「やさしい」はどこから来るんだろう…?





いつもいつもやさしいあの子が、元気をなくして、悲しい顔をしながらやさしくない言葉を使っていた。

私にできることは、ひとつだけある。







無理をして笑っていなくていいんだよと、無理をして元気なふりをしなくていいんだよと、何十回も何百回も言われても、やっぱりうまくそのやさしさに身を委ねることはできないな…なんてことを未だに言っていたら笑われるのだろうか。。







とある作家のイベントを見つけて、ついこの間打ち明け話をし合って笑った、その作家が大好きな友達のことを思い浮かべる。

連絡してみる。



肌に優しい石鹸を作っている人の話を聞いて、いつも忙しそうだけど余裕ぶっていて本当にたまに「疲れた」と言う、好きな人のことを思い浮かべる。

連絡できない。笑







2日間ほとんど何も食べず、本も読めず、眠ることに専念してしている間、考える頭も何も無くなって、ただ息をして、暑いとか寒いとか痛いとか心地よいとかを感じるだけになって、いつでも辞めてしまえるしいつまでも続けることができるあれこれについて、一旦手放した。



「やさしい」は、何もないところからやって来た。

ニュースを見れば絶望的な未来しか描けないような世の中を生きていて、どうやって地道な活動のモチベーションを保てばいいのだ!そんなのもう無理!!

 

と泣き言を言いながら、メールを返信し、レジュメを作り、仕事で疲れ果てていてもどうにか市民運動の会議に向かう。

 

自分が一番楽しい方法で誰かを幸せにしたいとか、笑かしたいとか、そういう動機でしか動けない私にとって音楽をやるのは自然なことだけど、市民運動てそんなイメージないよね。笑

 

思い描いたことが形になるようにみんなでアイデア出し合って作っていく、っていうところは、バンドと似ている。

 

 

 

 

 

 

5年前の私が1ミリも想像していなかった未来を生きている、今の私。

 

今から5年後の未来には、さらに未知の領域に突入していそうな気がする。

 

 

 

 

 

 

最近、人を落ち着かせる天才みたいな人がよくそばにいてくれるようになって、どれだけ落ち込んで錯乱しかけていてもふっと我に帰れるようになった。

 

まだしぶとく生きよう。

新しい畑で種から育てた綿の実を収穫するときに

 

捨てられた子猫を拾い上げたときに

 

ふわふわのメレンゲをスプーンですくったときに

 

飛んできたシャボン玉をつかまえるときに

 

生まれたばかりの子を抱いたときに

 

 

 

 

どんな感じがして

 

何を思って

 

それからどうするか

 

 

 

 

私が知りたいのは、あなたのそういうところだ。