【ウィーン発、スミス第14信】 


 4月29日月曜日、晴れのち曇り、時々雨。

 

 朝食後、ケルントナー通りのシュテファン大聖堂に近いジャルパックウィーン支社にゆく。オペラの切符の受け取りである。シュテファン広場で地下鉄を降り(この駅の身障者用エレベーターは、ガラスで丸見えだから、小便臭くない、他の駅のは、中で立小便をするやつが絶えないらしく臭い)、月曜日で市交通局の窓口が開いていたから、ウィーン市内交通路線全図を買う。これはお値打ちのもの地図なのだが、旅行者案内所などでは売っていない。土日だと窓口が閉まっていて買えない。

 

 さて、ジャルパックというのは旅行代理店で、それがあるビルの、同じ4階に航空会社のジャルもあって、まぎらわしい。

 

 せっかく旅行代理店に来たのだから、日本語観光バスの予約券もここで買うことにする。市内周遊+宮殿散策の3時間で、お一人様550シリング、うーむ、自分ひとりだったら、こんな高いツアーは買わんぞ。待てよ、ニューヨークでは200ドルのガイドツアーを買ったこともあった。あれよりだいぶ安いか、と1670シリング(約17,200円)をはらう。出発は明朝9時,オペラ座の前。車椅子もOKとのこと

 

 買い物をすれば、客である。パリのアランよりも日本語が上手なこの白人青年に、例のドクターの手紙を見せ、「重症のガン患者の最後の旅行」であることを話した後、気が重かったリコンファームの代行を頼む。電話だけなら、自分でもできるのだが、相手が「ペラペラ?」と質問してくるので立ち往生してしまう。「日本航空でもないのに、すいませんねぇ」といいつつ、6枚の航空券を見せる。ウィーン→モスクワ3枚、モスクワ→東京が3枚である。青年は、てきぱきと英語で電話し、「大丈夫です、リコンファームいたしました」といってくれる。

 


ケルトナー大通りのテラス・カフェ

 

 たったこれだけのことで、疲れてしまう。ケルントナー大通りのテラスカフェでオレンジジュースを頼んで、トイレ休憩にする。

 

 ふたたび地下鉄駅に戻り、今度はU3線と路面電車72番を乗り継いで、グリルカッセという郊外の町に行く。なんでかというとここには、新しい商店街ビル(アメリカでいうモールみたないな奴)があって、その2回が、ウィーンでも有数に大きなスーパーマーケットになっているからだ。ウィーンも3度目となると、つまらん知識がたまっている。これをカミサンに見せたかったからである。

 

 帰りは、グリルガッセから8番の路面電車に乗る。三角形の一辺を走って、ホテルの近くに来られる。このルートを地図で発見したのは次男であった。

 

 夜は、オペラ「アリアドネ」を見たが、そのあたりは、後日別に書こう。

【ウィーン発 スミス14信】

 

 4月30日火曜日、曇り。

 

シェーンブルン宮殿 

 

 日本語観光バスに乗る。市内周遊とシェーンブルン、ベルヴェデーレの両宮殿に寄る3時間コースだが、うち半分くらいはシェーンブルン宮殿の内部見学である。離宮とはいえ、皇帝陛下は一年の半分近くをここで過ごされたとのことで、西駅の裏側という、当時は郊外であったにちがいないロケーションだから、旧市内のホーフブルク宮殿などより規模はずっと大きい。

 
 午後は「自由時間」。夜はオペラ「愛の妙薬」の予定。

 

 

【ウィーン発 スミス15信】

 

 5月1日水曜日、晴れのち曇り。

 

 今朝は、午後2時まで、地下鉄、市電、バスなど、すべての交通機関が止まっている。商店、銀行などもすべて閉店している。こうなることを知ったのは、昨日の昼ごろだった。まさにパニックだった。

 

 土日も商店が閉まっていて困ったものだが、交通機関までが止まっては、予定していた観光はパーである。はやい話し、お昼ご飯をどうするか大問題になる。

 

