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CAFE‐HOME MEMO

コーヒーとデザインと思ったことについて書き留めておくアイデア帳

このブログ、一応「アート」のカテゴリに入っていながら、最近全然アートっぽくないな。

でも、日々コツコツといろんなデザインプロダクトを作成しまくってます。
記念すべき(?)170回目のブログ。今回は一挙ご紹介☆
(THE自己満。寒くなった人はスルーしてください)


①年賀状2008
フライト・タグをイメージ。2008年へ向けてぶっ飛びましょう、という気持ちを込めて(微妙)。
年賀状上部は、左右の端と真ん中の丸、それぞれ白い部分は、切り取れるようになってる。

年賀状2008

②時計
この時計は、分針(青丸)と時針(緑丸)が「宙に浮いてる」ようにみせかけることを狙った。白い壁に合わせて、真っ白い本体、真っ白い針を制作。
けど、うまくいかないもんで、針の「影」が壁や本体にうつっちゃって、浮いてる感はなし。針の太さ(強度)の選択も難しかった。
暗いところで目を細めると、きっと浮いて見える(はず)。

ホワイト・クロック

ホワイト・クロック2

③万年カレンダー
これはうまくできた。その分、時間と手間がかかったけど。
全ての数字、月が書かれている部分がポケットになっている。ポケットが最大のポイント。
カードの入れ替えで曜日や月を示すことができる(青カードが土曜、赤カードが日曜&祝日、上部の黒カードは当月)。ちなみに写真は今年の4月時点。
ポケットをつけることで、チケットやメモ紙を入れたり、記念日に花を入れたりといった、紙のカレンダーではできない新しいコミュニケーションが可能となる。
これはカフェでバリバリ使う予定で、イベントのある日のポケットに告知チラシを入れるなどして、使用する。

カレンダー2

カレンダー1

④一輪挿し
これもうまくいった。今までにない一輪挿しの花瓶を作りたかった。制作費700円の超リーズナブルプロダクト。
高さが1メートル、幅が最大4センチ(下の台の部分)。花を生ける部分は8ミリ!どんな場所にでも置けるのが特徴。
花瓶に高さを加えることで、シャープな印象を与える。

一輪挿し2

一輪挿し1

⑤ライト
このライト、電球に封筒を被せただけ。
一瞬で完成する。とにかく、この封筒から漏れる光が絶妙。封筒の代替で、いい紙はないかといろいろ試してみたけど、色の出方といい、光の透過具合といい、封筒が一番。新しい発見でした。

ライト(封筒)2

ライト(封筒)1

⑥レザー・オブジェ
これは失敗
人の肌を押したときのような柔らかい素材(固めのスポンジ)に、レザーを貼付けた。
「動物の毛皮を被せた直方体が壁に掛かってる。直方体=人工的な加工物=固いという先入観。しかし、触ってみると本当に動物に触ったときみたいな柔らかさがあって気持ち悪い」という感覚を与えるのが狙い(分かりづらいな)。
しかし、完成品はただのソファの一部を切り取ったような味気ないものになった。

レザー・オブジェ

⑦輪郭をなくしたオブジェ
このオブジェは、極力「モノの輪郭をなくす」ことに主眼を置いて、実験的に作成。
それぞれのモノの淵の部分や、モノとモノが重なる部分に紙粘土を塗り、輪郭をぼかした
輪郭は確かに若干なくなったようだが、なくして何になるかといえば、別に何にもならない。。

シェイド2

シェイド1

⑧地球の形のオブジェ
地球は丸い。けど、四角でも地球である。このオブジェをみて地球だと思わない人はいない。
何をもって地球を地球だと認識するかは、要はこのオブジェに貼付けた衛星写真である。衛星写真が貼付けてあれば、どんな形でも地球だと認識するだろう。
世の中のあらゆる物事をみるとき、何をもってAをAととらえているか。Aの本質とは何か。こんな風に実験すれば、ちょっと分かってくる。


アース1

アース2

⑨ペン立て
このペン立ては木をイメージしてる。鉛筆を指すと、木の枝が生えているように見える。
そして、しばらく鉛筆を使い続けると、枝が短くなる
鉛筆を使う=木を使う、ってのをダイレクトにヴィジュアル化してみた実験的なプロダクト。つーか鉛筆って最近使わないな。

ペン立て1

ペン立て2

⑩出入国スタンプ
日本人用の出入国スタンプをリデザイン。なんでこんなもん作ったかは、いろんな事情がある。。
パスポートをみると、現在のデザインも出国は四角、帰国は丸である。
このデザインをちょっと変えてみたら、日本国旗になる。
出国時には四角スタンプのみ押される。帰国時に丸スタンプを押され、日本国旗が出来上がってることに気付いたとき、ちょっとした『!』が生まれる。この『!』が狙い。

出入国スタンプ2

出入国スタンプ4

出入国スタンプ3

出入国スタンプ1

⑪本棚
本棚作るのは4回目。
壁に板をくっつけただけのシンプルなプロダクト。とにかく余計なものをとっぱらってシンプルにしたかった。
けど、シンプルにすると問題がみえてくる。要は、本の重量に板が耐えきれなくて、壁から落ちてしまう
従来の本棚の形状は、本の重量を分散させる意味を持っている。
だけど、工夫をすれば問題は解決する。重力と本の重さがもたらす力の働きを考えて、シンプルというコンセプトを崩さずに板を取り付けた。と、大げさに書いたが、単純に板を目立たないように補強しただけ。。。

