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今日の嫌韓・嫌中の極秘・情報と、安倍さん麻生さん応援!

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 おまたせしました。ひさびさ ネットのいい話 9  9はオイチョのカブ


ひさびさ ネットのいい話 9  ◇ 心霊ちょっといい話 ◇ より


8才の娘が、お盆に入ってから「弟が帰って来たんだよ」。。  私にも見えたらいいのになぁ。

541 :本当にあった怖い名無し :04/09/04 09:19 ID:cfHYgB5R


私のばあちゃんの話です。 

ばあちゃんは私を含め孫を本当にかわいがってくれた人でした。 

ばあちゃんが作った和食が嫌で、当時くそガキの私は「こんなんじゃなくてカレーが食べたい」と 

出来上がったばかりの食事を前に言ったことがあります。 

ばあちゃんは何も言わず今作ったばかりの食事を捨て、作ったこともないカレーを懸命に作ってくれました。 

明治生まれのばあちゃんはカレーなど作ったことは無かったのでしょう。 

勝手がわからず作ったであろうカレーは野菜は白菜、肉の変わりにソーセージや竹輪なんかが入っておりました。 

できあがったカレーを見て、子供とはいえ私は悪いと思い、さすがに文句言わずに食べましたね。 

今でもあの時のカレーの味は忘れられません。 

ぼけ始めてからも孫が集まると「内緒でお小遣いをあげるでお菓子買いな」とお金を握らせてくれたばあちゃん。 

(大金は持たせられないからという理由でお金を持っていないはずの祖母が握らせてくれたのは15円でした。) 

いつも孫に優しい、穏やかで、ぼけてからもかわいいばあちゃんでした。 


話がそれてますね、すみません。 

「○○のお嫁さんを見たいねぇ」「曾孫を見たいねぇ」と言っていたばあちゃんは、 

私の嫁さんも、当然曾孫も見ることなく私が高校の時に亡くなりました。 

そして7年の後、私は結婚。 

結婚2年後には子供も生まれ本当に幸せでした。 

が、息子が5歳の時それは突然やってきました。 

「白血病」 

この病気は自覚症状が少なく、まわりから見てもなかなかわかりません。 

その上、調子が悪いから心配だと診て貰った医者では風邪だと診断。 

発見はさらに遅くなり、入院時にはかなり進行した状態でした。 

(型、発病年齢、進行状態等によりリスクが変わり、治療法も異なります) 

