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CAFE‐HOME MEMO

コーヒーとデザインと思ったことについて書き留めておくアイデア帳

さっきニュースで「子供服の危険性」ってテーマを報道してた。

フードの紐が遊具に絡まって窒息しそうになる。ファスナーを皮膚に巻き込んじゃって怪我をする。ほどけた靴ひもを踏んづけて転ぶ。滑り止めのない靴下でフローリングを走り回って転倒する。

若い主婦がインタビューで「ほんとに危ないですよ」と真面目な顔で語ってた。

子供服による死亡事故事例は、アメリカでは10年間に50件ほどあったらしい。日本ではゼロ。
服の危険を心配して「安全に使えるように改良しろ」って言うよりも、服の危険性を子供に教育してやることが大事でしょ。


久々に最近の親ってバカじゃねえの、って思った。子供に対する意識が、どっかズレてる。

過保護すぎじゃねえか。んで、親は何でも誰かのせいにしすぎじゃねえか。


この調子だと、飛び出しの交通事故で子供が怪我したら、親の教育よりも、「なぜこの歩道に柵がないのか」ってのが問題になるんじゃないかな。
ほんと寒いよな。


俺らが子供の頃はもっともっと大雑把だった。
3階くらいの高さの木に登ったり、マムシがたくさんいるような草むらに入ったり。怪我なんて当たり前。
今だったら問題だろうな。危険を教えるより、安全で安心できるように整備しろ、ってのがスタンダードになってる。


それでも、バリバリ元気でやってきてる。
危険なことを経験してるから、学ぶ。
滅菌シートにくるまれて育ってる今の子供は、危険から何かを学ぶってのが少なくなってるんじゃないか。安全が当たり前って環境で育つと、危険がわからない。


逆に、それだけ子供に気を使ってて、果たして子供の環境って良くなってきてるのかな。
最近のニュースを聞いてると、どんどん悪化してる気がすんだけど。
もちろん、親が子供を大切に思う気持ちはわかる。
でも甘やかしすぎることと、大事にすることは違う。


10年くらいかな。俺らが子供だった頃からたった10年で、子供を囲んでる環境ってほんと変化してきてる。
特に、遊びの形が変わってることが驚きだ。

今は遊びを自分たちで創造するより、与えられたもの、既製品で遊ぶことのほうが多い気がする。

前にインド行ったとき、現地の子供たちのクリエイティブな遊びにちょっとびっくりした。
テレビゲームなんてあり得ない。外に出て、自分らでボールを作り、サッカーでもバスケでもない、日本では見ない新しい遊びを創造してる。
ボールを自分たちで作るってことは、相当学ぶことが多いだろう。うまく弾むにはどうしたらいいのか。きれいな球状にするにはどうすんのか。ボール一つにしても、考えることは多い。
そして出来上がったボールで、どう遊ぶか考える。


他国やちょっと前の日本と比べると、今の子供は遊びを考えるってことが減ってきてる。


今の子供が大人になったとき、自分の子供に何を教えることができるのかな。


子供は過保護すぎるくらい守られ、与えられた道具で遊ぶ。親は責任をとにかく自分以外の誰かに転嫁する。

こんな環境はどっか間違ってるよな。自分に子供ができたら、現代のような環境で育てたくないって、本気で思った。安全な環境を整備させるより、危険を教えることが大事。

子供は、ちょっと危なっかしくて、親に心配させる。それがちょうどいいんじゃないかな。

今日、上司に呼ばれた。結構マジな雰囲気で別室に移されたから、怒られるんじゃねえかって不安でドキドキ。


したら仕事の話。

俺のチームの先輩が「おめでた」ってのが判明。引継ぎが俺ってことになった。

仕事面で、少しは認められたってことかな。


でも嬉しさ半分、不安半分


緊張感ある仕事がどんどん増えていくのは想像できる。何個も企画を進行させなきゃならないのも、トラブルが多いのも想像できる。だってその先輩がそんな風に仕事してたから。

それにプラスして今の仕事がある。


・・・久々にギア入ったよ。ギア入れなきゃ潰れる。


俺は強い人間じゃないから、今日みたいなことになったらまずは「めんどくせえ」って思う。

エリートな人間みたいに、真っ先に「よしこれはチャンスだ!勉強になるな」とはならない。

最終的には「チャンスだ!」とは思うようにはするけど。

「めんどくせえ、やってらんねえ」ってマイナスな感情全開で落ち込んでから、「これはチャンスだろ、頑張っていかなきゃな」ってひたすら自分に言い聞かせて、テンションを持っていく。

タチの悪い開き直りだな。

そうでもしなきゃやってけねえ。先輩と同レベルの仕事。。それは当面無理だろうから、せめて売り上げは下げないように頑張らねえと。


「めんどくせえ」なんて言ってられない。仕事に「逃げ」は有り得ない。責任がベタベタ張り付いてる。

「これは出来ません。やりたくないです」なんて言えるわけがない。

でも逃げたくなること、先延ばしにしたくなること、嫌なこと、緊張することなんて腐るほどある。言ったことは必ずやらなきゃならないし、突然新しい仕事がふられることもある。