ブック・シェルフ2

⑫外から続く植物のインテリア
ついさっき完成したばかり。できたてほやほや。
家の中というのは、家の外と切り離されているのは当然だが、最近の家の中はキレイすぎる印象がある。つまり外と切り離しすぎて、人工的なキレイさがプンプンしている。
観葉植物なんかも、キレイにまとまりすぎてるので、観葉植物を「自然」とは感じない
もっと外にある自然と、家の中との距離を近づけるようなプロダクトを作ってみようと思った。
これは、まるで家の中に草が生えているような印象を与える。けど、一枚板を隔てることによりインテリアとして認識させるに充分な印象も同時に与える。
インテリアとしてキレイだけど、自然をより身近に感じられる、なかなかうまくできたプロダクト。

グラス1

グラス2

グラス3
そろそろ俺らも一発、日本制覇しちゃいますか

というわけで、富士山に登ってきました。
5合目の休憩所の張り紙には、登山シーズンの7、8月で約30万人が訪れるとか。つーと1日平均5000人
富士山登るって、俺的にはすごいイメージあったけど、結構ポピュラーなんだな。


登山当日。その日は朝4時半起きというハードさにも関わらず、下痢ピー祭りが体内で開催されていた。
駅のトイレにこもりながら、マジでドタキャンを検討するくらい。
正露丸を規定の2倍服用し、無理矢理ケツにガードをかけて電車に乗り込んだ。

新宿から富士山5合目までバスが通っている。到着してからはしばらく1人。残りのメンツは愛知から参加。
昼飯を食って、一服して、着替えて、一服して、トイレ行って(有料1回50円)、乱立する土産物屋を3周じっくりとまわったところで、ようやく連れが到着した。たっぷり3時間は待った。待ち過ぎて登山前にもう疲れてた。

なんだかんだで15時半に5合目出発。目的地は8合目の山小屋。夜の早い時間に山小屋に着いて、深夜に再出発して、山頂で日の出を見るプランだ。
5合目ですでに標高2000メートルを突破している。雲と同じくらいの高さだ。ちょっと肌寒い。気圧の影響で、コーラなんかは100回振ったあとみたいに勢い良く吹き出る。そんな場所。

6合目までは、なんてことないハイキングコースだ。木が茂ってる森の中を通り抜ける。虫がたくさんいるし、鳥の泣き声も聞こえる。
しばらくすると道が開ける。視界には土と岩で覆われた富士の斜面が広がる。
左手の麓のほうから右手の山頂方面に向かって、風に乗って雲がコースを吹き抜ける。
気持ちの良いハイキング。

富士山14

富士山1

富士山2

富士山3

6合目を過ぎたあたりで、ようやく登山っぽいコースに変わる。急な斜面がひたすら続く。道は非常に歩きにくい。砂浜に大小さまざま石をたっぷりまぶして、勾配を急にしたイメージだ。火山灰と溶岩の噴出で形成された石で埋もれてる。
周りの人は大体ストックを持ってる。自前の登山用ストックか、金剛杖って名前で土産物屋で1000円で売ってる木の棒だ。
100%必要ないし、きっと登山コースに捨ててあるからそれを「有効活用」すれば問題ないと思って買わなかったけど、下山のときに必要性を痛感する。とりあえず登ってる間はいらない。

登山客は3割ほどが外国人。英語、中国語、韓国語、様々な国の言葉が飛び交う。
中でも異様だったのが、3人組の中国人。男はTシャツにジーンズにスニーカー。女2人がスカートにヴィトンのバッグにミュールという凄まじい格好で頑張って登っていた。完全に「近くまで来たからついでに登ろうか」的なノリである。

7合目近くから岩場コースが出現する。これは楽しい。ガキのころ遊んだアスレチックを思い出す。30~45度くらいの勾配の岩をどんどん登っていく。ただ、余裕かましてスイスイいくと、立ちくらみを起こす。標高はすでに3000メートル近く。町は雲の下に隠れてみえない。一面雲海が広がってる。当然酸素濃度が低い。高山病を起こさないように、休憩をはさんで体を慣らしながら進む。
このあたりの景色は、ほとんどが土と岩だけだ。植物も繁殖できないくらいの高度と火山灰土壌。富士の斜面が殺風景なだけ、空と雲がつくる景色が余計に見応えあるものにしてる。

富士山4

富士山6

富士山7

登ってるうちにだんだんと日が沈んできた。太陽がつくるグラデーションはホントきれい。
どんな解像度の高いディスプレイでもこの色は出せない。ディスプレイには所詮奥行きがない。空の色には、自然にしか作れない色の奥行きがある。飛行機からみた夕焼けもキレイだったけど、遮るものがない場所で見る夕焼けには圧倒的な迫力がある。
日本一大きな「影」といわれる、富士山の影が雲海に写っているのも見れた。

富士山8

富士山5

山小屋に到着したのは、20時頃。4時間半、ひたすら登ってた。
もう日が沈んで、あたりは真っ暗。空気が澄んでるし、距離も近いから、満天の星空が見えるって聞いたけど、実際はそうでもなかった。月が明るすぎ。もうちょい新月に近かったらキレイだったかも。

富士山11

雲海の隙間から、かすかに町の灯りが見える。パンパンと乾いた音がして、米粒ほどの花火がみえた。
吐く息は白い。登ってる間は暖まってたけど、立ち止まると震えるくらい。下界は25度くらいあるんだろーけど。
このあたりはトイレが一回100~200円。飯も飲み物も、下界の2~3倍は当たり前。水も電気も通ってないし、輸送手段も人力だろう。
とにかく、くたくたにはなったけど、楽しく登れた。山小屋に入って、24時に起きる予定だ。登山の前半戦はなんの問題もない。富士山を舐めてたわけじゃないけど、「なんだ、こんなもんか」っていう余裕がでた。
後半戦から、一気に状況が悪くなる。