自宅からかなり離れた大学病院を紹介され、病室で眠る息子を前に泣きました。 


採血で何回も痛い注射をされ、点滴や心電図用のモニター等いくつもの機械に囲まれながら 

「パパ、大丈夫?」と私を気遣う息子。 

こんなに優しい子がなぜ?という気持ちと、この子を失うかもしれない恐怖の中、私は一晩中泣きました。 

泣きながら願いました。 

神様に、そしてばあちゃんに。 

「ばあちゃん、ばあちゃんの曾孫だよ。お願いだ!まだ連れて行かないでくれ!守ってやってくれ!」 

その日から息子の辛い治療がはじまりました。 

治療を進めていたある日、息子が言いました。 


「もう大丈夫だって言ってたよ。」 

医者は私に決して大丈夫などと言いませんでしたし、治療も先は長いものでしたから不思議に思い、

誰がそういったのか息子に聞くと 

しらないおばあちゃんがベッドにきて「悪いムシムシはいなくなるからね、もう大丈夫。」と言ったとの事。 


妻と私のどちらかが常に息子のそばにいるが、そんな人がきた事はない。 

まして、来たのは面会時間以外のようだ。 

腑に落ちないままになっていたある日、 

またあのおばあちゃんが来たと言う息子。 

今回は私がお茶を買いに出た数分間のことですし、本当におばあさんがいたのなら廊下で必ず私とすれ違うはず。 

実際私は看護士さん以外誰にもすれ違っていません。 

?と思っている私に息子が、 

「○○(私の名前)が心配だって言ってた。ちゃんとご飯食べなきゃって。」 

なぜかはわかりませんが直感的に死んだばあちゃんだと思いました。 

不思議なものでばあちゃんだと確信してしまったのです。 


それ以降、ばあちゃんは息子の前に出てきませんでしたが私はばあちゃんが守ってくれているのだと思い、 

心が少し軽くなった気持ちがしました。 

”ばあちゃん、息子が元気になったら絶対墓参りに行くからな”心の中で思いました。 


息子は退院し、今は小学校にもちゃんといっています。 

この病気は再発は心配ですが、漠然と大丈夫だと思っています。 

そういえば私には霊感など全くありませんが、病院では色々と不思議な話を聞いたり不思議な現象を見たりして驚きました。 

なのに自分のこの事件は全く驚きもせず、不思議にも感じませんでした。 

今思えば不思議ですね。 




510 :本当にあった怖い名無し :04/08/27 12:56 ID:+2EX1C+J


おれにとって、ばーちゃんは『優しさ』の権化みたいな人だった
 

いつもにこにこしてて、言葉を荒げることもなく、本当に穏やかな人で、家族みんなが、 

ばーちゃんのこと、大好きだった。

ばーちゃんは動物にも優しくて、家の周りにある三毛猫がうろつきはじめると、餌づけして、いつの間にか家のネコになってた。
ほどなくして家族にもなついたんだけど、おれや妹が抱き上げて撫でてやっても、機嫌よくはしているんだけど、ノドをゴロゴロと鳴らすことはないくせに、ばーちゃんが視界に入るだけで、その三毛猫はゴロゴロとノドを鳴らしてた。
その様子にいつも可愛がってたおれや妹は憤慨したもんだ。
なんでばーちゃんがいるだけでゴロゴロいいやがるんだ、こいつは(`Д´)と。 
 

三毛猫が二度目の出産をしてしばらくたった頃、
ばーちゃんが入院した。本人には知らせなかったがガンだった。

入院からたったの一ヶ月。ホントにあっとゆー間にばーちゃんは 逝っちゃった。
 

看病している時、一言も『痛い』と言わなかったばーちゃん。末期で凄まじい痛みがある

ハズなのに、顔を見ては『ありがとう』と微笑むばーちゃん。

逝ってしまう1週間くらい前だったかな?珍しくしかめっ面してベッドにいるばーちゃんに『痛いのか?』と聞いたら、小さく頷いた。おれが初めてみたばーちゃんの弱音だった。そんな我慢強い人だった。 
 

死に顔は本当に安らかで、元気だった頃のばーちゃんの穏やかな顔そのもの。遺体を家に連れて帰って、葬儀をすませたその夜、
気がつかない間に、三毛猫は生後二ヶ月の仔猫4匹を連れて家出した。それっきり帰ってこなかった。大好きなばーちゃんがいなくなったのを感じ取ったんだろうか。。。 



あれから9年。ばーちゃんの事を思い出すのも滅多にないよーになってた。
 

先日、ばーちゃんに会わせてあげられなかった嫁が死産した。おれの子供が、嫁のお腹の中で死んでしまってた。前日までお腹蹴ったりしていたのに。母体への影響もあるということで、

嫁は、普通分娩で2日かかって出産してくれた。9ヶ月の男の子だった。体重2600g、身長49cmまでにもなっていたのに、産声を上げることなく出てきた。 

おれも嫁も初めての子だっただけに、どうにも現実とは思えず、放心状態。 
 

息子が出てきてくれた夜、丸二日寝てなかったのに、病院の簡易ベッドということもあり、 なかなか寝つけなかった。うとうとし始めた頃に、夢にばーちゃんが出てきてくれた。 
 

