電力供給を守った感嘆する現場力
東京電力管内の原発が今週26日にすべて停止した。しかし電気は関東で供給され続けている。何気なく受け止めるニュースだが私は東電の底力に改めて感銘を受けた。
東日本大震災直後に、東京電力の福島、茨城にあった発電所が被災した。出力は原発合計で910万kw(キロワット)、火力で920万kw。同社の夏場のピーク需要が6000万kwだから約25%の電源が失われた。ところが同社と関連企業は火力発電所を約3カ月で復旧。他地区の発電設備も元に戻した上で出力400万kw分の火力発電施設を新造した。さらに送配電網は震災後わずか約1週間で全面復旧した。驚嘆すべき危機対応力だ。
今でも福島原発構内で東電とその関連会社の人らが1000人前後働いている。これらの人々の努力で現在の原発の状況がなんとか保たれている。政府事故調査報告書によれば、事故当時に原発所長だった吉田昌郎氏は、死を覚悟して福島原発にとどまり、菅直人前首相の異常な現場介入も突っぱねたという。
知人の東電マンは事務職だが、現場で働く人の対応のために昨年はほぼ連日出勤した。非常時でありサービス残業状態だったそうだ。「電力を止めてはいけない。誰かがやらなければならない」と働く理由を彼は答えた。その人は1年経ち会社の先行きが見えないために、転職を考えている。
原発事故を起こした東電に、私は怒りを持つ。しかし同時に原発事故後の東電社員の働く姿、また「安定供給という公益」を絶対視する組織文化を持つ同社に深い敬意を持つ。努力が感謝なく(わずかに残業代の増額はあるかもしれないが)、報われないことを気の毒に思う。戦死者に不謹慎な類推かもしれないが、敗北した太平洋戦争末期の戦史を読む際に、日本帝国陸海軍の将兵の報われない奮戦に、敬意と悲しさを抱くことを思い出す。
日本では組織にも、社会にも、どんな状況でも「公のため」という目的で踏みとどまる人が、常に少数いる。これを愚行と切り捨てるのは簡単だが、私は讃えたい。東京電力は、そうした人が多くいる典型的な「日本企業」だったのだ。
「電力村」は誰もが利益を得る「日本の村」だった
もうひとつ印象に残るエピソードを紹介したい。私は昨夏発刊の「地球大学講義録ーー3・11後のソーシャルデザイン」という本の編集に関わった。講師にNPOを運営する東京電力の出身者がいた。「東京大学法学部卒、東京電力入社」から始まるエリートサラリーマンとしての経歴を持ち、役員まで務めていた。そして経営するNPOもしっかり黒字化し、話も魅力的だった。どこでも結果を出す、優秀な方なのだろう。原稿を送ると「経歴の最初に「福島県南相馬市出身」と入れてください」と返事が戻ってきた。彼の故郷は、彼が働いた会社の原発事故で苦しんでいる。わずか9文字に万感がこもっていると、感慨を抱いた。
東電では、原発立地県の福島、新潟、青森県で積極的に雇用を作り出している。例えば、実弟が北朝鮮の拉致被害者で、政府の無策を適切に批判していた蓮池透氏は原発に近い新潟県柏崎市出身で、東京理科大を出た後で東電幹部になっている。同社は地方の秀才、そしてその親族を仲間にしてきた。さらに地方に納税、施設の寄付など多くの貢献をした。
雇用だけではない。例えば、日本企業が優位性を持つ電気自動車で、急速充電システムの規格統一化の問題があった。東電が調整に動くことで仲の悪い自動車業界の足並みがそろい、世界規格「CHAdeMO」が生まれた。東電は自然エネルギーなど電力関係事業、尾瀬などの自然保護活動も積極的に支援してきた。
原発事故後から電力業界をめぐって「電力村」「原子力村」という意味が明確でないバズワードを使う表層的な批判が社会にあふれた。これを「利権でまとまった集団」というなら、批判される側面はあったのかもしれない。ただし私が観察するところでは、東電の作った「村」は「一人だけが儲かる」ではなく、「皆で広く浅く利益を分配する」という日本的な村落共同体だった。
破綻が確実視される事故の処理スキーム