目覚ましの音で、目を覚ます。時間は24時ちょうど。うまく寝れなかった。頭がガンガンする。頭蓋骨の内側から金槌で叩かれてるみたい。
そういえば下痢は治ってたけど、これだけ頭痛いとは。
高山病かと思ったけど、高山病ってのは普通登ってる途中で発症するものだろう。寝てる間になるものなんかな。
「擦りむいたときの消毒用」という名目でもってきたウイスキーを飲んでたからかもしれない。頭いたくなるほどの量じゃないけど、場所が場所だけに酒のまわりが早いのかもしれない。もしくは寝不足と疲れからかもしれない。
高山病かどうかは判断できなかったけど、とりあえず山頂に向かって進む。

外気温は山小屋に入る前と比べものにならないくらい下がってた。ダウンが必要だぜ、こりゃ。マジで真冬
深夜の登山は通常ライトが必須だけど、月が明るいのと、登山客が多いのとで、手ぶらでも十分いけた。それにしても頭が痛い。症状は悪化しないけど、元からかなりの痛みがあったから、いずれにしてもかなりキツイ。

寝不足も手伝って朦朧としたところで、狛犬が見え、次いで鳥居を確認した。鳥居を抜けたらもう山頂だった。上を見上げても空しかなかった。
山頂までは、あっけない。もうちょっと劇的な感じを期待してたけど、よく分からないまま、気がついたら到着してた。

富士山12

時刻は2時を回ったところ。日の出は4時半ってことだ。とりあえず東の位置を確認し、場所取りをしたらやることがなくなった。あと2時間半、ひたすら待ちである。
とにかく寒さが異常。5枚着込んだ上にカッパを羽織っても、震えが止まらねえ。ついでに頭がいてえ。寝て待てばいいや、なんて思ってたけど、寝たら確実に凍死する。

他の登山客はワイワイ会話してて気楽なもんだったけど、俺らは(ってか俺が)そうはいかない。
頭痛がひどくて起き上がるのさえ苦痛だった。なにもしない2時間半ってのはほんとに長い。マジで修行。そういえばあの3人組の中国人もここに来てるんだろか。来てたら絶対死んでるな。半袖だったし。

地獄の2時間半は忘れない。
そして、ついに空に赤みがさしてきた。
ご来光である。
雲に隠れて微妙な感じかな、と思ったけど、その雲と空気の絶妙な具合で、虹の環を纏った太陽が登ってきた。
このときばかりは寒さも頭痛もふっとんだ。
7色のオーラを宿した太陽が雲海に登る姿は、本当に神秘的な光景だった。

富士山15

富士山9

富士山13

日の光で気持ち的に寒さがちょっと和らぐ。温かい豚汁を飲んで、下山だ。お鉢巡りとかいうコースがあったけど、一瞬で却下した。このくそ寒くて頭ガンガンな状況で山頂を巡る選択肢なんか存在しない。
1秒でも早く下界に戻ろう。

下山のコースはつまらないコース。ほんとにつまらない絵で表そうとすれば、富士山の山頂から麓に向かって波線を描けばいい。その波線のコース上は風景も道の具合も一向に変化しない。とにかく変化のない道を下るだけである。

富士山10

ただ、その道が意外とキツイ。登りと同じく、砂浜に石をまぶしたような急勾配で、とにかく滑る。何度も滑りそうになり、女の子やじいちゃんばあちゃんなんかは実際にコケてた。

そして、滑らないように気を遣って歩くから、膝に負担が集中する。ここで、杖があったら楽だなって実感した。そして当初の予想を裏切り、杖が捨ててあることはなかった
富士山は、ゴミのポイ捨てにシンガポール並みの神経をつかっていて、罰金こそとらないが、ゴミの持ち帰りには相当な注意を呼びかけていたのである。
更に、砂埃がひどい。大勢の下山客が滑りつつ下る。火山灰があたり一面に舞う。鼻と口はタオルで防げるけど、目に入ってくる砂はどうしようもない。サングラスとか、目を覆うグッズが必要。

しばらく下ったところで、頭の痛みが良くならないことに気付いた。高山病であれば高度を下げれば治るはずだ。結局は酒のせいだったのかな。登山の注意事項の一つに「酒は飲むな」ってのがあったけど、こういうことか。
途中、休憩がてら休んだら楽になってきた。下山を重ねるごとに、寒さなんて嘘みたい。半袖でいける。
ここでも昼間の中国人を思い出した。サンダルじゃ下山は無理だろ。フル装備の人だって辛そうだったんだから。
それか山頂まで行かないで帰ったのかな。

そして無事に最初の地、5合目に到着。感想としては、「良かったけど、2度目はないな」だ。一回は行っといたほうが楽しいけど、何回もいくもんじゃない。もうへとへと。
今回のメンツには女の子もいたけど、全然余裕で登ってた。他のツアー客には年寄りもいたし。
富士登山のハードルはそんなに高いわけじゃない。高かったら一日5000人も登らないよな。

というわけで、富士山登ったことのない人は、一回はおすすめします。
うまくいけば今回みたいな、虹のご来光を拝めるかもしれない。

太陽は、西からのぼります

いま真顔で、そうブッぱなしたヤツがいたらどう思う?
やんわりと「いや、東だよ」と言ってやるか、それとも「おまえは何歳だ、アホか」とバカにするか、いっしょになってボケてやるか。


俺は「少なくとも、それは間違ってはいない」って思う。

そもそも、なぜ太陽は東からのぼるのか。たいした理由じゃない。
太陽がのぼる方角を、ただ「東」って名付けただけだ。別に「西」って名前がついててもいいじゃん。
ほんと、たいした理由じゃない。


