喪中はがき | どっこい生きてる山の中 ぽちのブログ

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癌と介護と資格試験と私。
どんより幸せの毎日が
私を支える山の中。
明日はどっちだ、多分こっちだ。
5年生存率10%を無視して延命中の私が送る
後ろ向き人生のススメ

この時期になるとぼちぼちポストに投函されます。

若い時は、ほとんど手にする事がなかったのですが

この年になると、友達の親御さんが旅立つ年齢に

なってしまって、なんとなくこっちも寂しくなってしまうのです。

 

今年、友人というか幼馴染を見送りました。

 

もともと、自分がいつ亡くなるかわからないし、

せっかく呼ばれたし、地元に戻っているしということで

参加した同窓会。

 

正直、浮いていた私は

仲良しの友達もなぜか連絡が取れなかったらしく、

当日、どうしたもんかと思っていましたが

たまたま、くじ引きで隣になったのが亡くなった幼馴染の男の子でした。

 

小学校の一年か二年に転校してきて

年の割には大きくて、どちらかというとからかわれやすかった。

 

多分、人知れず嫌な思いも沢山したのではないかと

今になって思います。

それから、クラスは別になり、中学校2年3年が一緒だった。

どういうわけか受験前によく電話をくれたり

普通に仲良く過ごしてて、高校も一緒で

ひねくれ者の私は学校になじめず、よく相談にのってもらっていた。

 

卒業式を最後に32年会わなかった。

あまり近況とかはしゃべらず、

二次会に行かない私は

帰り際に、この子にだけ自分の病気のことを話しておきたくて、

「今度会う時に、ちよっと話したいことがある。」と言った。

お互い、じゃあその時にっていって別れた。

また会えるというか、連絡が取れると思っていたら、

その子は、ほどなくして入院したという。

 

それからあっという間の出来事。

 

亡くなってから知ったことが沢山あった。

ここに書くと、個人情報だから

いや、誰もここのこと知らないだろうけど

自分の判断でかかないのだけど、

 

知らないもんだから

その事で無神経なことを言ってしまったりもした。

 

本当にごめんなさいな幼馴染の私。

 

彼は残したものが多すぎて

色々気がかりで仕方がないだろう。

 

自分が先に行くと思っていながら

たくさんの人を見送ってしまった。

 

残される立場は本当につらい。

今自分が生きているのは

そういうことをちゃんと経験してから

旅立てと言われているのかもしれない。

 

 

面と向かって言えなかったけど

今、改めています。

 

友達でいてくれてありがとう。

沢山助けてくれてありがとう。

色々ごめんね。無神経でごめんね。

まだ話したいことが沢山あるので

そっちにいったら、ゆっくり話そうね。

 

またね。

 

また、会おうね。