不安だよ。特に新入社員はそうだろう。 だってわかんないことだらけだもんな。


仕事を覚えるって、パズルをどんどん組み立てていくことに似てると思う。


入りたての頃は、まっさらで何もない額縁。何の知識も経験もない。そこに毎日ピースがばら撒かれてく。

ピースには柄があるけど、それだけじゃ何が描かれてるのかはわからない。

回りの先輩に聞いたり、ミスをして覚えたり。そんなことを繰り返していくと、少しずつピースが繋がって、何が描かれているのか見えてくる。

それは空の雲だったり、海の船だったり、家の窓だったり。そんな風に仕事が見えてくる。

これが最初。「この作業があの作業に繋がって、一連の流れとして仕事になってるんだ」って理解する。


ピースの集まりが何を表してるのか分かるけど、この集まりがどの集まりに繋がってるのかは見えない。 見えたら次の段階。

この雲はあの雲の横にある。この窓はあの位置にある。どの仕事がどの仕事に繋がってるのか見える。


やがて、空全体が見えるようになり、海も家もどんな形か見えてくる。そして、空と海と家が繋がり、一つの絵が完成する。そうやって、仕事が理解できる。どのピースがどの位置にあるかパッと分かる。


全体が見えて、初めて一人前だ。


ピースは無限かよって思うほどたくさんある。

毎日、新しいピースが額縁に投入される。毎日、必死で組み立てて、仕事を理解する。

場合によっては、組み立てたピースをバラすことだってある。間違って理解してることもたくさんある。


逃げるのは簡単。パズルを放りなげればいいだけだから。完全に「やるか、やらないか」の世界。「やらない」の選択はパズルを放棄すること。相手にされない。下手したらクビだ。結構厳しいよな(笑)


改めて、社会人の経験をしてる時間は貴重だなって思う。将来カフェを経営するのに、すごい強い味方になる。 フリーターとか学生の甘いノリじゃ経営なんて無理だろうな。


さあ、これからは大変だな。この状況を楽しまないと。年末に仕事の振り返りを書こう。

テレビの画面に「パンダがいるシーン」が映っているとする。


快晴の広い草原で蝶とじゃれあってる。風になびく毛。綺麗な白と黒のコントラスト。パンダが持つ、かわいらしいという一般的イメージ。


大抵の人は、「このパンダ、抱きしめたらふわふわなんだろーな」って思う。










実際のパンダの毛なんだが、ゴワゴワと硬く、ついでに油っぽい。


初めて聞く人は、「え?そうなんだー」って思う。完全にふわふわなイメージ持ってたから、ほぼ真逆の事実にビックリする。










こういうことはよくある。


つまり、イメージと現実のギャップ。






なんでそんなギャップが生まれるのかって考えると、今まで自分がしてきた経験」を基に、「経験のない対象」へのイメージを確定させてしまうから。










パンダの例だと、今までテレビや本や、人から聞いた話、パンダの毛に類似したもの(他の動物のファー、ぬいぐるみ、似た素材のモノとか)、その他もろもろの経験から総括して、「パンダの毛はふわふわだ」ってイメージを確定する。












服とか食い物とかでも同じ。


分厚いダウンのコートを見たら、「柔らかくて軽そうだな」と思う。ラズベリージャムのかかったケーキを見たら「甘酸っぱい味だろう」って思う。


実際はダウンの中身がだとしても、ラズベリージャムじゃなくて唐辛子のペーストだったとしても。




「過去に見てきたダウンは暖かいんだから、これも暖かい」って具合に、まさか中身が砂や唐辛子だとは考えない。


今までの経験から当然のごとく、「A=B、A=C、よってB=C」って結論を出す。「A(ダウン)=B(今目の前にあるのもダウン)、ダウン=C(柔らかくて暖かい)、目の前にあるダウン=柔らかくて暖かい」って感じで。


頭の中で、未経験の感覚を再現してる。










「そりゃそうだよな」って思う。「A=B、A=C、よってB=C」ってのを日常生活でやんなかったら、マトモに生きてくことなんてできねえ。








さあさあ、無意識のうちに当然の如く行ってる、「経験からイメージを固定化させる」ってこと。


これはいろんな仕事にかなり応用できる。














応用には簡潔に2パターンある。


1つは正攻法。「A=B、A=C、よってB=C」を正しい角度で見据えた展開。広告やディスプレイなんかほとんどこれ。


例えばTVCMしてるってことは、概ね自社の商品なりサービスなりを受けてない人をターゲットにしてるだろう。自社の商品を知らない顧客に好印象を植え付けるには、「商品」と「気持ちいい経験」をリンクさせる。


いかに美味しく見せるか、かっこよく見せるか。それには一般的な経験認識である「美味しい、かっこいい」と「商品」を結びつける内容を広告に盛り込む。












もう一つは「A=B、A=C、よってB=C」を逆手にとる。


さっきのパンダやダウン、ケーキの例みたいな感じ。パンダとかの例は極端で不快なもんだけど。。


とにかく俺はこっちが大事だと考える。「A=B、A=C、よってB=C」ってのは、「先入観や固定観念を形成する一つ前の段階、形成する基になるもの」だと考えられるからだ。