日本の南の国、オーストラリアでは、上下逆さまな世界地図がある。つまり北半球が下で、南半球が上にある。
冗談で作られた土産物って話だけど、発想が素晴らしい。
ネットで探すと画像が見られる。ただ逆にしただけなのに、全く別な世界の地図をみてるみたい。

大体、宇宙には上下左右がなくて、地球はまんまるなんだから、上とか下とか考えるのが変だ。
この地図をみて違和感をもつ俺らは、どれだけ固定観念だとか、先入観だとかにしばられてんだろな。



麻薬を持ってて死刑になる国もあれば、殺人しまくっても死刑にならない死刑廃止国もある(そいつはいずれ、誰かに殺されるだろうけど)。

日本だって戦時中は殺せば殺すほど褒められた。
大体、いま生きてる人は殺人者の子孫である。過去のあらゆる戦で生き残った人間が繁栄してるわけだし。悪い人らは淘汰されないんだな。



こうやって、いろいろと考えると、確かなものなんてない。
国が違ったり、時代が違ったり、それだけで価値観なんて180度変わる。
丸一日飛行機にでも乗ってれば、自分とは違いすぎる価値観がうじゃうじゃしてる国まで行ける。

確かなものなんてない、ってのは、すげえチャンスでもある。
価値観だとか常識だとかに潜んでる曖昧な部分ー例えば、世界地図は北が上だという常識なんかーに気付いちゃえば、びっくりするくらい新しくて面白いモノがうまれる。

それは使いようによってはビジネスにだって、もちろん応用できるだろうな。
なんか面白いことできないかな。2008年。

カベカケカビン1


カベカケカビン2


水たまりのカガミ


イシケシ
こないだ。
会社の健康診断のときだった。
身長と体重の測定が終わって、血圧を測った。
腕に巻いた測定器が萎んで、結果を表示する端末に数値が表示される。

それを見て、看護士のおばちゃんが顔をしかめた。

うお、またかよ。
去年の健康診断では、この年齢にしては血圧が異常に高いという理由で、3回測り直しをくらった。
原因は分かってる。タバコだ。
それも健康診断の2分前にタバコ吸って、ちょっと小走りした後に血圧を測ったもんだから、バカみたいな値を記録。

今年は、1年前の教訓を踏まえて、タバコ吸って10分ほど時間を置いて、ゆっくり来たんだけど。
甘かったか。

めんどくせえ、って思う俺とは裏腹に、おばちゃんが笑顔でこう言った。
「いや、素晴らしい!100点満点の血圧だね!」
超意外な結果だ。

血圧は130-70あたりが理想と言われていて、俺の結果は132-68だった。
おばちゃんは嬉しそう。

確かに、うちの会社は若い人間が少ない上に、酒飲みが多い。ここんとこ理想と大幅にずれた高血圧ばかり見て来たようだ。

そんな中で、もろにピンポイントな数字に出会ったときは嬉しいだろう。
なんか分かるぜ。
日常でも似たようなことが起こると嬉しいもんだ。

「こんなことはカフェでも使えるなー」と、健康診断が終わったあと、頭ん中にメモった。
ついでに、タバコ吸っても10分経てば、血圧は正常値を記録するってことも…。

カフェで応用するには、看護士のおばちゃんの体験を、日常生活に置き換えて、広く一般化する。
そして、それをこっそり意図的に仕掛ける。
言うのは簡単だけど、ハンパなく難しそう。でも、ヒントはもらった。




話変わって、健康診断があった週の金曜日。

この日は、「いかに効率的に仕事を終わらして早く会社を出るか」、それだけしか頭になかった。
目標は18時。
全ての仕事に細かく優先順位をつけ、来週でもかまわないものは一切手を付けない。
突発的に入る仕事は、悪いけど、なるべく人に回す。
自分じゃなくてもなんとかなる用件は、基本的に誰かにお願いをする。

とにかく、超ハイスピードで仕事を終わらし、18時10分には会社を出た。

ギリ間に合いそう。
目的地は銀座のソニービル
7月27日は、「Sony Design×Master Craft Lombardia」という展示の最終日だった。
19時にクローズいたします、とか言いやがるので、どうしても18時には会社から飛び出したかったわけ。
結局迷ったせいで、見る時間は10分もなかったけど。それでもすげえ刺激を受けた。

今年の4月のイタリア。
ミラノ・サローネ期間中行われた、ソニーデザインとイタリアの伝統職人のコラボプロダクトを公開した展示。
これが日本にやってきた。

ソニーのデザインはパンチが効いてないというか、ビビってくるものがないから興味はなかったけど、この展示作品は一味ちがう。
外見的なデザインはやっぱり何か足りないし、出発点や方向性もちょっと違うけど、結果として展開された形には完全にK.O。
インスパイアされまくりでした。


さて、「スピーカー」と聞いて思い浮かべるのは何だろう。

真っ先に思い浮かぶのはボックス型。リビングやカラオケやステージなんかにあるやつ。
あとは、天井に埋め込まれてたり、ホームシアターでみるような細長い形をしたあれ。
結局、見た瞬間「ああ、これはスピーカーだね」って形をしてるものだ。

それが今回のソニーのデザインでは違う。
例えば、大理石でできたでかい「額縁」が展示してあった。
美術館にあるような大きさ。絵は入ってなくて、額縁だけが展示スペースにどーんと置いてあった。

近づくと音楽が聞こえる。まさかな、と思ったけど、やっぱりその「額縁」が音を奏でてた。
額縁の内枠と外枠にスピーカーが埋め込まれている。近くでよく見ないと分からない。

