のホーフブルク宮殿などより規模はずっと大きい。

 
 午後は「自由時間」。夜はオペラ「愛の妙薬」の予定。

 

 

【ウィーン発 スミス15信】

 

 5月1日水曜日、晴れのち曇り。

 

 今朝は、午後2時まで、地下鉄、市電、バスなど、すべての交通機関が止まっている。商店、銀行などもすべて閉店している。こうなることを知ったのは、昨日の昼ごろだった。まさにパニックだった。

 

 土日も商店が閉まっていて困ったものだが、交通機関までが止まっては、予定していた観光はパーである。はやい話し、お昼ご飯をどうするか大問題になる。

 

 この騒ぎは何かというと、メーデーなのだ。オーストリアは社会党政権が長かったせいもあって、ことのほかメーデーがさかんな国なんだそうで、公共交通機関の使命もへったくれもないらしい、大会参加者は町々から行進してくるから、電車などはいらないんだろう。事実、ボクらのホテルの前も、午前8時すぎに長い長い行進が通過した。

 


ウィーンのステファン寺院

 

 音楽の都だけあって、要所要所にブラスバンドがはさまっているから、音だけでもたいそう引き締まった行進に見える。ときどき馬車もまじっている。シュテファン大聖堂の横やオペラ 座の裏にはたくさんの観光馬車が客待ちしているが、ああいう馬車の車庫は、ここいら場末にあるのだ。行列の馬車は、ひょっとしたら、それらの転用かもしれない。

 

 お昼ごはんは、きのうのうちに近所の市場でパン、ソーセージ、オレンジジュースなどを仕入れておいた。今朝は、ゆっくり休養である。

 

 【ウィーン発 スミス第16信】

 

 5月1日水曜日、曇り昼ごろ小雨。

 

 ボクがオペラを見るようになったのは、つい最近のことで った。クラシック音楽はけっこう聞いていたが、歌ものは苦手で、知っているオペラといえば、フィガロの結婚(これは大学の研究室の下級生にドイツ大使の娘がいて吹き込まれた)、カルメン、椿姫くらいのものであった。

 

 それを、yu**さんやグッ*さんのご指導で興味を持つようになり、ついに1992年の9月、56歳にしてはじめてオペラの舞台を見た。それが、ウィーン国立オペラ劇場で見たドニゼッティの「ランメルモールのルチア」であった。日本ではオペラを見たことがない男がいきなり本場の劇場に入ったのである。日本から国立劇場券売所にハガキを出し、安い席でいいと書いたのに一番高い席を割り当てられ、オーストリア銀行当てに振込んでドニゼッティの「ルチア」と、ロッシーニ「セビリャの理髪師」を予約しておいたのだ。

 

 さて、そのはじめてのオペラが、ウィーン、ドニゼッティ、主役のルチアは有名なソプラノのグルベローバであった。

 

 そして、ボクが見る最後のオペラもウィーン国立オペラ劇場でのドニゼッティであったことに、因縁のようなものを感じて昨夜は感慨ひとしおだった。もうひとつのキーワードのグルベローバも、前夜の「ナクソス島のアリアドネ」でたっぷりと彼女のコロラチューラを聞かせてもらった。

 

 「アリアドネ」のときは体調もよく、20分間にもわたるグルベローバへのカーテンコールもすべて見たが、昨夜は、上演中から上腹部に痛みを感じはじめていたし、歩くのにも疲労を感じて、国立オペラ座の客席や舞台を別れを惜しんで見つめるゆとりがなかった。「アリアドネ」のときは中央に近い2階桟敷の一番前の席で、身体にもラクだったが、ドニゼッティの「愛の妙薬」は、まん満ん中ではあったものの1階平土間で、おまけに前の席が身長も髪型もたいそう豊かなレディで、彼女が邪魔になって首を左右に移動しないと舞台が見えない。ボクの体調だとこれがけっこう疲れるのであった。

 

 あいかわらずウィーンの舞台は凝っていて、右手に2階建ての地主の住居、左手には同じく2階建ての納屋兼作業小屋、二つ建物が向い合って、その中間、舞台中央は地主の家の前庭になっている。奥行き中ほどに門、門の左右は低い塀、堀の外は左右にのびる道路、門の右外に1本の大きな松の木、道路の奥には畑やら丘が見え、遠くには村の教会。畑、丘、教会、空はスクリーン上の書き割。時刻の変化は、空の色だけ。第1幕は午後をあらわす青い空、第2幕は夕方のピンクの色。住宅、作業場、松の木などは昼光色のライトが見事な影を出している。クスリ屋の馬車は、本物の驢馬が引いていた。

 

 主役のうすらばか青年は、Keith Ikaia-Purdy というインド系らしき東洋人、地主の娘に求婚する軍曹殿は、Yu Chen というから中国系だろう。彼には「ウィーンオペラ座初出演」のマークがついていた。

【ウィーン発、スミス第12信】

 

 4月21日日曜日、晴れ。

 