つまり「A=B、A=C、よってB=C」を逆手にとることは、「先入観や固定観念を覆すこと」=「サプライズを生むこと」と考えられる。


サプライズがもたらすインパクトは相当でかい。印象に残る。自分の過去の経験を覆されるんだから。




前の日記にも書いた「ガードレールのイス」ってをまたまた例に出すと、あれは一般的なイスに対するイメージの「A=B、A=C、よってB=C」ではない。


今までの経験からの常識では有り得ないイスなんで、ちょっとビックリする。サプライズ。印象に残る。




印象に残る商品なりサービスを提供するってのは、商売の「始めの一歩」としてかなり重要だと考えてる。






人が持つ「A=B、A=C、よってB=C」の公式を、いかにうまく逆手に利用して、楽しいことを考えることができるか。これに関しては、アイデアは飽和しない。いくらでも可能性あるからな。常識の逆を突くことなんていくらでもできるだろう。


つって、頭の中でいろいろ考えてても、それを表現するのはハンパなく難しい。勉強して洗練させて、カフェにどんどん活かしていかなきゃな☆





POP3





POP2




BOX2




BOX1




カバン男




クワガタ




SURF




例えば、イスについて考えてみる。

「じゃ、今からイスを作ってください」

インテリアメーカー、デザイナー、イス職人。なんでもいいからイスを作る立場の人になりきってみる。

そして、どんなイスを作るのか。頭の中でざっくりイメージしてみる。

家にあるイス、駅にあるイス、学校や職場にあるイス、雑誌に掲載されてたイス、どっかのショップで見たイス・・・。

今頭にあるイスはどんなイスだろうか?

今頭の中にある「イス」のイメージって、脚があって、背もたれがある。もしかしたらアームレストがあるかもしれない。ベンチみたいに長いイスかもしれない。ソファかもしれない・・・。

イスを作れ、と言われたら、そんな一般的なイメージを基にする。

一般的なイメージを基に作られた(またはそうして作られたと思われる)イスは腐るほどある。

その辺にあるイスは大抵「イスの一般的イメージ」から枝分かれしてできたイスのはず。

名作もたくさん存在する。例えばイームズのイスは誰もが知ってるだろうが、もう何十年も人々に愛されてる。これってハンパないことだよな。

何十年も人々から絶大な人気をキープしてる製品ってあんまない。

以上は、イスと聞いて思い浮かぶイメージを基に、頭の中で組み立て直し、新しいイスを作りあげるってプロセス。

そして、ほとんどの人が頭に浮かべるプロセスでもある。

別のプロセスもある。

「イスってそもそもなんなんだ?」ってとこから入る。

真っ先に浮かぶのは、「座るもの」。座るものとしてのイス。

座るもの、として考えると、一般的なイメージの「イス」以外にもいろんなものが浮かぶ。

自分が今まで座ったもの。ガードレール、階段、切り株、膝の上、岩・・・。要は、ちょっとした段差があるものは「イス」としての本質を持っている。ガードレールだって、部屋の中にあれば立派なイスになる。イスの本質としては何の問題も間違いもない。

けど、「イスを作れ」と言われてガードレールを思い浮かべることはない。

他にも、イスと聞いて「待ち合わせ」をイメージする。「会話」をイメージする。昔やった「イスの上に画鋲」のイタズラ、綺麗な女の人が脚を組みかえる瞬間(笑)・・・いろんなイメージをしてみる。

どうだろう、最初に「イスを作れ」と言われてイメージした、「一般的なイス」の形とはかけ離れたものが頭に浮かんでいるのではないか。

俺たちは、先入観や、決め付けや常識で、イメージを固定化してる。「イス」と言われたら、まず最初に誰もがイメージする「イス」の形を考える。そしてそんなイスのイメージをベースに新しいものを考えようとする。

もちろんそれが悪いとは言ってない。けど、固定化されたイメージから新しい発想をしようとしても、幅が広がりにくい。

みんながみんな固定化されたイメージからの発想をしてるから、世の中に新しいものがないような錯覚も生まれる。アイデアの飽和、完全な煮詰まり。

もう一つ、広い遠い視点から物事を見てみると、「なんだ、まだまだ他人がやってないことなんて腐るほどあるじゃん」って気付く。

何か新しいものを考えるとき、広い遠い視点で考えてみる。


手っ取り早いのは、「そもそも~」とか「何で?」ってのを投げかけ続けること。

例えばイスなら、「そもそも~」とか言ってる間に、一般的なイスの概念が分解されて、本質が見えてくる。本質が見えたら、「イス」として組み立て直す。組み立てた結果が「ガードレール」だったとしたら、他の人が思いつかなかった、新しいイスが生まれたことになる。

ガードレールってイスは冗談で、優れたデザインでもないし、売れるわけがないけど、発想の基本は間違ってないと思う。

同じように、「冷蔵庫を作ってください」と言われたら、今度はどう考えるか。

最近の冷蔵庫みたいに、野菜室が広い、製氷機付き、小さく見えてしっかり入るとか。


アイデアは飽和してる。


実に狭い範囲で新しい冷蔵庫が作られているか、実感できると思う。既存の冷蔵庫にいかに素晴らしい機能をくっつけるか、に終始してる。

「まだまだいろんな冷蔵庫の可能性あんじゃん!」って思わないかな。

そうして生まれたアイデアが、既存の冷蔵庫を上回るようだったら、もう大富豪です(笑)天才としてもてはやされる。でもそんな簡単なもんじゃねえけど(笑)

