問い詰められてしょーもない言い訳をしたり、理想を語るわりにその実が伴わなかったり、妄想に取り憑かれて道を誤ったり、そういうのが許せなくて自律と学びを追求していたら、倒れるまで疲れていることに気付かないとか突然涙が流れてくるまで何が嫌なのかわからないとか、そういうの。

そういう偏狭な脳みそを笑い飛ばす力が、音楽や映画なんかにはあるよね。









図書館の偉大さを思い知る。

だってお金が全くなくても、世界中を旅したり深海に潜ったり社交界で踊ったりすることができちゃうんだよ?

もちろん実体験がなければその想像の範囲も狭くなるかもしれないけれど。

言葉って不思議で、見たこともない情景なのに、形容と行間で脳内にイメージを作り出して見せてきたりする。

だから大して意味のないサービスのために公立図書館の運営を業者に委託して、腕のいい司書を手放したり蔵書を減らしたり、なんていうバカなことはやめて欲しいんだよなー。

お金のために無自覚に文化を殺すなんて、人間としてやばすぎる。








いい子になんかなるなよ、って誰かが言ってたのを真に受けて私はこれまで生きてきたし、たぶんうっかりするとすぐに馬鹿みたいに従順になっちゃうから、他人にどう見られるかよりも自分がどう在りたいかを考えるんだと思う。

綺麗なものを見せることがマナーだっていうのはわからなくもないし、ステージに立つ人間からしたら「見せられる泥臭さの範囲」をわきまえておくのも必要なことなのかもしれないけどね。

でもそれだって、決めるのは自分だよね。



ここ数年、自分の興味のあることに関しては能動的に"独りで"動いていて、友達と会ったり何か人を集めてやろうという時には、粘り強いお誘いを受けて初めて乗るとか流れに身をまかせていくとか、相当な受け身で過ごしてきた。

受け身であるがゆえに、遊びに誘われればどのように楽しむのかを頭で考えてしまったり、頼まれごとがあれば期待を裏切ることはできないと張り切り過ぎたりして、自ら自分を振り回して疲れ果ててしまう。

去年からその辺のマズさには気付いていて、いつのまにか自分のやりたいことがわからなくなっていて、しかし一旦引き受けた以上はやり切らねばと必死になって心身を費やし、なんとか生き延びているだけまだまし、という有様である。




友達をご飯に誘うのにもあれこれ考えてしまってなかなか勇気を出せずに結局誘われるのを待っていたり、ちょっとどうにか無理すれば行けるような予定を断ってしまったり、受け身の上に金銭面での不安定さが引きこもりに拍車をかけて、とうとうライブハウスでさえも3ヶ月に一度くらいしか足を運ばなくなっている。




そんな中、4月からの新しい仕事は私を社会からより遠ざかる方向に私を位置付けてきた。

丁寧にやろうとすればするほど休息の時間が奪われていく世界に足を踏み入れて、だからといって最初から雑な思考回路を身に付けてしまってはダメだと自分に言い聞かせつつ、休み方を真面目に考えないと心か体のどちらかは確実に死んでしまうだろうという予想が容易にできる環境である。

『幼児教育の無償化とか言ってる政治家の皆さん、現場の声を真面目に聞いてんの?普通に考えて幼稚園教諭や保育士の待遇改善と人員配置基準の見直しが先だし、それをやった上で保育園の増設を進めて全入を目指し、それが達成してから無償化しろよ。「福祉にお金使う」の意味を履き違えすぎだよバカなの?』

という心の叫びは、私だけのものではない。
いや、マジで現場の声聞いてないよねおっさん。
子どもの発達に対する環境設定の重要性を無視してるよねおっさん。




昨日は仕事終わりでロフト9に行く予定だったのに結局仕事が終わらず、イベントの手伝いはおろか入管法のことなどを学んだり尊敬する人たちに会って話したりする機会を丸ごと失ってしまった。
家に帰って不貞腐れることにも飽きていたので、1年ぶりくらいに、友達に自分から連絡をしてみる勇気を出したのであった。

話したいことが特にあるわけじゃないけど誰かと一緒にいたい、という気持ちは初めてだったかもしれない。

2人に連絡をして、ほぼ同時に返事が来た。

結局昨日は友達の店にご飯を食べに行き、もう一人と今後の予定が一つ決まった。

こんなこと、生後30年も経っている人ならみんな当たり前にやっているんだろうけど、私にとってはほとんど初めてに近いような経験だった。

何か用がなければ、一緒に何かをやる計画でもなければ、そして自分がそこで役に立たなければ、他人と一緒に笑い合うことなんかできないと思って生きていたからである。
友達ってなんなんだろう…と思春期に悩みそうなことをスルーして自己中に生きていたからである。

いつでも変わりなくそばに居られる、久しぶりでもちょっとした変化に気付けるくらいにお互いに相手のことを知っている、そういう友達がいることは、幸せなことだ。とてつもなく。




一緒にバンドをやってきた人たちは、意見の食い違った時にちゃんとお互いの話を聞いて「あぁそういう意味か」「こういうことね」と相手を理解しながら話が進むように対話ができる人ばかりだ。

そういう繊細なやりとりをめんどくさがらずにできるからこそ、細部まで丁寧に、メンバーの個性を生かして作り込んだ音楽を、作れるんじゃないかなと思う。

自分の考えは曲げないけど、相手の考えも尊重するし、話し合ってちゃんと前向きな結論を出すことができる。

頭ごなしの命令で物事を片付けようとするやつらには、そしてそれを不本意ながらも受け入れてしまうような人には、知ってほしい。
この心地よさを。
ここに生まれるあたたかさを。




ホカホカの親子丼を食べ終わり、フルーティすぎてジュースみたいに飲みやすい日本酒を飲みながら、ぼーっとした頭で五線譜に音符を書き入れて「ほら、ここがズレてるんだよ」と何度もメロディの確認をしながら繰り返し歌い、ハーモーニーを確かめる。
こんな作業をするのも、半年以上ぶりか。

懐かしがる余裕もなくて、ただその瞬間に真剣に向き合って楽しんだ。

そうだ、楽しいってこういう感じだ。

人のバイクの後ろに乗るのは5年ぶりくらい。
飛ばされるー!落ちるー!と心の中で叫びながら風の中を走る気持ち良さを感じて、他人に命を預けている不安感よりも、相手への信頼の方が大きいことに気付いた。




私は今、生きていて、これから何でもやれるのだ。
"戦争は終わりにしよう"からの"シュプレヒコール"でWhy can't we be friend?だったから、最近お店を出した友達のことと、こないだ見た『原爆の図』の「署名」という絵のことを思い出した。

それから、ずっとずっと音楽をやり続けている友達とまた会って、「ここに行けば会える」って思える安心とか嬉しさとかについて考えた。

私がなりたかったものだ。

人は変わるけど、変わらないこともある。

それでやっぱり、みんながちゃんと自分が幸せになることを考えて、毎日がどんなにつまんなくても楽しいこととか好きなものとかとちゃんと向き合って生きていけば平和になるんだっていう言葉は、本当だなって思った。






telmino to do el odio
私はすべての憎しみを終わらす

そんな強さ持てそうもないけど、人が刺してくるナイフみたいな言葉に傷ついて自分を殺すか相手を殺すか毎日グルグル考えていた14歳の頃よりも、私は今ずっと生きる力を付けていて、綿で受け止めて刃を握りしめて突き返すくらいできるし、吐き出された汚物を受け止めても洗い流したり燃やしたりできるだけの場所を知っている。

誰かのせいで消耗させられてる、なんてくだらなすぎるから、蹴散らすよ。

器を広げよう。