別の場所ではバーカウンターが展示してあった。これもまた素材の大半が大理石。
大理石ってとこにインパクトはあるけど、形は一般的なカウンターだ。

やっぱり音楽がどこかで鳴ってて、予想通りカウンターからだ。
でもカウンターのどこだよ、と思ってチェックしまくると、なんとカウンターテーブルのサイド、脚の部分が全面スピーカーになってる。
パッと見じゃ全然わかんない。まるでクイズにでも参加してるみたいな気分だった。

この展示では10点ほどのプロトタイプが展示されていて、その多くは音響システムだったけど、ただの一つも「いわゆるスピーカー」な形をとってる作品はなかった。
すごい不思議で、非日常感たっぷり。
ああ、これはいろんなことに応用できるなーって思った。

俺がこの展示で感銘を受けたのは、この非日常感がもたらすサプライズ

ただ、ソニーは別に非日常を演出するために作品を作ったんじゃない。上記の出発点や方向性が違うって思った理由だ。
ソニーは、「モダンなインテリアに調和するデザインを」という出発点からこのプロジェクトを始めた。要は、「調和」というキーワードからのデザインだ。
だから、「調和」のキーワードのもとにデザインは方向付けをされていく。
大理石なんかが作品の主な素材として選ばれたのは、「モダンなインテリア」に調和するからだろう。
「非日常」って言葉とはほど遠い。
ただ、結果として展開されたデザインが、こんなサプライズ溢れるものだった、というわけ。

額縁はともかく、音を奏でるバーカウンターを店舗に組み込むのは現実的でもある。
それに、ソニービルで見たデザインを、単純に「什器やインテリアにスピーカーを埋め込むだけ」ととらえれば、コストをそんなにかけずに、今回体験したような「ちょっとした、非日常的なおもしろさ」を簡単に演出できる。
明日ハンズで材料買って…ってのも余裕で可能。

先の健康診断にしても、ソニーにしても、日常の平凡な流れや常識の枠からちょっと飛び出たものに出会うと、なんか嬉しい。

カフェに限らずいろんなとこで、このちょっとした嬉しさを演出してえなあ。
最初に断っとくけど、汚いトピックから話を始める。



最近、バキュームカーが市街地を走っているのを発見した。

バキュームカーってのは、簡潔に言うなら、汲み取り式便所、いわゆる「ぼっとん便所」専用の自動車である。
「ぼっとん」された「ブツ」を回収してまわるという、ある意味で高尚な使命を持っている。

「バキューム」という勢いの良い名称と、車にホースとタンクを搭載している点から、どういうプロセスで「ブツ」を汲み取るのか、容易に想像できる。


そんな「高尚な使命」「仕事の分かりやすさ」により、バキュームカーは俺が小学生のころに大ブレイクしていた。
「世界で一番ファンキーな車」としてもてはやされ、ちっちゃい子らが喜んでやまない、類を見ないお笑いマシンだった。

しかし、「水洗式」という業界の革命が起きてからは、日本中のトイレというトイレが水洗式にシフトし、バキュームカーは姿を見なくなった。

今や、水洗式の和式トイレでさえ、ちょっとした珍しい感を持ってしまう時代だ。
現代の子供にとっては、到底理解しがたい、わけのわからない車だろう。残念な話である。
確かに、「あの」匂いをバラ撒きながら、公道を走り回る車が日常的に存在するという状況は、現代ではシュールすぎる。


「水洗式」革命の威力はハンパなく、汲み取り式便所とともにバキュームカーも淘汰され、国民の日常や意識までも変革する、大規模なパラダイムシフトだった。

だから、俺がこの前バキュームカーを発見したという事実は、シーラカンスと戯れるくらいレアな体験だった。
ちょっとした喜びを覚えたくらいだ。


まあ、以上は単純にバキュームカーについて話したかっただけで、重要ではない。


本当に話したいことは、「トイレ」の形からスタートする。


日本のトイレは、主に水洗式の和式か洋式だ。例外として、上記の「ぼっとん式の汲み取り型」がある。
トイレと言われて思い浮かべるのは和式か洋式か、例外的にぼっとん式だ。
これはもはや、日本に住んでいる人間として当たり前のことである。
ここで、「俺はいつも、地面に穴を掘って、ひねり込むんだ」とかいうヤツがいれば、そいつは重度に頭がイカれてるので、一生友達にはなれない。



ただ、トイレを地球レベルで考えてみるとしよう。

世界中のトイレを見てみると、今俺らにとって当たり前であるトイレの形なんて少ないだろう。
水洗式なんてもっての他だ。
むしろ、「地面に穴を掘って、ひねり込む」という方式がメジャーかもしれない。

次に、服を地球レベルで考えてみる。

俺らが今着てるTシャツは、肌触りの良い上等な布地が、文字通りTの形をとり、着る人のサイズに合わせて丁寧に仕立て上げられている。
これはもはや、常識だ、当たり前だとかの問題にすらならないほど、当然の事実である。
ここで、「あたしは、シャツなんて着ないんだ。反物を体に巻き付けてれば冬を越せるの」とかいう女の子がいれば、やっぱり重度に頭がイカれてるけど、個人的に友達にはなりたいし、ちょっとドキドキする。

ドキドキしつつも、服を地球レベルでみると、シャツなんてものを着ている人間の方が少ないだろう。布が当たり前のように存在する日常が、非日常である地域も数多くある。




これらは、先進国が持つマイノリティの一面だ。


トイレや服に限らず、先進国での常識はマイノリティであることが多いと思う。
そもそも先進国のほうが少ないんだから、それは当然とも言える。
だが、これはちょっと怖いことだ。何事においても、ある集団が異常な力を持ってしまうと、全てはその集団内のみで完結してしまう。
先進国においては、”先進国”という狭い空間の中でのみ発展してしまっている。