イスでも冷蔵庫でも、既存のイメージ、形から新しいデザインを考えようとするけど、そもそも「既存の形」最上の形なのかな。

もちろん最上の形であるものも多数ある。同じくらい、最上の形でないものも存在してるはず。

既存の形に挑むのは勇気がいるし、最高に難しいことだけど。

定番や常識を崩すってのは難しすぎる。一般の消費者が認めてくれない。仮にガードレールや切り株が最高に優れた製品でも、人はそれをイスとは認めない。それが一番難しい。自分だけじゃなく、何千万人もの人の頭ん中の常識を崩さなきゃならない。

でも、ほとんどの人の盲点になってること、当たり前にやってること、無意識に考えてること。まだまだそこに付け込んで新しいモノを生み出すことはできる。世の中は盲点にあふれてる。チャンスは限りない。

経験とセンスを磨けば、チャンスをものにできる可能性はどんどん高くなると思う。

イスや冷蔵庫の例も、ITだろうと商社だろうとカフェだろうと、何にでも活かせると思う。

自分が常識にハマっちゃいけない。

一昨日、かなり久々にに行ってきた。

いろんな事情があって、サーフボードとウェットスーツが預けたまんま戻ってこねえ。。

改めて海入ってない日計算すると、2ヶ月以上になる。9月はノーサーフ。。

さすがにここまでのブランクはまずいんで、ボード&ウェットレンタル。

4000円もふんだくられて、代わりにワックスもロクに塗られてないボードと、サイズの合わないウェット。

テンションあがらねえけど。

それでも、海入るとやっぱり違う。

波のサイズは小さいけど乗れないわけじゃなかったし、水は意外に暖かい。人もそんなにいない。

2ヶ月のブランクはやべえかな、って思ったけど、想像以上に楽に慣れた。

逆に期間空いたことで、自分の悪いとこ冷静に見れた感じもあるし。

何より自然と遊べたってのがでかい。

海に入った瞬間に自分と波だけの遊び。

波を見て、感じの良いサイズに乗って、一緒に岸まで走ってく。

波を待ってる間に見上げる空は果てしない。東京みたいな、ビルに遮られた空じゃない。何もない。空しかねえ。

自然と直に触れ合う遊びってあんまないんじゃないかな。

海入ると大抵のトラブルは自分の中でリセットされる。

よく、海とか空とか見てると、「自分ってちっぽけだなー」って言うけど、そんなレベルじゃない。圧倒的な自然に飲み込まれる。ハンパない。

とりあえず、レンタルでもスクールでもなんでもいいから、一回サーフィンしてみるのを勧めるな☆「自然って、すげえー!」ってなるよ☆



で、話変わるけど。

前回『水のプラネタリウム』作る、とかほざいといて失敗しました。。

頑張ってプロトタイプまでは作ったんだがなー。


電線と電球とソケット。スイッチとコンセントの部品買って、スイッチ式の簡易型電灯を作る。

小学生の時やった理科の実験は、ここで使えた(笑)