 観光バスは9時15分に出るという。シティラマ社の発着所は、リヴォリ通りとピラミッド通りの交点、金色のジャンヌダーメ(ジャンヌダルク)像がある広場である。チュルリ公園とルーブル博物館の境目でもある。ホテルから歩いて5分くらい。途中に両替屋が何件もあったから、テストのため、すこしずづシャンジュ(チェンジ=両替のこと)してみる。店による差は意外に大きい。店頭の表示はアテにならない。実際に円を売ってみるのがよい。去年の旅行で長男が「一番率がいい」といったパリビジョン社の観光バス案内書の奥にある両替屋が、今回も最高だった。ついでは、意外にもホテルを出てすぐの、宿の目の前の店だった。

 

 シティラマ社の待合室には、日本語対応の女性スタッフがいて(時間帯による)、かなり流暢な日本語で教えてくれるから不安はないヨーロッパの常で、タバコは吸ったほうが勝ち。ちゃんと灰皿もある。

 

 定刻少し前に、白人の青年が現れ、まあまあの日本語で「今日は8人しかお客さんがいませんから、私がワゴン車を運転してご案内いたします。ただ、ご覧のように、パリマラソンが開かれておりますから、コースや順番の変更をお許しください。またルーブル美術館には、場合によっては徒歩で見ていただくかもしれません。」などの挨拶があり、9人乗りのワゴン車に乗せられる。

 


パリ市内観光 アランと

 

青年はアランといい、大学で日本語を学び、ツアーで日本にいったことはあるが、留学の経験はないという。敬語過剰なのと、アクセントにまだ西洋なまりがわずかに残るが、かなりなレベルの日本語である。ヴァンドーム広場、旧オペラ座、マドレーヌ寺院、コンコルド広場などを、かなりていねいに見せる。左右どちらの座席でも写真が撮れるように、車の向きも頻繁に変えてくれる。(どうやら、マラソン通過待ちの時間稼ぎもあるらしい。)その甲斐あって、リヴォリ通りの交通規制も終って、車のままルーブル宮殿の構内に入って、ここを徒歩でといわれたら、ボクは車に残るといっただろう。

 

 ルーブルとチュルリの説明がかなりあった後、コンコルド橋を渡って、サンジェルマン大通りに入る。


 【ウィーン発、スミス第13信】
 
 4月28日日曜日、晴れ、午後夕立。

 

 無事通信できているように見えるのだろうが、これが大変。


 1 ウィーンのアクセスポイントのピーボーガー音を、ボク
   のパソコンが認識しない。よって、東京へ国際電話。
 2 ACアダプタが故障。充電も不可能。よって乾電池だけ。

 

 モデムは電力を食う。乾電池はすぐなくなる。なくなってけっこう。持ってしまうと、ついつい読む。国際電話代かさむ。というわけで、書くだけでゴメン。緊急以外のメールはおことわり。

 


スイスからウィーンへ向かう車内

 

当ホテル・コルベックの電話番号は、日本からかけると、
  001-43-222-604-1773 
   HOTEL KOLBECK


スミスの部屋は、9番
 Room Number Nine, 
Mr IWASAWA please.

ただし、夜間は留守番電話。時差は日本の7時間遅れ。


日本時間で、
  14:00 - 16:00
  23:00 - 02:00
  06:00 - 07:00
は在室の可能性が高い。

 

(スミスの“タクシーチケット騒動”の書き込みを受けて)

 

 たしかに、1回分でもムダにしたくないという気持ちは分かるのですが。実は、出発前にRERに乗るときにユーロパスの一日分を使う話を聞いて、「イヤな予感……」と言う感じがしたのです。
 
 案の定、こんな結果になるなんて。「およそ1万円ボッタクラレタ」と言っていましたが、去年のように体力が旺盛なときならともかく、重い病気を患ってまでひとつの事柄に拘り、家族に不安な思いを募らせるとは、この文章を見て呆れてしまいました。

 

 素直に、空港からタクシーでホテルへ行くとか、RERで、地下鉄区間のシャトレ(パリ北駅から1駅先の乗換え駅で、ユーロパス指定外の駅です)まで現金で支払って(この場合は、体力と時間が最優先だと僕は思う)、そこから1号線に乗り換えればよかったのに……。あ~、頭イテェ~~~。

            by「“息子”はつらいよ・自宅待機」の舞 浜人

【ウィーン発、スミス第11信】

 

 夕食は、ロシア航空以来「洋食」にうんざりしているであろう二人を中華に誘う。目指すは、最近まで辻***さんがおすすめだったミラマー(美麗華)である。辻*さんは「最近はミラマーも味が落ちてダメになった」という。ボクは去年の経験で昼はダメで、夜はうまい、とおもったから夜ゆくことにしたのだ。

 

 ミラマーは、地下鉄サン・ミシェル駅からさほど遠くない。途中シャトレ駅で乗り換えがあり、階段のアップダウンも数か所ある。車椅子を諦め、往きは地下鉄、帰りはタクシーということにした。はたせるかな、シャトレ駅での乗り換えはつらかったが、逆にこのくらいの運動をしないと足が細くなってしまう。サン・ミシェル駅を出たところのバス停のベンチでだいぶ休憩した。妻や息子が、パリの盛り場にいるボクの写真を何枚も撮ってくれる。