そうなるとどうなるか。単純に視野が狭くなる。
実際、俺たちが先進国以外の国について関心を持つのは、旅行くらいじゃないか。旅行のツアーも組まれないような小さな国々にいたっては、一生国名すら知らないだろう。
ましてや、それらの国のトイレや衣服の形態について考えることなんて、まずあり得ない。
旅行以外のことは、すべて自国で解決してしまう。まわりの小さい国に目を向ける必要がない。

そしたら、新しいことが生まれにくい。


日本を離れて、地球レベルに視点を移せば、面白いものがいっぱいある。
そしてその中には、先進国の人間が”先進国”という狭い枠組みの中で当たり前、常識、当然だって思っているもモノに、強烈なパンチを与えるアイデアや工夫が施されたモノがあるかもしれない。少なくとも、新しいアイデアのきっかけになるものはいくつも発見できそうだ。
「こんな考え方があったんだ」「あのやり方は思ってもみなかった」と衝撃を受けるに違いない。



世界をもっと知りたいな。
世界中を知った上で、やっぱりマイノリティの方法が一番だって思えるまでは、先進国の常識には疑問を持っていたい。

そんなスタンスでカフェのあれこれを考えていきたい。

何か行動を起こす場合には、目指すべき「理想」があるはずだ。

あの社長のように起業したい。あの選手のプレーがしたい。あのモデルのファッションを真似たい。
理想は、ある意味でゴールである。もちろん同時に通過点でもあるんだけど。




俺には「目指すべき理想の店」がある。
というわけで、目指すべき「理想のカフェ」ってのを何回かに分けて書いていく。




#1「内装における、ヴィジュアル面や雰囲気作りの工夫を真似したい店」

インテリアや什器や小物。そういった視覚的、雰囲気的なサービスの工夫に惹き付けられた店がある。
応用したい手法が詰まった店だ。



そのカフェは、俺が今住んでる鎌倉にあったりする。



鎌倉駅東口を出て、小町通りを進み、最初の十字路で左に曲がると、カフェがある。
「cafe vivement dimanche(カフェ・ヴィヴモン・ディモンシュ)」という名前の店だ。

まさに灯台下暗しと言った具合で、このカフェは業界では一目置かれてるとかいうレベルではなく、日本にカフェ文化を取り入れ、カフェブームを作り、今至る所にあるカフェの憧れになっているらしい、パイオニア的でカリスマ的な「すごい」カフェだとか。

小町通りは、いつもバカみたいに人でごった返しているけど、通りと垂直に交わる路地はそうでもない。
いくつかの路地は、観光のための店よりも、地元民のための店が多い。
というわけで、メインストリートを外れれば、休日だって結構落ち着いていたりする。
立地はいい感じだ。




ドアを開け店内に入ると、いろんな工夫があちこちに散らばっている。

テーブルや椅子はいわゆるミッドセンチュリーとかの家具ではなく、ブランド家具では「HIDA」に近い。
職人の手作りといった具合で、優しいペールな色合いの木のテーブルや椅子である。
そんなインテリアの脇には子供用の木製スツールがあり、荷物を置けるようになっている。荷物を置く場所、ってのは意外にカフェにない(ってか飲食店って荷物置きがほどんどない)から、嬉しい。


オフホワイトの壁にかかってるものは、デザイン系のポスターだったり、柔らかい雰囲気のアートだったり、行くたびに違う

ペーパーナプキンや、砂糖の包み紙には店のロゴがプリントしてある。これは「groovisions」のデザインだ。
この店のデザインの多くは「groovisions」という、ビームスとか愛知万博のときの映像作品なんかを手がけてる、有名なデザイン集団がプロデュースしてるらしい。


アイスコーヒーを頼めば、昔のコーラのガラスボトルみたいな容器にコーヒーが入れられ、グラスの氷はコーヒーで出来てる。
こんなアイスコーヒーの出され方は見たことない。いちいち手が込んでいて、嬉しい。

テーブルの上には季節に合わせた小物が置かれる。
花だったり、キャンドルだったり。もしかしたら、小物は毎日違うものが置かれてるかもしれない。

小物の脇にはブロシュアが置いてある。店が独自で作った、自分の店のフリーペーパーだ。
そこには、オーナーと仲がいいアーティストの日記みたいなものが書かれている。
この小冊子に店のコンセプトをなんとなく見いだせる。これを読めば、「ああ、こんな店なんだ」って分かる。
マガジンハウスの雑誌をミックスさせたみたいなイメージだ。ブルータスっぽいし、廃刊したリラックスっぽいし、ananみたいでもある。

グラスやカップや灰皿は特に目を引くデザインではないけど、それは正しいと思う。個性的なものばかりだとごちゃごちゃして落ち着かない。
このデザインのデプロイメントのバランスは素晴らしいと思う。

レジ前には洒落たデザインのチラシやパンフレットや小物、フリーペーパーなんかがずらっと並べられている。

カウンターの脇には150センチくらいの人形が置かれている。多分、「groovisions」のキャラクターであるチャッピーだ。さすが「groovisions」とのコラボが多い。
人形の衣装も季節に合わせて違う

店は全体的にきれいとは言えないけど、「味」を出してるとも言える。
トイレも、不思議にいい味が出てる。イベントのチラシや、書籍や雑誌、映画のポスターや、おそらく「groovisions」制作のポスターが飾られている。


客としては、行くたびにいろんな発見があって、飽きがこない。
(以上は、俺が何度か行ってみて感じたまんまを書いてる。実際の店のオペレーションとは違うかもしれない。例えば人形がチャッピーであるとか、小物が毎日違うとか、それについては確証はないです)

このカフェでは、いちいち手がこんでる嬉しい仕掛けを、至る所で発見することができる。これがこの店で得た、俺の目指すべき理想。
それは、俺が是非カフェに組み込みたい「小さなサプライズ」に通じる。ちょっとした、ほんとに些細なことなんだけど、それに出会うと少し嬉しいのだ。

ついついリピーターになってしまいそうなデザインの店だ。


コーヒーの味とかその他のサービスとかには、ちょっと疑問が残った。
コーヒーは少なくとも「うまい」とは思えないし(完全に主観)、接客等のサービスも客に対するフォローが甘いって思う(←何様?)