上面がオープンな木のBOXに電灯をセット。

透明な容器に水入れて、スイッチ入れれば、水面がゆらゆら、天井いっぱいに反射して海底にいる気分を味わえるってのが理想。


安易すぎたな・・。



まずは光量が足りねえ。全然反射しねえ。

反射の問題は光源を変えることでなんとかなるにしても、水面がコンスタントに揺れ続けることはない。

またまたここで理科の授業思い出す。「空気の暖かい方に、冷たい空気が動き、風が吹く」。

そっか。あったかい水いれりゃいいじゃん、って思ったら、容器が雲った。当たり前か。。



かあー駄目だな。水面がずっとゆらゆらし続けるシステム考えねえと。電気使うのは面倒だから、アナログで上手いこと出来ねえかな。。


とりあえず、『水のプラネタリウム』は一時凍結





せっかく電灯まで作ったんだから、それ使ってなんか面白いもん作ろうってことで。


電球のガラス部分を溶かしてみた。

灯ロウ2


灯ロウ



実際は、電球表面にをぶっかけて、溶けた雰囲気を作ったってとこ。


でも、見れば分かるがきたねえ。

2、3回実験しないと、溶けた雰囲気は作れねえな。


蝋も、そのへんの製品じゃ融点低いから厳しい。融点70度くらいのハードなの見っけてコーティングしたけど、やっぱり多少溶けるな。点けっぱなしは危険すぎる。


もっとハードなの見つけるか、何かしらの物質混ぜて融点高くするか。


すぐにはできねえな。これも一時凍結

ただ、蝋を使って何か作るってのはいろいろ応用ききそうかな。





久々にラクガキ。


ユニオンスクエア1


ユニオンスクエア2


KAGAMI


キーボード


柳


PRESENT


ハッピーサークル


COIN



今って、「きれいな水」が当然のものってなってきてるよな。

もはやミネラルウォーターは当たり前だし、簡単な浄水器なんて100均でも売ってる。水道水で作ったコーヒーが飲めない人もいる。


汚染が進行するほど、きれいな水がもてはやされる。環境破壊と環境保護は同じベクトルを描いて成長する。

そのうち日本にはまっさらにきれいな水と、とことん汚い水しかなくなるんじゃないか。


最近生まれた子供は、インドに海外旅行なんていけねえな。インドの水飲んで腹をこわすだけ、ってレベルじゃ済まないかも。

「環境保護」って言葉が浸透するほど、日本はどんどん不衛生への耐性を失くしていくんじゃねえか。

滅菌シートにくるまれた社会に慣れたら、シートの外には出られない。


でも、不衛生に虚弱な社会では医学も発展してくんだろうな。




まあ、それはともかく。

今は「エコ」や「ロハス」って言葉にあやかって、水がスポットライトを浴びている。

ちょっと前に原宿・青山あたりで、ウォータープラネット(だっけ?)っていうプロジェクトがあった。街中に水補給スポットが設置されてて、自前の水筒に水補充して、エコに貢献しよう、とかいうやつ。

