トラウマとデジャヴ | どっこい生きてる山の中 ぽちのブログ

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癌と介護と資格試験と私。
どんより幸せの毎日が
私を支える山の中。
明日はどっちだ、多分こっちだ。
5年生存率10%を無視して延命中の私が送る
後ろ向き人生のススメ

イオンに行って、三枚のくじを全部外した私です。


1月も4日だというのに、わが町のイオンはコミコミ。

こんなに人が集まっているにもかかわらず、

催事場が片付けられていること。


それでいいんかい。


ここには他に、遊ぶところがないんだぞ。

モールじゃないんだぞ、ただのスーパーなんだぞ。


と、天下のイオンに物も申す立場じゃないから

この辺で終了。


さて、メンタルボロボロの原因のお話をしましょう。


私は30年くらい前に、家を追い出されています。


別に、家のお金を使いこんだわけでもなく

警察のお世話になったわけでもなく、

どちらかというと、若いのに良くやっているわねといわれているような

女子でした。


でも、私は大学を中退しとるのです。

どうしてもそこに希望が持てないという

すっとぼけた理由。

これ以上、無駄に学費を払わせるのが嫌だったので

父親と何日も話し合って、許可をもらって

退学しました。


折しも、その時母親が入院手術をし

家の事が出来ない状態だったので

家の用事をしばらくすることになったのです。


で、ぼちぼち母親が回復してきたとき

たまたま姉の住む東京に遊びに行かせてもらい

そこでなぜか一か月ほどバイトをして帰ってきました。


戻ってきたのは夏の終わりで

これから地元でバイトをしようと

色々面接に行き、雑貨屋さんのお仕事に就いた。


仕事を初めて一か月ほどした所、

両親が交通事故に合ってしまいました。


車のバンパーの所に真横から突っ込まれ、

不幸中の幸いで、二人とも大きなケガを

おうこともこともなかったのです。


がしかし、母は全身打撲。

で、なぜか入院もせず家で療養。


父も具合が良くない。


これって、まさか、私がお世話をするんかい。


で、せっかく見つけたバイトも

早々に辞めて、また家事手伝いに逆戻り。


そのまま年を越し、その間私は

とっていたコンサートに出かけていたりした。


母親から見たら浮かれていたのだろう。


年明けて成人式を迎えていたのですが

とくに晴れ着の準備をしてもらうわけでもなく

状況が状況だけに、振袖着たいとも言えず

地味にその日を過ごしたのを覚えています。


そのころから母親の陰険な言葉の暴力が始まった。

「無職のくせにご飯食べるの?」と言われ

しばらくおかゆだけを食べる生活が続きました。

その後、とうとう

私は、ご飯を食べれなくなり、

父親に病院に連れていかれたりした。


父親は、なんでやねんと

母を怒り始めた。


で、私に放った衝撃の一言。




「あんた、家の恥だから

 出ていって。」


あの時の表情を忘れもしない。

なんか返す言葉も出なくて、

段ボール二つに荷物を詰めて

3月の30日に東京の姉の所に

お世話になりに行った。

で、そのまま22年いついてしまった。


父の死後、母の世話をするために

姉とここに帰ってきたけど、


今、また同じ状況になってきてしまった。


トラウマとデジャヴ。


セットでドドーンと来やがった。



次に続く。