 

 「ほら、去年の冬の旅行の写真に、兄さんが木のそばでアイスクリームを食べているのがあったろ、通りの向こう側を見てごらん。赤い車があるだろ、それに一番近い街路樹が、あのときの木なんだ」

 

 立ち上がってミラマーに向う。途中の沿道はほとんどがレストランである。というか、安食堂の並びである。いかがわしい感じの店もある。ギリシャ料理、中華料理、国籍不明のアジア料理、ピッツァと大書したリストランテ、テンプラ・スシ・カラオケの店もある。そういう料理街を抜けて、サンジャック通りに出る。出る角が中くらいの大きさのお寺さんで、その寺院
の向かいの小さな中華料理店が「美麗華」である。1階は詰め込んでもせいぜい三十数席、地階もあると聞くが、そっちは入ったことがない。

 

 ボクらが入ったときは、待たされこそしなかったが、ほぼ満席だった。東洋人らしき客もいるにはいたが、大半は白人である。みんな箸を使って食っている。

 

 スープ三種、牛肉と野菜炒め、チャーハン、湯麺を一つずつとる。ボクは本当は焼そばが食いたかったが、そんなに食べられるはずはない、といわれる。事実、少食のボクらにはこれでも多いくらいだった。クローネンブールのビールとミネラルウォータで乾杯した。

 

 出たらすでに8時過ぎだったが、なにせ時間の遅いパリのこと、やっと夕方かな、というくらいの明るさである。サン・ミシェル大通りまで、またレストラン街の喧騒を楽しみながら歩く。やたらとビデオを構えるボクを「ヨタモンに、ナンクセつけらたら困るからやめて」と、カミサンがたしなめる。

 

 大通りを、サンジェルマン大通りの方角に少し歩く。歩くといっても、悲しいくらいのろい。石段などを見つけてはときどき休む、歩いている本人よりも、みている家族のほうがつらい光景らしい。わずか百50メートルほどで「(ドクターストップならぬ)ファミリー・ストップ」がかかって、タクシーをひろって帰った。

 

 ホテルで、パソコン通信を試みる。結果は前に書いたとおり。材料も工具もすべて揃っているのに、工作する気力がまったく出ない。やれば、中途半端に投げ出すのは目に見えている。辻*さんから「必通の精神」を叩き込まれたはずの直弟子だが、今回だけは許してくれるだろう。 その許される自分が悲しい。

 

 それどころか、送信する文章をタイプする気力もない。(実は、このあたりは、ウィーンに向う列車の中、リンツ駅の前後でタイプしている、4月27日だから、まさに一週間遅れの日記である。今日は比較的気分がいい)。

 

 ともすれば、そのままベットで眠ってしまいそうな家族を、それでは時差ボケが抜けない、と叱る。かねてから用意の周波数のリストを出し、ポケットラジオをイヤホンからスピーカーに切り替え91.6MHz、95.6MHz、96.4MHzなど、クラッシック音楽の番組が多い局をスキャンする。

 

 前の晩に懲りたから、痛み止めの座薬をいれ、睡眠薬を飲んで眠る。

【ウィーン発、スミス第9信】


ホテル近く ヴァンドーム

 

ヨーロッパでの第1日目の「観光」を何にするかは、悩むところであった。第1日目は観光バスに乗って市内の概観をつかむというのが定石だろうが、ボクとしては、26ヶ国語対応、あらゆる言語のテープでご利用いただけます、みたいなバスではイヤである。ちゃんと日本語をしゃべる人間がガイドするバスに乗りたかった。そういうのは、たいてい予約制である。今日土曜日に予約して日曜に乗った方がよさそうだ。

 そうそう、土曜日といえば、ナシオンの朝市も、サンジェルマンの大通りモーベル・ミューティアリテの朝市土曜と水曜であった。水曜日は、次のチューリッヒに向う日で、朝市どころではない。朝市を見るなら今朝しかない。これで決まりであった。

 借りた車椅子を地下鉄1号線に乗せ、ナシオンに向う。モーベル・ミューティアリテの朝市は、小さな広場にぎっしりと店が並び、散漫でない点は好きなのだが、通路が細いから車椅子は通しにくかろう。ナシオンの朝市だと、大通りの脇の側道を一直線に店が並ぶ方式だから、車椅子は通しやすそうだ、というのがナシオンに向った理由だが、地下鉄1号線だけで乗り換えなし、というのも病人向きである。

 

 ナシオンで、昔の関所跡とも言える門の遺跡を見せ、ここが場末情緒のあふれる街であることを説明し、ここが去年泊まったアガテホテル、このタバコ屋でジャンボン・フロマージュとカフェオレの朝食をとり、このコインランドリーで熱湯洗濯の経験をしたなどと語る。

 


パリ朝市

 

 快晴の日本晴れ、じゃあない、フランス晴れ、木々の新緑は出そろい、朝市は賑わっている。「パルドン」「メルシ」の連発で車椅子はゆっくり進む。
「わーすごい」「見てみて」「ちょっと、あれ何かしら」「買いたいけど、かさばるからダメでしょ」なりふり構わず東洋人夫妻の会話が続く。「あれとあれを帰りに買いましょう」ということで、往きは見るだけ。終点まで歩いたら、3人とも疲れ果てて、「お茶しましょ」と意見が一致する。その交差点は角店が全部カフェである。その一軒に入る。

