自分が行動を起こす時ってどんな気持ちですか?
以前の私は、誰かのために、誰かの役にたちたい、誰かに認められたい…そんな気持ちでいっぱいでした。
「誰かのために」
それは、けして悪いことではなく、表向き世の中では良いことです。
が、それで自分が疲弊してしまったりしては本末転倒で、本当にバランスが重要です。
「お役に立ちたくて…」
よく使われる言葉で、以前の私も使っていたと思います。
でも、実際にどうなのか。。。
今は、これは私は使わない言葉になりました。
個人的に怠慢や傲慢な気持ちをもつ自分を感じるから。
誰かの役にたつためになにかをするのか?
これは、行き着くところは「自分の心地よさ」だったりかなと、私は行き着きました。
役にたったよ、ありがとうと、称賛されたい、誉められたい、認められたい気持ちで、ある種の依存かなと。(あくまでも私の価値観なので、ご了承くださいませ)
誰かの役にたつかたたないかは、相手が決めることであるかなと。
なので、相手に気を使わせる台詞は言わないようにしたのでした。
やりたいのは自分。
ただ、自分がやりたい、自分が伝えたいってだけ。
皆さんもありませんか?
へりくだって、謙虚に接してくれているようだけと、恩着せがましく感じたこと。
かつては、そんな私がいたから今綴ってます。
今は、相手をそんな気持ちにさせないようにする然り気無い行動や言動ができるようにを心がけています。
なので、注意や戒めや願いなどは、自分がやっていくことで綴ることとしています。(それでも、「私のことだ」と批判を感じる方もいるようです。が、誰かを特定して綴ってはなく、私をも一人の読者として綴っているわけで、「これ私のこと」と感じた方がもしいたなら、それは各々が省みることだと私は思います。)
自分のために行動したことが誰かの役にたっていたら嬉しいですね。実際、誰かのためにで考えたら空回りして、自分のためにで行動したらまわりを引き付けたなんてことがたくさんありました。
あなたは、役に立とうとしなくてもすでに役にたっています。あなたが存在するだけで。
だから、わざわざ宣言せず、自分が笑顔になることを自分自身がしたらよいだけで、他人を動かそうとしなくても大丈夫。
あなたができることを地道にやっていたら、自然とまわりを動かしていくのだから。
自身のために生きることが、相手のために生きるになるわけです。
いつもありがとうございます♪
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