お願いドクター!〜依存症と差別と私の御機嫌。 | 大阪シラフストーリー♪ withスズメ

大阪シラフストーリー♪ withスズメ

「アルコール依存症」の診断を受けた2011年。あの日あの時あの場所で「診断」されなければ私はいつまでも見知らぬ酒飲みのまま死んでいました。回復への長い長い道のりと酔いを使わない生き方を心から楽しいと思える日々の記録をしていきます。


ーティング終わりに仲間とちょくちょく通った

昼は喫茶店夜はBar。

今ではひとりで読書にふけっています。

夕方照明が暗くなり、

お酒のボトルが並び、キレイで、

飲まないけれどこの景色は、

やっぱり好きなんだって細い目になりました。


あれはもう先週の金曜日のこと。

 

依存症は一生の病気なので、

それでも毎月クリニックには行っています。

昨年の春に院長先生がお亡くなりになられ、

代わりの院長が見つかるまで

依存症専門病院の先生がヘルプで入っていました。

やっと新しい院長が決まったのは

今年の春のことだったかしら。

 

今の院長先生はそれまでの

ピシッと厳しめの院長とは逆の感じで、

やわらかい印象です。

ニコニコしていらっしゃいます。

いい印象なんですが、

私は、あの頃の院長先生に出会えてよかったと思っています。

あの厳しさがなかったら私は、

とっくにこの世からいなくなっていたかもしれない。

そんなことを振り返りながら

まるで変わりのないクリニックの扉を開けて

まるで変わりのない景色をやや下向きに

本など読みながら順番を待っていると、

 

スーーーっと、

ソーシャルワーカーが目の前を通り過ぎました。

私の姿は見えているはず。

何か一言でも声をかけてもいいのにな、

ま、いいや。

って思いながら診察の順番がやってきて、

当たり障りのない会話をしていて、

ふっと今しかないかもって思って、

院長先生に、

 

これはフィードバックです。

あの私、この病院に10年以上通っているんです。

毎週水曜日休むことなくミーティングに通い、

月一回面談も受けてきました。

就職が決まってからは通えていませんが、

それでもきっちり積み重ねてきたんです。

ソーシャルワーカーってそんなに冷たいものですか?

今こんな形で何もなく、しれっと通り過ぎられ、

喜ばれるわけでもなく、なんなら批判され、

息子の相談をしても発達障害って言われて、

っておかしくないですか?人として。

声をかけたり、どうですか?の一言くらい

あってもいいんじゃないですか?

人情のような、患者(クライアント)だから

社会に出たらハイそれまでよって形なんですか?

 

って聞いてみました。

 

必要悪

受け入れて

生き直し

過去の傷

アダルトチルドレン

つつしめ

こんなワードを言われたことしか

残らないって悲しい。


そう、院長に「私は悲しい」とも

いっておきました。

寄り添ったフリをしただけ?

そりゃあ、ソーシャルワーカーの事情もわかる。

それにしても! 


本日も、読んでくださり、

ありがとうございます。

 

しばらく、30秒ほど間があって、

院長先生は、

うーん、こちら側としては、

こちらから声をかけないという配慮をしているのだが、

それをそう捉えるのもそうだよね。

ま、時間があったら言ってみるわ。

(ソーシャルワーカーに)

とおっしゃいました。

 

2年、いや就労支援から数えたら

3年強、

友達じゃないしあくまでも仕事と割り切っているのか

というのは理解できるししている。

しかし、いくら仕事とはいえ、

ってところを聞いてみたかったのだが、

 

ま、もうええわ。言えたし。

って思っています。

それにここにも書き残すことができたので、

この印象やそういう感じを持ったってことを

大切にしたいと思いました。


医者だって依存症になる。

ソーシャルワーカーが酒を飲まないって

定義はないわけで。

 

とある医者は依存症研究のためという大義名分のために

自ら実験台となり酒を飲むみたいな話も読んだことあったな、

なんて思い出しました。

 

とにもかくにも、

私たち断酒を継続しているということは、

すごーく誇らしく、

すごーくすごーいことなんだ!って、

もう声を大にして言ってもいいんじゃないか。

それが、私基準でいくと(経験値を振り返って)

5年以上なら素晴らしいと思います。

そこからスリップするなり、

また程よく酒を飲むのも、

もうそれは人生の選択肢で仕方のないことが

あったと推測されるからです。

依存症になったのも、仕方のないことで、

それからの回復や断酒継続は

もう努力が当たり前になり、

解決方法取得や、生き方の問題になる。

本人が後悔しないなら、

それはそれでいいんじゃないか。

そもそも、

人生で後悔なんて有り余るほどあるけれど、

それに気づかないってことの方が

圧倒的に多いってことなんだろうな。

 

必ず、努力は報われるし、

今思えば、過去の私をうんと

褒めてあげたい。

大丈夫だよって

今は良くなってるよって、

その涙は決して無駄じゃないよって

叫びたい。

 

ちょっと前、

このブログを年数ごとにさかのぼって読むと、

書いておいてよかったと思います。

 

そして今、さっき、

息子に、

「お母さん、楽しそう。

昔は起きてご飯作って寝てるばっかりだったのに、

イキイキしている」

って笑顔で言ってもらえました。

イヤミだと以前の私ならひねくれていましたが、

本当に楽しいので、

「こんな人生になるなんてね」って笑って言えました。

 

あなたにとって、

素晴らしい一日でありますように。スター

 

今日一日、いま、ここ。合格



この本を読んだとき、

ソーシャルワーカー精神科関係者全員読め!って

思いました。



今絶賛読書中です!