水をテーマにしたイベントや製品はたくさん出てきてるよな。





ってことで、水をテーマにしてなんか作ろうかなって思った。

水たまりの鏡


MIZUKAGAMI2 MIZUKAGAMI4

家の中で、鏡がある場所って主にどこだろう、って考えた。

洗面所、トイレ、バスルーム、部屋・・・。主に水を使う場所


鏡を使うときはどんなシーンか考える。

化粧等を含む、身だしなみのチェック。自動車のバックミラーみたいに、見えない場所の確認。

うーん、室内で使うっていったら、身だしなみチェックが主流だよな。


水を使う場所にあり、主にチェックを目的として使用する。

チェックとは、準備である。化粧したり寝癖チェックしたりって、寝る前にはやんないよな。

鏡をフルに使う時間は、朝が多いんじゃないか。朝は準備の時間。


鏡を使う時間帯は朝が主だとする。

で、気持ちいい朝、ってのをイメージすると、さわやかさ、清潔さ、心地よさ、透明さ、光、青空、小鳥・・・そんな単語が思い浮かぶな。


それで、「鏡を使う場所=水があるとこが多い」「使用目的=チェック・準備=朝に鏡を使う」

ってのを踏まえて、鏡を見直してみたら、「水たまり」ってのがしっくりきた。

「水を使う」ってことにおいてはリンクしてるし、「雨上がりの水たまり」ってのは「朝」が持つさわやかなイメージにもマッチする。



調べてみると、「水」って昔はマジに鏡として使われてた。

「水鏡」って言葉があるけど、世界共通で鏡としての水はあった。自然の鏡。






で、この鏡なんだけど、中心を除く鏡全体に緩やかなカーブをかけた。


MIZUKAGAMI3


ゆらゆら揺れてる水面を表現。

でも、それじゃ一般的な鏡の機能は持たないから、正面から見るとまっすぐに対象を反射するように設計。


また、淵の部分に丸みを持たせることで、表面張力を表現。

壁に水たまりがくっ付いてるみたいに見えたらいいなって思った。



MIZUKAGAMI5 MIZUKAGAMI1


なんでこんなん作ったかってのは、基本的には趣味でしかないんだけど、

将来的にカフェで使いたいからってのがある。


カフェ入ったお客さんが、トイレ行って、ふと鏡をみると水たまりみたいな形をしてる。

そこで、少しでも「面白いな」って思ってもらいたい。


将来経営したいカフェは、こんな「ちょっとしたイタズラ・サプライズ的なもの」をいたるところに仕掛けたい。

ちょっと前にブログでも書いた「偶然のサプライズ」を意図的に仕掛ける。


来店のたびに、ちょっとしたサプライズを発見できる店を作れたら最高だな☆これが理想。


次は、部屋の中に「水のプラネタリウム」を作る予定。部屋がまるで水の底にあるような、そんな仕掛けなんてできるかな。

鎌倉・材木座。21:25。


海辺へ通う路地。

静寂。

微かな波音と、遠くのほうで車が通り過ぎる音、足元のビーチサンダルがすれる音。秋の虫の演奏。

静寂。

家の灯りと、街灯が照らす道。


少し肌寒い海風。秋の匂いの風。


目の前を車が通り過ぎる。排気ガスの匂い。134をまたいで越えて、広がる材木座海岸。

強い波音。


ビーチへ下る階段。海の香り。


さらさらした砂浜。素足の指に心地よい冷たさ。

近くの海のバーから零れる灯り。ゆるいサーフミュージック遠くのざわめき、女の子の笑い声


微かに潮の香りがする、強いオンショアの海風。はっきりと見える、黒い海に立つ白波。


目の前に広がる、果てしない海。繰り返す波音。


冷えたビールのタブを開ける。「プシュッ」と気持ちいい音。吹き出す泡。苦味。

食道を通って胃の中へ冷たいアルコールが落ちる。

すきっ腹に小さく火がともる。



封を切り立てのメルメンのBOX。タバコに火をつける。フィルターを焦がすジリジリとした音。

一瞬で潮風にまかれる煙。


冷えたビールとメンソール。


海水で湿った渚。貝殻と流木と、ペットボトルとタバコの吸殻が転がってるビーチ。

強い海風が絶え間なく吹き寄せる。



いろいろ考えてみる。

1ヶ月前。1週間前。一昨日。今日のニュース。明日の予定。3年後。10年後の未来。

上を見上げると、妨げるものは全くない。

圧倒的な夜空。


高く薄くかかる雲。流れる雲。合間から除く星。霞む山吹色の下弦の月。秋の夜空。


砂浜の向こう、稲村ガ崎まで続く街灯の流れ。バーとレストランの灯り。後ろに黒くそびえる山。


夏の終わり。

至福のラグジュアリー☆


あー、やっぱいいな。鎌倉★

最高だぜ。

有り得ねえ、秋の海も最高だなー。







『デザインが世界を救う』

なんて言ったら、「こいつ何言ってんだ?」って思うでしょ。


でも、そんなことをすっげえマジメな顔して熱く語ってる人たちがいる。

先週、トークイベントに行ってきた。

場所は銀座のアップルストア

あそこは毎週、とにかくクオリティの高いアーティストを招いたライブ、トークショーやらのイベントを無料で提供してる。


俺が見に行ったワケは「世界がどーのこーの」ってのじゃなく、単に好きなデザインショップのオーナーが参加するから行ってみるか、って、ただそれだけ。軽い動機だっただけに、結構刺激受けちまった。。。






グッドデザイン賞ってのは、誰もが聞いたことあるはず。受賞してるプロダクトには”Gマーク”がついてる。

今年も来週から、ビッグサイトでGデザイン賞のプレゼンやってる。

ちっちゃな製品から、エアコン、バイクまで、幅広く賞が与えられてるわけだけど。


「糖尿病患者用の注射針」



これが05年のGデザイン大賞


どこがデザインなんだ、って話だけど。形が洗練されてるとか、持っててカッコいいだとか、もちろんそんなんじゃない。


糖尿病の患者さんは、血糖値抑えるためにインスリン注射を打たなければならない。それも自己注射。で、それがすっげえ痛い。

痛いわけは、針の太さにある。「細くすりゃいいじゃん」って話なら誰も悩まない。細くするほど、薬液の抵抗が増して、自己注射が難しくなる。

でも痛いもんは痛い。でも細くできない。しかし痛い・・・・いや、でも・・・


ってなジレンマがあったんだけど、前回大賞の注射針は、その問題を見事に解決した。細くて痛くない針を開発。

「技術革新」だな。

ってことで大賞を受賞。



Gデザイン賞を運営してる団体の中でも、かなり議論があったらしいけど。

だって、「デザイン」と呼べるのか微妙だ。


「デザイン」って聞いて皆が思い浮かべるイメージを超えちゃった気がする。


デザインとはオシャレな形を施す、とかいう時代は終わり。

医療の分野にまで「デザイン」が使われるようになったけど、これからはもっと、デザインの定義は広くなる

ってな話をイベントで聞いたわけ。


実際その通りだと思う。超共感する。過去の日記にも「デザインの定義が変わってきてる」ってなこと書いてたと思う。




デザインの定義が広がってるっていう例はもっとある。


アフリカの貧しい子供にPCを、ってことで、100$のPCが発売された。

PCに自転車のペダルみたいなハンドルがついてて、それを回すことで充電可能。電力供給が厳しい社会のためのPC。

将来第二のゲイツがアフリカから誕生するかもしんない。



海外のアイスクリームを作ってるメーカーでは、「うちの商品を食べれば食べるほど、熱帯雨林が復活する」ってコピーでアイスを販売してた。

ナッツ入りのアイスなんだけど、裸にされた熱帯雨林にナッツの木を植えて、採れた実を商品に使ってるわけ。

アイスの売り上げの一部は、ナッツの木を育てることや、新たに苗木を植えることに回される。

結果、アイスを食えば食うほど熱帯雨林再生のサイクルに繋がることになる。


ちょっと前はやった「ホワイトバンド」もそうだな。

バンドの売り上げの一部は、様々な支援活動に使われてる。




これらは全部、「デザイン」っていうカテゴリーに入ってる。

なんでなのって、具体的な理由はよくわからんけど。いろいろと背景があるはず。


社会が商品に機能的価値・経済的価値を求めてた時代がシフトしたってのは第一。

モノがいいとか安いだけじゃなく、形の美しさ、かっこよさとかいう情緒的価値を製品に求め出した。今はある程度、情緒的価値は浸透し、社会に役立つか、自然に優しいか、ってなとこにシフトしてる。


10年後はデザインされた商品が当たり前になってるかもしれない。今は100円均一ショップでさえデザインを取り入れている。ダイソーとかすごいよ。

しかしまだまだ、デザインされたもの・されてないものって垣根はある。

垣根があるってことはデザインされたかされないかで差別化できるってこと。

とりあえずデザインを謳えば消費者の気持ちが自分の商品に向くってのもある。だからいろんな分野でこぞって「デザイン」が叫ばれる。

政府やNPOだってデザインだデザインだってうるさいじゃん。


また、デザインは枯渇しないってのもあるはず。100人いれば100人分のデザインがうまれる。アイデアだからな。

次々にデザインが生まれるから古くもならないし。


要するに「ただのエコカー」よりも「デザインされたエコカー」が売れるってことだ。自然に優しい、ロハスがいい、って流れと、デザインで差別化できるって流れがフュージョン。

