広島東洋カープ

ホーム用・ビジター用 1996年〜2001年

 

略年表

1996年《ホーム・ビジター共通》三村敏之監督2年目を迎えるにあたりユニフォーム変更。

1999年《ホーム・ビジター共通》この年のみ広島東洋カープ50周年袖章が左袖に着けられる。それに伴い、この年のみホーム用の左袖の「HIROSHIMA」、ビジター用の左袖の「CARP」は無くなる。


ホーム用

 前立てラケットラインのユニフォームが出てきた時代にカープも前立てラケットラインのユニフォームを採用することになります。この時のカープのユニフォームは他には無いオリジナルな感じがしてました。それは前立てラケットラインのユニフォームには大抵袖にシングルラインが入るものですが、カープのユニフォームにはラインが入ってませんでした。胸にデカデカと花文字のCARP、胸番号も背番号もデカデカとあり、左袖にHIROSHIMAとあるだけのシンプルデザインでした。このユニフォームの最大の特徴はシンプルデザインでありながら胸番号と背番号が大きめであった点です。以前、ランキングではベストテンに入れてなかったんですね。しかも「強いインパクトが無かった」と吐かしてましたね、反省します。この大きめの胸番号と背番号は強いインパクトがあります。
 このユニフォームが採用された1996年の打線は「ビッグレッドマシン」と呼ばれるほどの強力打線でした。緒方孝市選手が足で引っかき回し、正田耕三選手がクリーンナップにつなぎ、野村謙二郎選手、江藤智選手、前田智徳選手、ルイス・ロペス選手、金本知憲選手で得点につなげる、今振り返っても身震いがする打線でした。一時11.5ゲーム差をつけたにも関わらず読売ジャイアンツに優勝を攫われる苦いシーズンになりました。この年を境にチーム力が下がっていき、1998年から15年間Bクラスに甘んじることになりました。ビッグレッドマシンと呼ばれた強力打線とその後に訪れた弱体化のイメージを兼ね備えたユニフォームだったと思います。

 現時点で花文字のCARPがこのユニフォームを最後になってしまいました。もう一度花文字のCARPを復活させてほしいと投稿しながら思いました。

画像は三村敏之監督。
1999年。画像は金本知憲選手。
背面。画像左から西山秀仁選手、澤崎俊和選手。

 

 

ビジター用

 ビジターは花文字のHIROSHIMAを24年ぶりに採用しました。筆記体のHiroshimaロゴに慣れていたこともあり新鮮な感じがしました。古風な前立てラケットラインに花文字のHIROSHIMAは映えてましたし、このユニフォームに相応しいと感じました。


 50周年袖章も今振り返っても味わいのあるマークでした。吹き流しの鯉のぼりをモチーフにして絶妙な形に仕上がってました。後で取り上げたいと思っていますが、1970年頃のグラウンドコートの左胸にあった鯉のマークも味わいがありましたが、それに負けない味わいを持ったマークでした。この絶妙さはカープらしいですね。


 ビッグレッドマシンと呼ばれた強力打線だけではありません。若い芽もしっかりと育ってました。投手では澤崎俊和選手、黒田博樹選手、小林幹英選手、高橋建選手あたりが、野手陣では緒方孝市選手、金本知憲選手、東出輝裕選手、新井貴浩選手、木村拓也選手あたりが戦力になりました。一方で、正田耕三選手や大野豊選手など強かった時期を支えた選手達が引退し、江藤智選手がFA移籍するなどチーム力が下がっていった時期でもありました。チーム力の強化と持続は難しいと改めて思いました。


 勝ち越したシーズンが3シーズン、ビジター用ユニフォームではわずか1年でしたが、前立てラケットラインを上手く活用し、シンプルに上手くまとめたこのユニフォームも改めていいと思います。また、花文字のHIROSHIMAもどこかで復活してほしいなとも思いました。


上の画像は緒方孝市選手、下の画像は大野豊選手。
背面。画像は黒田博樹選手を祝福する選手達。