ジュゴンが死んだり、友達が子どもを産んだり、ご飯を食べ忘れたり、門出を祝ったり。
忙しないのはいつものことだけど、振れ幅が大きいのもいつものことだけど、自分の身体を認識するのに時間がかかるようになってしまった。
言葉や表情や態度から思いやイメージを汲み取って要求に応えるだけじゃダメだ。
いい加減そういうのやめる。
誰かの期待に応えて誰かに存在価値を認めてもらうことでしか自分の形を確認できないなんてつまらなすぎるよね。
液体になるにしたって、能動的に液体になれなきゃ意味がないんだ。
バーカウンターとか後ろの方の壁に寄りかかっているところから、フロアの中に立って、ポケットに手を突っ込みながらもちゃんと自分の力で立ってリズムを取れるようになるまで、2時間かかった。
変わらない笑顔などない。
変わらない笑顔であるように見られたかった。
ベースにドライブをかけるとか、テレキャスでショートディレイでリバーヴたっぷりとか、そうやって生まれる空気の振動があって、やっと重心が定まる。
音楽の中と水の中でしか遊べないかもしれない。
子どもの前では、人間のフリをする。
湿った空気。花の匂い。まだ少し尖った風。
生きてるからまた逢うよ。
止まった時計の針を動かすのは、人の意思だけ。