X(旧Twitter)でも投稿したのですが、2026年8月9日の長崎原爆犠牲者慰霊平和祈念式典での、台湾代表に対する対応について、長崎にルーツを持つ身としてどうしてもブログに書き残しておきたいことがあります。
​まずは、こちらの投稿をご覧ください。

 

 



​Xでは語り尽くせなかった、この問題の「本当の背景」と「長崎が背負うべき重い役割」について、少し掘り下げてみたいと思います。
​友だちに、私たちは何を返せるのか
​今年の7月、熊本で大きな地震があった際も、台湾はすぐさま支援の手を差し伸べてくれました。震災や台風のたびに真っ先に助けてくれる、本当にありがたい存在です。
​台湾は2025年の式典に初参加した際、「外交団エリア外」という冷遇を受けながらも、「友」として大人の対応で我慢してくれました。しかし今年は改善されず、ついに「友の過ち」に対して厳しい態度(代表の抗議欠席)を示しました。
​向こうは日本のことを家族や友だちのように見てくれているのに、こちらはそれに全く返せていない状況です。一人の人間として、本当にこれでいいのかと強いモヤモヤを感じています。
​外交問題だからと、国に丸投げしていいのか?
​なぜこんなことが起きるのか。それは、この式典の主催が「国」ではなく、一地方自治体である「長崎市」だからです。正式な国交を持たない台湾を、外交プロトコル(国家間の厳格な儀礼)の中でどう扱うか。これは自治体の手に余る難題であることは理解できます。
​だからといって、「もう長崎市には無理だから、式典の主催を国へ丸投げしてしまえばいい」という声には、私は強く反対します。
​式典の主催を国へ丸投げしてはいけない明確な理由があるからです。
​一地方自治体が持つ、世界で唯一無二の「巨大な発信力」
​そもそも、一地方自治体の市長からの招待状ひとつで、世界中の「大使級(国家代表)」が何十カ国も集まるような式典は、世界中を探しても長崎と広島くらいしかありません。
​例えば、国内の「沖縄全戦没者追悼式」でも、長崎ほどの規模で世界中から大使がこぞって集結することはありません。海外に目を向けてみても同じです。世界初の無差別爆撃を受けたスペインの「ゲルニカ」の追悼式や、ホロコーストの悲劇を伝えるポーランドの「アウシュヴィッツ=ビルケナウ」の記念式典でさえ、一地方都市が単独でこれほど多くの各国の国家代表を呼び寄せるようなことはないのです。
​外交の常識から見れば、自治体が各国の大使を直接呼ぶなんて「あり得ない」こと。それでも彼らが長崎に集まるのは、長崎という街が「核兵器を使われた被爆地」という、世界において圧倒的で特別な権威を持っているからです。
​長崎市は、それほどまでに巨大な「発信力」を持っているのです。
​国ではない「長崎市」だからこそ言えること
​式典を国が主催すれば、台湾の席次問題などの外交摩擦は、外務省のルールの下で無難に処理されるでしょう。しかし同時に、日本という国の「核の傘に頼る安全保障のスタンス」が式典を覆うことになります。
​式典には、実際に核兵器を持っている国の人たちが来ています。国という枠組みを超えて、「核を持っている人たち」が被爆地に集まる。この事実が重要です。
​彼らに対して、国としての建前を抜きにして、被爆地で何が起きたのかを永遠に語り続けること。ただの被害者として悲しむだけでなく、被害を受けたからこそ「あの一発で絶対に終わらせる」という強い意志を突きつけること。
​これこそが、現在の「核抑止」に直接繋がるのではないでしょうか。
​長崎市の役割は、私たちが想像する以上に重いものです。外交の壁が面倒だからと、この語り部としての特権と巨大な発信力を国に渡してしまって本当にいいのか。
​父の代まで大村市で育ったというルーツを持つ身として、長崎市民の皆さんには、私たちが友だちに何を返せるのか、そして被爆地としての重い役割をどう守り抜くのか、真剣に議論してほしいと強く願っています。