でも人気なんだよなー。つーか大人気だ。
それはすごいことだ。そもそもコーヒーがまずい(完璧な主観)カフェに人が集まるのは異常とも言える。
カフェとして、別格の雰囲気を放っている。

もしかすると、この店に行くことで、いい車持ったりブランド品買ったりするのと似たような、ある種の優越感的な心境を与えてくれるのかもしれない。

もしも鎌倉に来る機会があったら立ち寄ってみて、店の細やかな”工夫”を見てほしい。
このカフェに行くことで、その一日がいい日だった、って思えるはずだ。

つめが甘いのは、自覚してる自分の弱点の一つ。

趣味でも仕事でも何でもいいけど、失敗したときのことを考えちゃって、100%本気の力を出すのが怖い。
それに、フルパワーを出して何かするのは、どっか面倒くさい
80%くらいで納得する。
楽観的。なんとかなるじゃん、って思う。

そんな気持ちがあるから、本気が出ねえ。

あー。これじゃだめだろー。
全然だめ。

いつからこんな風になったんだろな。でもいつからかなんて、大した問題じゃねえ。
今からどーすっか

なかなか難しい。意思が相当強くないとな。
本気出さざるを得ない状況に置かれると、本気は出せる。
結構ハンパない状況にうんざりしても、終わってみるとなんとかなったり、余裕さえあったりする。そんなもんだ。

だけど、「本気出さなくても別にいいよ」って状況で、わざわざ本気出しにかかるのは、難しい。
ここは意思の問題でしかない。対象に対して、かなり強い想いがなきゃ100%ぶつかっていけない。

確かに、俺が今やってるいろんなことは、必ずしも本気出さなきゃ重大な問題になるってわけじゃない。少なくとも、「今日本気出さなったから、明日はとんでもないことになる」っていることじゃない。
でも、今、中途半端にしてたら、将来とんでもなく後悔しそうだ。

タバコや酒に似てる。今やめなきゃ将来後悔するけど、今日やめなくても明日すぐに後悔することはない。いずれやめればいいや、って思う。



『今、本気出さなくても、明日後悔しないけど、将来的には「なんであんときやらなかったんだ」って悔やむ。』
これって最悪じゃねえか。
時間は想像以上にあっという間にすぎるもんだ。

日々のいろんなことに、どこまで本気出せるか。これが成功と失敗の分かれ目を作る要因の一つだと思う。
がんばってこー!




ミラー

家具2

家具1

F3

F2

F1

サラリーマンになると、1週間が異常に早いスピードで通り抜けていく。季節感も何もない。

毎朝、6時半にはきっちり家を出て、夜は9時過ぎに家に帰る。
昼間は、パソコンと睨み合ったり、打ち合わせしたり、商談したり、タバコ吸ったり、商材をさがしたり。
そんなことの繰り返し。

で、あっという間に2年目突入です。

ほんとにあっという間だったな。あっさりと2年目だ。
学ぶことは確かにたくさんあるし、将来独立するのに必要な知識や経験や勘なんかも、身に付いてきたと思う。
例えば売り上げに対するシビアな考え方や、利益を上げるためにどうするか、効果的に商談するための駆け引きとか。
そして、「仕事」って結局何なんだ?っていう、自分の仕事の意義みたいなもんが分かってきた。

要は学生時代とは根本的に違う価値観なりモノの見方なり考え方なりが、分かってきたってこと。

得たものはやっぱり、専門学校とかバイトなんかじゃ身に付かないと思う。
改めて、サラリーマンやって良かったな、って思う。

で、同時に、やっぱりサラリーマンは向いてないなってことも、確信めいた感じに分かってきた。



仕事の結果は、全て数字で表される。
実績金額と、前年比と、目標比。

例えば、1億円売り上げたとしても、9桁の数値と、パーセンテージだけで表現される。
そこに「仕事をしました」って実感は存在しない。

前年比や目標比を超えたときには「よかったね」と褒められ、足りなかった場合は、「もっと頑張らなきゃだめだ」と叱られる。
もちろん、数字データで表される仕事の評価ってのは、正確で確実で客観的だし、分析するのにも適している。

けど、やっぱりそれはどっか違う気がするんだな。
完全に個人的な問題だけど、「仕事をした実感」があんまりないのは、仕事としてあり得ない。



最終的なお客さんの顔が見えないってことが、あり得ない。
お客さんに直接、「ありがとう」「また来るよ」とか「いいかげんにしろよ」「もう来ない」なんて言われて、それに対して「どういたしまして」「申し訳ございません」と応える。
俺が感じる「仕事をした実感」ってのは、そんなところに見い出せる。お客さんと直接からめる、そんな仕事がしたいんだな。


多くの業界はそうだけど、メーカーがいて、流通がいて、小売りがいて、消費者がいる構造になってる。
出版業界はも同じように、メーカーである出版社と、流通である出版取次商社と、小売りの書店と、読者で成り立ってる。
そして、多くの業界がそうであるように、流通だけは直接的に消費者の顔が見えにくい仕組みになってる。
うーん、微妙な位置にある会社に入ったわけだな。



今の仕事がつまんないって言ってるわけじゃない。全然悪くない。
頑張って企画を立てて、それがいろんなところで売られてるってのは嬉しいもんだ。
そして、自分の企画が、世間のブームを作ったりすれば最高。