 この騒ぎは何かというと、メーデーなのだ。オーストリアは社会党政権が長かったせいもあって、ことのほかメーデーがさかんな国なんだそうで、公共交通機関の使命もへったくれもないらしい、大会参加者は町々から行進してくるから、電車などはいらないんだろう。事実、ボクらのホテルの前も、午前8時すぎに長い長い行進が通過した。

 


ウィーンのステファン寺院

 

 音楽の都だけあって、要所要所にブラスバンドがはさまっているから、音だけでもたいそう引き締まった行進に見える。ときどき馬車もまじっている。シュテファン大聖堂の横やオペラ 座の裏にはたくさんの観光馬車が客待ちしているが、ああいう馬車の車庫は、ここいら場末にあるのだ。行列の馬車は、ひょっとしたら、それらの転用かもしれない。

 

 お昼ごはんは、きのうのうちに近所の市場でパン、ソーセージ、オレンジジュースなどを仕入れておいた。今朝は、ゆっくり休養である。

 

 【ウィーン発 スミス第16信】

 

 5月1日水曜日、曇り昼ごろ小雨。

 

 ボクがオペラを見るようになったのは、つい最近のことで った。クラシック音楽はけっこう聞いていたが、歌ものは苦手で、知っているオペラといえば、フィガロの結婚(これは大学の研究室の下級生にドイツ大使の娘がいて吹き込まれた)、カルメン、椿姫くらいのものであった。

 

 それを、yu**さんやグッ*さんのご指導で興味を持つようになり、ついに1992年の9月、56歳にしてはじめてオペラの舞台を見た。それが、ウィーン国立オペラ劇場で見たドニゼッティの「ランメルモールのルチア」であった。日本ではオペラを見たことがない男がいきなり本場の劇場に入ったのである。日本から国立劇場券売所にハガキを出し、安い席でいいと書いたのに一番高い席を割り当てられ、オーストリア銀行当てに振込んでドニゼッティの「ルチア」と、ロッシーニ「セビリャの理髪師」を予約しておいたのだ。

 

 さて、そのはじめてのオペラが、ウィーン、ドニゼッティ、主役のルチアは有名なソプラノのグルベローバであった。

 

 そして、ボクが見る最後のオペラもウィーン国立オペラ劇場でのドニゼッティであったことに、因縁のようなものを感じて昨夜は感慨ひとしおだった。もうひとつのキーワードのグルベローバも、前夜の「ナクソス島のアリアドネ」でたっぷりと彼女のコロラチューラを聞かせてもらった。

 

 「アリアドネ」のときは体調もよく、20分間にもわたるグルベローバへのカーテンコールもすべて見たが、昨夜は、上演中から上腹部に痛みを感じはじめていたし、歩くのにも疲労を感じて、国立オペラ座の客席や舞台を別れを惜しんで見つめるゆとりがなかった。「アリアドネ」のときは中央に近い2階桟敷の一番前の席で、身体にもラクだったが、ドニゼッティの「愛の妙薬」は、まん満ん中ではあったものの1階平土間で、おまけに前の席が身長も髪型もたいそう豊かなレディで、彼女が邪魔になって首を左右に移動しないと舞台が見えない。ボクの体調だとこれがけっこう疲れるのであった。

 

 あいかわらずウィーンの舞台は凝っていて、右手に2階建ての地主の住居、左手には同じく2階建ての納屋兼作業小屋、二つ建物が向い合って、その中間、舞台中央は地主の家の前庭になっている。奥行き中ほどに門、門の左右は低い塀、堀の外は左右にのびる道路、門の右外に1本の大きな松の木、道路の奥には畑やら丘が見え、遠くには村の教会。畑、丘、教会、空はスクリーン上の書き割。時刻の変化は、空の色だけ。第1幕は午後をあらわす青い空、第2幕は夕方のピンクの色。住宅、作業場、松の木などは昼光色のライトが見事な影を出している。クスリ屋の馬車は、本物の驢馬が引いていた。

 

 主役のうすらばか青年は、Keith Ikaia-Purdy というインド系らしき東洋人、地主の娘に求婚する軍曹殿は、Yu Chen というから中国系だろう。彼には「ウィーンオペラ座初出演」のマークがついていた。