 


パリのカフェ 朝市後

 

カフェオレ三つと、クロック・ムッシュ一皿を頼む。クロック・ムッシュ(Un croque monsieur, s'il vous plait.) は、覚えておいて損はない。要するにチーズ・トーストみたいなもので、観光途中で立ち寄ったカフェで、軽くお腹に入れたいときに適している。 食べたくはないが、温かい飲物をたっぷり欲しいときならば、それこそショコラである。マグカップより大きいかというカップに、熱した牛乳を入れ、ココアの袋と角砂糖を添えてくれる。牛乳の熱さとココアや砂糖の甘みが、心まで温めてくれる。

 

 車椅子を折りたたんで店内の片隅に置かせてもらい、ゆっくりとカフェオレをすする。地下のトイレが、しゃがんで用を足すいわば和式に近いものであることにびっくりし、お互いに記念写真のシャッターを押しあう。今、まさにパリのキャフェにいるのである。

 

 朝市では、結局、チョコレート粒の入った長いパン、キャンディーやヌガーを欲しいだけザルにとってグラムいくらで買う駄菓子、イチゴを1パック、ハンカチの6枚セット、などを買った。帰りは疲れたからタクシーにした。車椅子はたたんでも案外大きく、ワゴンタクシーでないと乗らなかった。 

 

【ウィーン発、スミス第10信】

 

 ホテルに帰りつくと、3人とも疲れていた。食事に出る元気もなかった。そうだ、日本は、いまごご9時ごろ、長男も勤めから戻っているだろう。電話してみよう。カミサンは、公衆電話からテレホンカードでかけてみたい、という。けっこうな心がけだ。

 

 タバコ屋をさがしなさい。そこで「プチ・テレカルト、シルヴプレ」といってごらん。40フランと60銭のはずだから、これでちょうどの筈、もし足りないといわれたら、100フラン札を出しておつりをもらえばいい、といって送り出した。実はホテルのフロントでも買えるのだが、経験のためである

 

 心配になって、外に出てみたら、ちょうどタバコ屋から戻るところであった。曲がり角にパン屋があった。ここで買って ってホテルで食べれば、という。そうだ、俺はいつもそういう旅行ばかりしてきたのだ。ジャンポン・フロマージュなど、バゲットのサンドイッチを2本買った。

 

 電話といっても、「元気?」「車椅子は予定通り借りられたよ」「おばあちゃんは、大丈夫?」などいうたあいもない会話だけで、テレカルトの度数はどんどん減ってゆく。40.6フラン(9百円)のカードは、日本にかけると約5分でなくなってしまう(1フランは、最もレートの悪い両替店で21.6円、空港の銀行で23円、悪い両替店で25.4円であった。以後22円として話をすすめる)。

 

 フロントで、明日の観光バスを予約する。日本語の人間ガイドつきと念を押す。日本人フロントは便利だ。ついでにチューリッヒとウィーンのホテルに、車椅子手配依頼のファックスを打ってもらう。

 

ホテルに届いたお花

 

部屋に戻るとすぐ、大きな花束が届いてびっくりする。ヒマワリ3輪を中心とした大きなもので、大きな花瓶がなくては差せない。誰からだろう。カードを読む。フローム・ミスター・アンド・ミセス・イナ*、、いやあ、パソコン通信での友人、稲*夫妻からのものであった。

 

フロントで大きな花瓶を借りる。「まるで、ゴッホの絵みたい! パソコン通信のお友達ってすごいことをなさるのね、とってもうれしい。部屋が急に明るくなったみたい」

 

 車椅子依頼のファックスの返事は、意外に早く来た。ウィーンは「手持ちはないが、できるだけ努力する」で、チューリッヒからは、「残念ながら、これという当てもなく、ご協力できない」というものであった。前途多難。

 

 

 電話をかけたり、夕べからそのままの荷物をほどいたりしたら早くも午後3時過ぎ。夕食まで「自由時間」にすることにした。自由時間というのは、早く言えば昼寝の時間である。ボクは病身神さんハイな無理の名人、次男は疲れやすい体質ということで、今回の旅行では、観光は午前中だけ、午後は自由時間、というのがお決まりのパターンになった。

 

チューリッヒ駅


チューリッヒ市内観光

ペスタロッチ銅像前

 

 

チューリッヒ湖

【ウィーン発、スミス第8信】

 

  4月20日土曜日、快晴。

 

 ヨーロッパ最初の朝は、6時半ごろ目覚めた。カミサンはすでに起きていた(時差に弱い奴は早寝早起きなんだ)。ボクは例によってぐずぐずと起き上がり、着替える。
 朝食は0階の日本料理店「TAISHIN(体心)」でお出しする、と聞いていたから、0階に降りてみる。まだ誰も客は入っていない。表戸は閉まっており、ホテル内からの出入口から入るらしい。7時半ごろ、意を決して入ってみる。すでに用意はできていた。