企業の好感度UP・社会的価値の向上にも、ボランティアに人を引き込みたいツールとしても、「デザイン」って言葉を使うのは手っ取り早い。まだまだデザインって言葉で差別化できるから。


以上は勝手な予想だけど。デザインって言葉はフレキシブルだし、常に新鮮な価値を与えてくれる。そんな背景があって「デザイン」の定義はより広いステージにシフトされてると思う。



そういう流れが日本社会にも浸透しつつあるってのは感覚として分かる。

顕著な証拠が去年のGデザイン大賞だと思う。


最近デザイン関連の番組や雑誌が大量に増えてる。その理由は、やっぱりいろんな分野にデザインのストリームが広がってるからだろな。


俺はもっともっと広い分野までデザインって言葉が使われてくと思うな。

結果的にNPOやら医療やらで「デザイン」って言葉がスタンダードになって、世界をいい方向に導く手助けになると考えてる。

もちろん、商業的にも「デザイン」は不可欠になる。「デザイン」なしの企業は置いてかれるだろな。

それだけ「デザイン」って言葉が柔軟に使用できるってこと。今の社会で使いやすい単語だってこと。


「デザインが世界を救う」ってこと、有り得るかもな★

やっぱり空気が違う。

澄んでるわけでも、吸っててうまいわけでもない。

でもこの空気の感じで安心するし、和むな。地元と離れて暮らしてる人は分かるかもしんない。


金曜に早速休暇とって、今日までの4連休。で、久々に地元・愛知。

4日間はグダグダしてた。完全に学生時代に戻ったな、こりゃ。

基本は飲んで、寝て昼に起きる。一人でも家で缶ビールを空けてる。

26時間テレビをみつつ、『日本沈没』と『GTO』を読破。

名古屋まで出てブラブラして、N.HOLLYWOODのTシャツ(セールで4000円)と、なつかしの「オクトパスアーミー」でサングラス(2000円)買った。実家のPC用にウイルス対策ソフトも買った。突然大雨に降られたり、行きたかった店がなくなってたりした。

夜は、集中力切れるまで、今やってるデザインについて固めてた。

地元も少しずつ変わってた。コンビニがなくなってた。あちこちにビルができてた。同じ数だけ空き地も増えてた。アジア系の外国人と何人かすれ違った。

深夜になると麒麟のビール飲みながら、タバコ吸ってた。

夜はほんとに静かなんだよなー。山の中にいるみたい。無音。どこまでいっても静か。

明日から仕事なんて考えられねえや。

けど、もう休暇も終わりなんだよな。長かったぜ。

金曜の夜は、高校の同級生とオールで飲んでた。

話してみると何にも変わっちゃいない。高校生のまんまだ。

もちろん、環境は変わって、経験も増えて、成長はしてんだけど。

みんな就職してるし、結婚したコもいる。行方くらましたヤツもいる。高校卒業して、それぞれのステージでがんばってる。

でも、変わんないものは変わらないよなー。話しててほんとに違和感がなかったし。

卒業から5年経ってるんだよな。

18歳の頃に、23の自分が何やってるかなんて考えられなかった。


18歳の夏。今頃は、夏休み間近で浮かれてた。でもそろそろ受験勉強しなかん、ってので少しずつ憂鬱になってた。

文化祭の計画なんかも考えてた。映画作ったんだよなー。ただ最初は、女子はみんなで「壁画」を作りたい、男子はみんなで「映画」だ!って意見が真っ二つで。

じゃあ、みんなで作った壁画が盗まれるってストーリーで映画作ったらいいじゃんって言い出して、受験勉強ほったらかしで、最強の文化祭にしてやろうって燃えてた。

将来の夢なんて、具体的なものは一切なかったな。絵描きか、検事か、マスコミ関係か・・。検事は『HERO』が流行ってたから(笑)マスコミってのも、好きな絵につながりそうな業界だからかな。

大学なんて、どこでもよかった。けど、とにかく東京に出たかった。

東京には田舎にはない刺激やいろんな人にあふれてる。上京すりゃいろんな可能性が見つかるって思ってた。

とにかく、何も考えてなくて、楽しけりゃいいや、ってノリ☆

東京でれば、なんか見つかるって思ってたけど、実際どーだろ。

いろいろ見つかったけど、それは愛知にいても見つけられるものだったかもしれないし。

まあでも東京に出て間違いはなかったな、って思うなー。

5年経って、23歳の夏。今は薄汚い会社でサラリーマンやってる。

ギリギリで、マスコミ業界かもしれん。けど、絵とか関係ないし。本当のやりがいとか、楽しさなんてねえ。

18の自分が見たら失望すんじゃねえか??