東電はすべてが悪ではなく、すべてが善でもない、グループで約6万人の人が働く、さまざまな側面を持った巨大企業だ。しかし、もはや今の形での存続は難しい。無限とも言える賠償、事故損害負担を課せられ、資金ショートがほぼ確実視されている。
東電の処理と賠償のスキームは、短くまとめると政府による株保有の形での債務超過企業への資本注入だ。東電は現時点で11年からの2年で4兆円の賠償を負担し、行政コストなども請求されている。いわば、「チェルノブイリにコンクリートコーティング(割れ鍋に綴じ蓋)」。このままでは政府出資資金はすぐになくなり、追加負担を迫られるだろう。この問題は改めて論じたい。
もちろん生活再建のために補償、賠償をするべき人はいる。しかし私は現状の賠償の仕組みに疑問を持っている。今の福島の放射線量では普通に生活する限りにおいて健康被害の出る可能性はない。放射能による死者はこれまでゼロであり、これからもゼロである可能性が高い。それなのに巨額の負担を東電は引き受ける。「東電はどこまで賠償を背負うべきか」という根源的な問題で、結論のないまま状況が動いてしまった。
東電はこうした動きにさまざまな形で抵抗している。値上げを検討し、経営権の確保のため国の議決権保有にも異議を唱える。さらにアゴラで話題になったように(松本徹三氏コラム「東電のスマートメーター発注を許してはならない」)スマートグリッドでも自社の主張を押し通そうとしている。
東電社員の無念さは理解できる。しかし原発事故という大失態をしてしまい、しかも日本の最高権力の「社会の空気」が東電を断罪、それに影響を受けて賠償問題の処理が決まった以上、東電一社だけではどうにもならないだろう。
東電は「美しく」終わってほしいと、私は願う。公的な目的のために社員が頑張る社内文化のある企業だ。存続できないことは明らかなのに、無理に小細工を行うと、必ずきしみが起きて社会が損失を受ける。
またこうした巨大独占企業は、必ず弊害を生んでいる。東電の解体は問題がある半面、その崩壊によって電力自由化は進み、イノベーションの機会も増える。エネルギーの取材をするとプレイヤーは常に「東電はどう動く?」と考えていた。そうした束縛がなくなるだけでも、エネルギー業界の姿は違ってくるだろう。
私たち一般市民は敬意を持って、東電の消滅に立ち会おう
日本では恨みを持って非業の死を遂げた人を大切に祭る習慣がある。「祟り信仰」があるためだが、現世の活動にも役立つからこそ古代から人々はそうしてきたのだろう。恨みという負のエネルギーは、必ず反作用がある。これは東京電力という法人の消滅にも応用できる。
私たちは東電社員個人に遡及する懲罰や復讐などの感情は排除した上で、同社の行く末を冷静に見守るべきだ。さらに東電の良き伝統を評価し、新しい会社が出来る場合には、再雇用などで働いてもらう形も考えるべきであろう。さらに同社で働く人々の待遇は下げても、雇用は確保しなければならない。働く場の確保はどのような状況でも常に優先されなければならない。
おそらく政府の東京電力の処理・賠償スキームはいずれ破綻し、追加の国民負担をどのようにするかが近日中に課題になる。また電力不足は原発の停止によって、日本で慢性化する可能性がある。こうした問題は「東電が悪い」と騒いでも何も解決しない。誰かに働いてもらわなければならない。東電の持つ力を活かすこと、その力の源泉である働く人々を丁寧に扱うこと、それによって東電崩壊後の新しい電力システムを動かすことは私たちの利益にもなるのだ。
経済・環境ジャーナリスト 石井孝明 ishii.takaaki1@gmail.com
追伸・東電を評価すると、「金もらっているのか」という幼稚な発言が必ず来る。同社とは取材だけの関係だ。金でしか物事を判断できない人間は、冒頭の東電社員の行動の意味とか、ジャーナリストが社会正義に突き動かされ行動する事実を永遠に理解できないだろう。
また東電関係者の方、また東電抗議者の方の双方で、コラムにご不快の念を抱かれたならご寛恕いただきたい。私は是々非々でこの問題に向き合い
(石井 孝明)
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