けど、仕事の実感がない。微妙で個人的で曖昧な問題だけど、重要なことだ。一生今のような仕事を続ける気にはならないな。


というわけで、就活んときにちらっとやった自己分析では分からなかったけど、俺は客の顔が見える仕事がしたい、って気付いた。
その中で、なんであえてカフェなんだって言われると、まだ明確な答えなんてない。

なんでカフェをやりたいのか、きっぱりした答えを探さないとな。
「なんとなく」っていうような思いで、仕事はしたくないんです。





2tone
fucki'n TV
hikko nekko
斜チハタ
ごくたまに、すげえ不定期に、ハンパなく落ち込むことがある。
落ち込む理由もきっかけも、少なくとも自分が意識してる範囲内にはなさそうだ。突発的に落ち込む。

普段はなるべく楽観的に考えるようにしてるから、不安やら恐怖やらが、短時間で一気に突きつけられてるのかもしれない。

もうこうなったらどうしようもないし、どうにもならない。
とりあえず、海に行ってみることにした。

ちょっと雨が降ってて、街全体がぼんやしとりたもやにつつまれてた。
海は空の色を反射して薄いグレーになっていて、もやのせいで、海と空の境目はあいまいだった。
遠くの岬や船なんかは、宙に浮いてるようにも見える。

海は相変わらず波がなくって、上等な絨毯みたいな重厚感を持って果てしなく広がってた。

一服しながらとりあえず、不安な要素を一つずつ潰しにかかる。
だけどすぐに、結局潰しようがないことに気付いた。

やっぱ不安なのは将来のことなんだな。未来がどうなるか知るツールもなしに、問題を解決なんかできない。

悩んで落ち込んでる暇があったら、まず目先の案件を片付けろってわけだな。今目の前に積まれてるいろんなことは、将来に繋がってるはず。
ちょっと気合いが入った。
今なにもしてないのに、将来を案じるなんて、不毛すぎる。


さてともう一踏ん張りすっかな☆
1ヶ月以上ぶりにブログ書くなあ。
最終更新日は去年かあ。。

今年は、20年くらいに1度の厄年であり、射手座は幸運期であり、さらに細木数子によれば10年に一度くらいの超幸運時代という複雑な年くさい。
面白いよな。一度マジで占い師に見てもらいたくなった。きっと占い結果は突っ込みどころ満載だろう。

そもそも、占い師が、ずっと先の未来が見えて「明日何が起こるか」がわからないことがおかしい。
宝くじに当選するには宝くじを買わなければならない。車で事故を起こすには、車に乗っていなければならない。
占い師が「あなたは1ヶ月後にラッキ-なことが起こります」と行った場合、「ラッキーなことを起こす行動」を俺はとっていなければならない。そして、『「ラッキーなことを起こす行動」をとるための行動』をとる必要もある。
突き詰めてみれば、「1ヶ月後にラッキーなことが起こる」ということが分かってる場合、今この瞬間、俺が何をしているか見えなければならない。
この点について占い師が何かしら否定するものなら、インチキの可能性が非常に高い。

占いなんて、怖い映画をみたあとや肝試しをしたあとに道端で転んで「呪いか、祟られたか」って思うのと同じ。おみくじで大吉がでたあとに、100円玉を拾った場合と同じだ。
すべては捉え方次第。悲しいこともラッキーなことも、毎日腐るほどあるけど、通常は特に意識しない。
「今年は運が良い」と言われれば、必要以上にラッキーに気づく。「厄年」だと言われれば、必要以上に不運に気付く。そんなものだ。
占い師の言葉は、いかに「意識させるか」にある。超能力じゃなくテクニックだ。



だけど、まるっきりくだらない訳ではない。
なんの根拠がなくても、「あんたには近いうちにラッキーなことが起きる」と言われればなんか嬉しい。「面倒なことに巻き込まれる」と言われて、実際に面倒なことが起きたら、自分以外の何かのせいにできる。

ある点では、俺が将来やりたいカフェってのは、占いに似てるかもしれない。
日常生活に実質的な利益をもたらすことはないんだけど、「なんか嬉しいことがあるんじゃないか」って期待させる空間にしたい。
店の中に「ラッキー」って感じる要素をたくさん隠しておく。
例えば、パンとコーヒーを買ったら、会計が777円になるように仕掛けるとか、仕事帰りにカフェ入ったら、えらいかわいい女の子の店員がいるとか(笑)
同時に、むさい男の店員も必要。「はずれじゃん」って思わせることも大切。
このへんはギャンブラー的な心理だな。占いってのも、どっかギャンブルに似てる。
「はずれの可能性もあるけど、もしかしたら今日は当たりかもしれない」って思わせる店にしたい。
誰にでも経験があるはずでしょ。「あそこのコンビニ、今日はかわいい子いるかな」みたいな。

この場合の当たりはずれは、顧客がカフェに入るか入らないかを決定付ける大きな要因でもない。
けど、「コーヒーが飲みたい。この辺りにはたくさんカフェがある。価格もメニューも似たり寄ったりだ。さて、どこいこうかな」って場合には、かわいい子がいる可能性のあるカフェに入る。少なくとも俺はそのカフェを選ぶ(バカ)。

競合の他店にもバレバレな価格競争や広告戦略を仕掛けるよりは、非常に分かりづらいちょっとした心理的な要素を使って差別化したほうがよっぽどいい。
ラッキーな要素を店内に散りばめるのは、そんな差別化の一つのテクニックじゃないかな。
競合店にはもちろん、客にもバレないように、心理テクニックを店にバラまきたい。

さてと今年も派手な一年にしてえな☆