 

 日本料理店、と入っても、出す朝食は、ふつうのプチ・デジュネである。店内の奥のほうに、皿、パン、バター、ジャム、オレンジジュース、トマトジュースなどが並んでいる。コーヒー以外は、セルフサービスらしい。ウェイトレスが型どおりに、「カフェ?オアショコラ?」と聞いてくる。ショコラも好きな飲み物だが、食事向きとはおもわない。あれは、散歩してつかれたとき、カフェに入って注文するものだ。当然カフェ(コーヒー)にする。トマトジュースを採ってくるが、氷はわざと入れない。腹が冷えるのを警戒するからだ。

 

 パンは、クロワッサンと、もう一種、名前は知らぬが固いパンがある。客の半分以上は日本人だから、彼らは当然ことごとくパンをちぎって食う。だが、西洋人の客は申し合わせたようにナイフで横に切る。たとえクロワッサンでもだ。2枚におろしたパンの片身ごとに、バターやら、ジャムを塗りたくって片身づつ食っている。

 

 食後にタバコが吸いたくなった。ここは禁煙なのか?ウェイトレスに、「メイ・アイ・スモーク?」などと聞いてみる。「OK 」だそうだ。ここで、必要上覚えたフランス語を使ってみる。「アン・サンドリエ・シルヴプレ(お灰皿を拝借)」というと、ちゃんと灰皿が出てきた。ボクのフランス語でも、通じることがあるんだ。

【ウィーン発 スミス第5信】


 20:40(日本時間は20日の03:40)ごろ、パリのシャルルドゴール空港に着く。入国審査はあらかじめ東京から用意してきた入国申請書を出してパスポートを見せるだけでおわり。以前とちがって、出たところには銀行などない。案内所で聞いて、自動両替機を教えてもらう。金曜の夜であることに配慮して、土日の生活費として5万円を売ることにする。テストに5千円を売ってみる。FF217になった。1フラン23円ちょうど。高めだなとは思うが、日曜日でも開いている街の両替屋にはもっと高い店もあるはずで、残り全額を売ってしまう。4万円は、FF1,740だった。

 

 去年は第2ターミナルだったから、国電の駅まで歩いて行けたが、今回は駅への行き方がわからない。タクシーでホテルに乗れればいいのだが、ユーロパスは余すにきまっているし、パリの国電を経験させるチャンスはこれしかない。いろいろ質問して28番ゲートのバスに乗るんだとわかる。バスはタダだが、とんでもスピードでとばす。カーブのたびに荷物を押えるのに必死であった。

 

 窓口で、たったこれだけの乗車にユーロパスの1日分を使ってしまってよいのか、と念を押される。夜だから空いている。近くの座席の男が、「自分は航空会社に勤めていて、成田も羽田も経験がある」などという。

 

パリ構内

 

 去年の感覚より早く北駅に着く。ホームにエスカレーターはない。ボクが荷物番をして、カミサンと次男が交互に荷物を運び上げる。改札を出た。いよいよパリである。ここで、みなさまご期待の「被害」に出会った。さあ、今度はどんな間抜けぶりか、次のページのお楽しみである。

【ウィーン発、スミス第6信】

 

 改札を出て直進しはじめたとき、直角に交わる通路を一人の白人青年が歩いてきた。車で言うと、「十字路での出会いがしらの衝突」的な場面になった。ボクらは本能敵に止まり、青年も止まった。青年はにっこりとして、手で「どうぞお先に」的な合図をした。

 

 これで進んでゆけば、これからの話はなかったかもしれない。だが、近くに人影はなく、掲示もない。タクシー乗り場の方角に自信がなかったから、そのニッコリ青年に「タクシー乗り場は、こっちに行けばいいんですよね」と念を押してしまった。以下の会話は、すべて英語であり、理解できなかった部分は推定である。

 

 青年「うーん、そっちでいいんだけど、タクシーチケットは
   持っていますか?」
 ボク「いいえ、でもあれは現金でしょ」
 青年「チケットだと、現金よりずっと割安です。ほら、あそ
   こに自動販売機があるでしょう」
 ボク「?」
 青年「来て御覧なさい。このボタンとこのボタンを押すんで
   す。そうしてこうやってクレディットカードを入れる。ほ
   らチケット出てきたでしょ」
 ボク「なるほど、やってみましょう」(と、自分のクレディッ
   トカードを出す)
 青年「ノン、ノン、いま私が自分のカードであなたの分を買っ
   てあげたのです。あなたは、このチケットを受け取って、
   その分を私に現金でくれればいいのです」
 ボク「いくらですか?」
 青年「411フランです」
 ボク「ボクの乗る距離は、せいぜい、100フラン以下なんです
   けど」
 青年「心配ご無用、このチケットは 500フラン分になるまで
   何回だって乗れるんです。ね、さっき得するって言ったで
   しょ」

 