絵を描くのは続けてるけど、新しくバイクとサーフィンってのが趣味に加わった。しかも鎌倉なんかに住んでる。

で、将来はカフェをやるなんて言ってる。



5年はでかい。変わるな。周りの全部が。どんどん変化してく。

かぁーっ、わかんねえな。5年後は28か。28歳の夏、何やってるんだろな。


高校時代と明確に違うのは、5年後の計画があること。

簡単に書けば、「会社辞めて、専門に通いながら、カフェのためにがんばってる」。

高校生から今までの5年間は、流れに流されてた感はある。特にでかい目標や夢なんてなかったし、あっても漠然としてた。

今度の5年間は違うぜー。5年後の到達点があるから、そのために流れを作らなかん。

どんな計画立てても、どーにでも変わるだろな。



とにかく、なりたくない大人にはならないようにしてえ。

仕事に慣れてルーチンになって。年相応のポジションに就いて、家と車と子供が大事で。週末には飲み会やゴルフやらで。サーフィンや絵やらバイクなんかは、ささやかな趣味として続けてて。

高校の同輩と飲みながら、「若いころは無謀で馬鹿なことばっか考えてたなー」って笑ってる。


これはこれで悪くない人生かもしれん。むしろ安定してて、すげえいい暮らしではある。けど、夢を諦めて、悟っちまってる感がありまくる。

それじゃどっかで後悔すんだよな、絶対。70歳くらいになって、年齢的にどうしようもなくなったときに、泣いてそうだ。後悔の涙。


失敗しても迷惑かけても、でかいことしないと。金は儲からねえだろうし、どうしようもない失敗するかもしれん。でも、ビビッてたり周りを気にしてたりしたら何もできない。

一回切りの人生だし、30歳でもまだまだ若い。いくらでもやり直しがきく。

安定した生活なんて、まだいらねえ。生涯サラリーマンだ!って、今から安定生活の準備しなくてもいい。


冒険しないとな。5年後どう変わってるかはしらんけど☆

今日、電車内の壁にラクガキを見つけた。

03で始まる電話番号と、『ヨロシク~☆』の言葉が彫り込まれていた。都会の寂れた公衆トイレにあるような、田舎の地下道にあるような、ラクガキ。

誰だよ、しょーもねえ。って思った。でも「しょーもねえ」で終わるんじゃなく、どんな状況でどんな考えがあってどんなノリでこれが書かれたのか、考えてみる。

時間帯は始発か終電。とにかく、人があんまいない時間だろう。文字を彫っていることから、きっと鍵か硬貨使って、壁削ったんだろう。

多分、酒が入ってた。学生かフリーターかが、3人くらい。酔った勢いで『ぎゃははー』って笑いながら、小馬鹿にしてる連れの番号か、風俗店の番号を彫った。

周りの乗客は「うるせえガキ共だ」ってイラつきながらも、見て見ぬ振り。

そんな場面を思い浮かべた。

もちろん、色白のひょろいガキが彫ったかもしれないし、会社帰りのサラリーマンが、憂さ晴らしで嫌いな上司の番号を彫ったかもしれない。イタズラ好きの小学生がやったかもしれないし、すっげえキレイな女の人がやったかもしれない。

CM、雑誌広告、Tシャツや、身の回りにある様々な商品。どんな考えで、どんなコンセプトで、どんな状況でこれらが作られたのか、考える。

家電量販店で売ってた扇風機はなんでこんな形なんだろう。今日見た缶ビールのポスターはなんでこんなレイアウトなんだろう。タバコのパッケージを見て、冷蔵庫の形を見て、考える。

それらのものって、作者の狙いや、商品の利便性とか、何かしらの考えが絶対ある。なんの考えもなしに出来上がるわけがない。

なんで?って詰めていくと、作者の「意図」や、ある商品がその形になった「理由」を想像することができる。

もちろん、自分で考えてたどり着いた「意図」ってのは、実際の意図と全くかけ離れているかもしれない。

それは大して重要じゃねえ。自分で考えて、納得した答えってのが重要。

大事って思うわけは、考えて出した答えに、自分のクセや経験が詰まってると思うから。

上のラクガキの例でも、俺と全く同じ場面を思い浮かべる人はいないはず。

扇風機も、缶ビールのポスターも、タバコのパッケージも、冷蔵庫も、その単語を聞いて思い浮かべるイメージは俺とは違うはず。

明確な正解があることって、同時に個性的なものを消してると思う。

例えば1+1=2ってのは、100万人いたら、100万人が同じ答えを出す。「2」に至るプロセスも、きっと全く同じだろう。プロセスも正解も同じってのはなんの面白味も個性もないじゃん。

「正解」って、ときに「他の大勢の人がやってること、考えてること」と同義になると思う。

1+1が2にならない人は、ちょっと不安になる。自分だけが間違ってると思うから。まあ1+1に関しては2にならなきゃ明らかに間違ってるんだけど(笑)

周りの多くの人と違うファッションをしてる、ある議題について一人だけ違う意見を持ってる、みんな行きたい観光地に自分は行きたくない。要は多数決で一人だけ反対意見を出してると不安になるわけ。

不安になる必要は全然ない。人と違うのは当たり前。正解なんて存在しない。誰かがやってることに対して、誰も馬鹿にすることはできない。

そこにはしっかりした考えや事情があるわけで、何を言われようと自信を持てばいい。

世間一般にくくられるのは、ある意味、安心感はあるけど、きっとつまんねえ。つまんねえ人生だよ。

世間とどれだけズレようが、自分の考え、個性を出し切って生きてくのが、一番幸せだと思う。