他人に対して望んでしまうことは、自分でもできるだけそうあるように振る舞わないとな、とは思う。

思うけども。






自分の価値観で見えたり感じたりできる範囲のものと、他人の価値観で見えたり感じたりできる範囲のものが違うのだということは、忘れたくないとも思う。


思うけども。









私は曖昧さが苦手で、いつも「ハッキリして!!」とあらゆる場面で迫りがちだけど。

曖昧さとか不確定な中にこそ何かが生まれるのだと思うから、誰かの煮え切らなさをそのまま受け止めたり、自分の煮え切らなさを少し許して見守るように、意識して生きてみてはいる。。。







すぐに答えが出るものがイイモノだとは思わない。


もちろん、パッと光って見えて、その直感は正しかったのだと、後からわかることもあるけれど。


本当にいいことは、どんなに時間がかかっても、本当にいいものとして現れてくる。


ただ「まだ、もう少し、時間がかかりそうだ」という言い訳を繰り返すことだけは、避けなければいけないとも思う。

繰り返された言い訳は、いつか呪縛に変わるからだ。







物事をハッキリさせたい私が、煮え切らないことを言ってしまってウジウジと悩み続けてしまっているのだけれど、これはこれで、ケリをつけるための助走なのだと考えてみよう。


私は独りで、静かに終わりを迎えるまで、黙って、そっと、失われていくことへの寂しさと向き合う。


君はいつか「あの時食べたかったのに食べなかったお茶漬け」のように私を思い出して、ちょっとだけ悔しい気持ちになって、でもすぐにまた別のおいしいものを食べて満足して、忘れてしまうだろうな。