 ここまできても、おめでたいボクは、まだ詐欺だと気づかなかった。なけなしのお金から百フラン紙幣を5枚渡した。彼は正確に89フランのお釣りをくれた。青年は、乗り場までお送りしますよといって、いっしょにに歩き出した。すると、うしろのほうから彼を呼び止める若い女性が現れた。彼と彼女は二言三言話し、青年は戻って来た。「いやあ、友達に出会っちゃってね。なあにタクシー乗り場はここをまっすぐ進めばいいんですから、私はこれで失礼します」といって、彼女のほうに走っていった。

 

 おめでたいボクは、青年に無駄足させずにすんだことを、むしろ喜んだ。

 

 タクシーに乗る。あらかじめタイプしてきたホテル・モンタボーの住所や電話番号を書いたカードを運転手に見せ、走る車中で、ペンライトと老眼鏡とフランス語の辞書を出し、支払うときの用意に、「タクシー・チケット」の文面を読んだ。

 

 血の気の引くおもいであった。「チケットには「411フラン、乗車券代として領収、4月19日、フランス国鉄」と書いてあったのである。「タクシー」などという文字はどこにもなかった。

 

 解説しよう。彼は、自動販売機で買える、おそらく最高の金額の乗車券を買い、「領収書必要」のボタンを押したのであろう。切符の本券は自分がそっと抜き、後から出てきた領収書をボクに抜かせた。女はグルであり、切符は、適当な理由をつけて払い戻すのであろう。かくして、かれはやすやすと1万円相当のフランを稼いだのだのであった。

 

 ボクは、4年前のフランクフルトのときのように、パスポート入りのカバンを置き引きされたのではなく、1万円の授業料だけですませることができた。めでたし、めでたし。

【ウィーン発、スミス第7信】

 

チュルリ公園にて

 

着いたホテルは、チュルリ公園のすぐそば、都心でも目抜きといえる場所で、東京でいえば、銀座の裏通りに宿を取ったようなものである。

 辻***さんが、いつもボクらにすすめているナシオンのアガテホテルではなく、このホテルモンタボーを予約してくれたのには、それなりのわけがある。都心で、地の利がいいことだけではない。このホテルは、日本の「地産ホテルチェーン」に属している関係で、日本人職員がいる。ボクが確認しただけでもフロントのスタッフには日本人が3人いて、昼間の時間帯にはそのうちの誰かが立っていることが多い。

 

 このホテルは、同じく地産グループの旅行代理店「ミヒロツーリスト」が、日本での窓口になっている。ボクは、そこに電話して、事情を話し、車椅子の手配を頼んだところ、ホテルが車椅子を所有していて、貸してくれるという返事であった。

 

 北駅から、タクシーで着いた。病人の負担が少ないようにと、部屋は1階に割り振ってあった。部屋番号は121と123である。西洋風に言う1階だから日本風にいえば2階である。エレベーターが小さいから、場合によっては階段も使う。たったのワンフロアだからボクにも階段で上下できる。

 

 どちらもツインルームだったが、123のほうが若干広い。こちらをボクら夫婦にして、もう一方をシングルユースで使うことにした。

 

 その夜は、いうまでもなく、バタンキューである。ボクも、おおいに眠かったから、睡眠薬は不要と考えて寝た。すぐ眠れたが夜中に痛みで目が覚めてしまった。すぐ起きて排便。機内食からポケットに入れてきたロシアパンを食い、エヴィアンを飲む。痛み止めの座薬を差して、椅子に腰掛け、じっと耐える。明日からは、睡眠薬を飲むと心に誓う。文庫本の小説を出して読もうとするが、ページがぜんぜん進まず諦める。ポケットラジオを出し、5.6MHzのクラッシック音楽を聞く。約1時間後、横になれるくらいには収まった。すぐ眠れた。

【ウィーン発、スミス第3信】


 さて、そのロシア航空のファーストクラスの食事だが、これは、旅なれた辻***さんが誉めているくらいだから、機内食としてはトップクラスなのだろう。ふだんエコノミーにしか乗ってないボクにとっては、くらべようもないが、3時間にもおよぶご馳走で、大満足だったことは言うまでもない。


 出発前、辻*さんからこの話を聞いて、消化器系の病気のボクにとっては猫に小判、くやしいおもいをするだけだ、と思っていたが、どうしてどうして、体調が比較的よかったのだろう、すべてのメニューで、3分の2くらいを食べることができた。サラダとかつけあわせの野菜など、野菜類は全部食べてしまった。ただお酒類は、あまり気がシャンパンと赤ワインを1杯ずつ飲んだだけで、あとは、紅茶や、氷抜きのミネラルウォーターですませた。


 乗り込んですぐ、スチュワーデスのキャップと思しきオバサマに、例のがんセンターからの紹介状のコピーを渡しておいたのだが、これは一応効果があったようで、クルーは、ほかの乗客より何かと配慮してくれるのが感じられた。さりとて、余分な質問をしにくるわけでもなく、とりわけうるさいと感じさせなかったのは見事だった。


 食事は、モスクワ空港に着く前に、もう一度、もっと軽いものが出た。これも半分ぐらい平らげたが、食後のチーズはパスしたし、デザートのタルトは一つだけもらってカミサンと半分わけにした。


 次男の報告によれば、エコノミークラスの食事はかなりまずいものだったらしい。不慣れな長距離飛行で、次男は体調を崩し、2度目の食事は断って寝ていたという。

【ウィーン発、スミス第4信】


 ロシアを誉めるのは、ここまでである。

 

 機内音楽というか、座席の脇にイヤホンを差すあれ、これはボクの経験上2番目にわるかった。1番はノースウエストで、これは座席ワンブロックが電気系統の故障で、読書灯、イヤホンは全滅であった。整備不良で飛んでいるという印象は否めない。で、ロシア航空に戻るが、1~10ch切り替えられるのに、1はロシア語の映画音声。2が同じく英語音声。3~6chは無音。7と8が音楽だが、明らかにロシアのポピュラーで、それも、音質劣悪、音量不足。9と10はこれまた空白チャンネルというお粗末さであった。この会社の便を利用するにはウォークマンもしくはディスクマン(*どちらも商標です)が必需品である。ボクは少しでも荷物を軽くするために持たなかった。


 SU578は成田発パリ行きである。だが。モスクワに寄らないことには大義名分が立たない。モスクワ時間17:30{日本時間で22:30}に着陸、18:40分に離陸した。そのさい乗客は全員ターミナルビル内に出る必要がある。乗務員は全員交代する。ボクらの隣の席の日本人は、「機内清掃があります、彼等は日本人とは価値観が違いますから、ささいなものでも盗みます。全部持っていったほうがいいですよ」という。次男は体調をくずし、ボクは体力がない。全部は出せない。一番大きなカバンに雑物を詰め替え、カギをかけて残すことにした。


 さて、降りてみると、案内がまことに不親切である。降りた乗客は、3つのグループに分かれるはずである。モスクワに用がある人、ここでロンドン行きとかストックホルム行きとかに乗り換える人、終点パリまで乗る人、この三つだ。英語で言うなら、エクジット、トランスファー、トランジットになるんだとおもう。


 まず、この区別の説明が不十分である。降りた客がぞろぞろ歩く。大韓航空のソウル空港なら、ここでくどいくらいに、エクジットはこっち、トランスファーのパリはこっち、フランクフルトは長い廊下を歩いて突き当たりの12番、と案内するし、英語の案内表示もたくさんある。振り分けのないままたくさん歩くと、違う列なのではと不安になる。掲示は一切ない。しかも
途中でしばしば仕切で行き止まりになる。じつはこの行き止まりはグループ制御のための一時的封鎖なのだが、そんなことはわからないから、戻る人も出てくる。


 やっと振り分けがはじまり、パリ行きのトランジットはこっちだとわかるが、なんとそこでは、航空券の本券を見せろという。ボーディングパスを見せると、ダメだ、とばかりに、太ったオバチャン係員は本券の見本を指さす。本券なんて帰りの搭乗まで不要なはずだから、胴巻き深くしまいこんである。カーディガンやシャツのボタンをはずし、ズボンを緩め、手探りでチョッキ型胴巻きのファスナーを開く。体力のないボクは、これだけでヘトヘトである。後ろに長い待ち行列ができてしまう。


 オバチャンは、念入りに航空券を調べ、「よし、あっち!」と指さす。どっちへ行ってよいかわからない。どこで待てともいわない。右にも左にも免税店が並んでいる。本当は左に行くべきだったのだが、ボクらは不幸にも右にいってしまった途中で疲れはてて椅子に座り込まざるをえなかった。そのあいだに、同行の日本人たちは先に行ってしまい、ボクらだけ取り残された。


 次男は体調をわるくトイレにいった。ボクが荷物番をして、カミサンを偵察斥候に出す。彼女は日本人らしき人を見ては問いかけたのだそうだ。だが、便がちがったり、同じく迷子になった人だったりで、必要な情報はなかなか得られない。やっと、出発便掲示のある場所を教えてもらい(それが左の免税店の奥であった)そっちへ急ごうとすると、例の金属検査が待っていた。ロシアの大男が、官僚的命令口調でポケットの中身を全部出させ、あげくに、ボクの患っている腸のあたりをポンポン叩いた。そして早口でなにかいう。わかるわけがない。すると日本語で、「もう一度」といいやがった。例の金属探知ゲイトをくぐれということらしい。日本語がいえるのなら早くいえ、っつーんだ。喧嘩したいが、「身柄」されても困るから黙って耐えた。


 18:40 妙に正確にエアバスは動き出した。あと4時間でパリである。だが、滑走路直前でひたすら待つ。着陸優先だからしかたがないのだが、なんと11機もの着陸を見送った。あんな広い空港なのだ。離陸線と着陸線を分けることはできないのか。


 この便では、かなり乗客のメンバーがかわり、ファーストクラスではボクら以外は全部入れ替わり、9人になった。もはや日本人はいない。ヴァイオリンを抱えた人はプロの音楽家なのだろう。かれはどっちに向かったのか。


 ビジネスクラスはかなり埋まって、喫煙席利用はしにくくなったがありがたいことに、ファーストクラスの喫煙席に空きができて困らなかった。この便でも軽めな食事が出たが、半分も食べられなかった。

【ウィーン発、スミス第1信】
 

 いままで現地からの書き込みをせずにいて、ごめんなさい。つなげない状態でいたのです。
 パリのホテルの室内の電話線は、壁側がパソコンの拡張用スロットのカードの接点のように、刃みたいなプラグで、接点は4つが縦一列に並んでいました。プラグ側がオス、コンセント側がメスです電話機側は直結です。


 4本のうちどれが局線か、回線チェッカーで調べればわかるはずです。局線の2本になんとか銅線つなげるとか、あるいは被服をむいて10センチくらいの間隔でワニ口をかませればよいのはわかってます。それらの材料や工具は用意してきました。


 しかし、病気というのは悲しいもので、どれひとつやる気力がないのです。やっとの思いでカプラーのセットをしました。タイムネットのパリを呼びます。なんなく接続できました。聞き覚えのあるピィーっという音がカプラーから漏れてきます。これでよし、とおもったのですが、please type your terminal identifier が出ないのです。それどころかCONNECT 2400 が出ないのです。電話番号を変えてみたり、よその都市のにかけてみたり、果てには日本に国際電話をかけてアスキーネットの東京にかけてみました。これならCONNECT 2400/V,42bits login User ID:と出るはずです。これもダメでした。原因はカプラーのスピーカー側に耳を当ててみればわかりました。出力レベルが小さすぎるのです。LOW/HIGHの切り替えをしてもダメです。


 じつは、出発前、カプラーには、新品の電池を入れましたが、接続テストはしていませんでした。チューリッヒのホテルも、壁側は2列3行の6接点で、電話機側は直結ですから、状況はパリと同じようなものです。いさぎよくパリとチューリッヒからの発信をあきらめることにしました。ウィーンは電話機側がモジュラですから、なんとかなるかもしれません。


 そのあいだは、旅行記を書きとめておけばいいんですが、文章をタイプする気力もないときも多く、かけないかもしれません。毎日午前中だけしか観光しないのに、午後はぐったりしてしまっているのです。

【ウィーン発、スミス第2信】

 ボンジュール、パリは今朝です(本当は、パリからこれを一度書いて、誰かさんの餌食になってみたかったんです。当然のことながら、朝食のパンは横に切った、ということも書かねばなりません。本当に横に切るんですよ、クロワッサンだろうと固いパンだろうと、申し合わせたように)でもここはウィーンです。でも順序だから19日の出発から書きます。
 


 目白駅 成田に行く前

 ボクら3人は、午前8時に家を出た。予約してあったワゴンタクシーでJR目白駅へ向い、そこから電車に乗った、日暮里を9:26に出る京成電鉄「スカイライナー」で、10時20分ごろ成田の第2ターミナルについた。航空会社のチェックインや、出国審査などを手短にすませて、ラウンジ「あすか」で30分ほど休息した。

次男はエコノミークラスの乗客だが、ボクら夫婦の連れということで「あすか」を利用させてもらった。ラウンジ側は、利用客一人につきいくらと、航空会社に請求するものらしい。ロシア航空(アエロフロート)に電話してこういう家族が来たがよろしいか、と聞き、電話の相手の名前を書き留めてから次男が入るのを許してくれた。体力のない僕にとってこの休憩はとてもありがたかった。

 ロシア航空のSU576便は12:00発ということであったが、ターミナルを離れたのは12:14ごろ、離陸したのは、12:35であった。順調に出発できたといってよい。

 


 ロシア航空機内

 ロシアの飛行機だというのだから、イリューシンとか、ツポレフというような機材なのかとおもっていたが、意外にも「西側」の機材、エアバス-310であった説明によると、これらのエアバスには、チャイコフスキー、スクリャービン、ムソルグスキー、ラフマニコフら、ロシアの作曲家の名前がついていて、ボクらが乗ったのは「チャイコフスキー」なのだそうである。

 座席数は183席で、747-400などにくらべると、かなり小さく感じる。最前部がファーストクラスで、2行6列の12席、前後の間隔は窓3つ分、ボクら夫婦を含めて8人が乗った。つい
でビジネスクラスで、5行7列35席、前後は窓二つ半。乗客は4人しかいなかった。ここには、乗務員の仮眠室もある。そのうしろがエコノミークラス、こちらは基本的には8列で、後のほうは7列である。前後は窓二つ分。こっちはほぼ満席であった。なにせヨーロッパ往復が4月のネダンで9万何千円であるから、売れて当然かもしれない。

どのクラスも、前のほうが禁煙席、後ろが喫煙席で、間違いから禁煙席に座るはめになったボクは、しばしばビジネスクラスの喫煙席を利用した。機内販売で、Marlboro Lights を買った。クレディットカードはダメで、日本円ならコインでもいいとのこと、1600円払った。

 ファーストクラスのボクらは、やたらに物を貰った。チャックつきのケースに入った化粧品セット、ロシア土産でよく見るロシアこけし(人形が胴から二つに離れるようになっていて、あけると一回り小さい人形が出てくる、それを開けると孫人形が出てくる、それをあけるとまた人形が……)、機内用簡易スリッパなどである。ロシアこけしはモスクワ離陸後にも貰ったから4個も溜まった。近所のお土産にしよう。