別に何を言うわけでもない。いつもの笑顔でおれを見つめて、ただ2度頷いてくれた。
 

目がさめて、まわりを見渡し、夢であったことを自覚すると、嫁にきづかれないように病室を出て駐車場のクルマまで一目散に行った。そして大泣きした。まさに号泣した。 

ありがとう、ばーちゃん。きっと息子のことはまかせとけって言いにきてくれたんだよね。
 

忙しさにかまけて墓参りもまともに行ってない不幸者なのに、ちゃんと見守ってくれてたんだな。

そう思うと、息子を亡くした悲しさと、ただ自分がつくりあげた妄想かも知れないが、夢にまで出てきてくれたばーちゃんや祖先にたいする感謝が塊となって襲ってきて、大声あげて泣いた。
 

まだ立ち直ったとは言い切れないけれど、おれは嫁と一緒にがんばっていくよ。心配ばっかかけてごめんな、
ばーちゃん。どうかこれからも見守っててください。 
 

そして、おれも嫁も知らない世界へ行った息子の魂を守ってやってください。 

8才で普通に生活出来るけどほんの少し障害のある娘が 
 

お盆に入ってから 
 

「弟が帰って来たんだよ」 
 

としきりに言う。 


このくらいの大きさなの。と自分のアゴの下くらいをさして 
 

「オレンジジュースが好きなんだって」 
 

と笑う。早速お墓と仏壇にオレンジジュースを・・・。 
 


4年前に天国へ旅立ったあの子は男の子だったんだねぇ。 
 

と夫と話して涙が出てしまいました。 
 

「もうすぐ帰っちゃうんだって」 
 

ああ、お盆も終わるんだなぁ。 
 

私にも見えたらいいのになぁ。 
 



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DNAが証明!!今の中国人は昔の中国人の子孫ではない

DNAの比較研究の結果によると、三つの時代の中国人は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。


中国といえば、四千年の歴史という言葉がすぐに修飾語として浮かんでくるほど、

いまどきの日本人は洗脳されているといえます。


しかし、中国は、四千年どころか、かなりその歴史は疑わしいものと断じざるを得ない、

というのが今日のお話です。


平成12(2000)年のことです。


東大の植田信太郎、国立遺伝学研究所の斎藤成也、中国科学院遺伝研究所の王瀝(WANG Li)らが、

中国で発見されている遺骨のDNA分析の結果を発表しました。


調査の対象となったのは、


1、約2500年前の春秋時代の人骨

2 約2000年前の漢代の臨シ

(中国山東省、黄河下流にある春秋戦国時代の斉の都)遺跡から出土した人骨

http://maps.google.com/maps?hl=ja&tab=Tl

3 現代の臨シ住民


です。


これらの人骨から得たミトコンドリアDNAの比較研究の結果によると、


三つの時代の臨シ人類集団は、まったく異なる遺伝的構成を持っていました。



どういうことかというと、約2500年前の春秋戦国時代の臨シ住民の遺伝子は、

現代「ヨーロッパ人」の遺伝子に非常に近い。


約2000年前の前漢末の臨シ住民の遺伝子は、現代の「中央アジアの人々」の遺伝子と非常に近い。


現代の臨シ住民の遺伝子は、現代「東アジア人」の遺伝子と変わらない。


つまり、2500年前の支那大陸で、春秋戦国時代を築いていた集団は、

現代ヨーロッパ人類集団と遺伝的に近縁な人類集団であった、

すなわり、いまの支那人たちとは、まるで異なる集団であったということです。
 



20100306214cina







敵を知り己を知ったニミッツが初めに考えたことは「絶対に負ける」という確信でした。

「勝てるわけがない。では主力部隊はなんのために出てくるのか」

 

ニミッツはスプルアンスを呼んで言います。


「南雲の空母が発見できない場合は犠牲が出てもかまわんから全軍突撃して大和に乗っている山本を殺せ」


ニミッツは役人根性のない日本海軍士官は山本だけだ、と思っていたかのようである。


(他には小沢治三郎と山口多聞を買っていたようです)


このとき、ニミッツはワンサイドゲームの零敗だけを避けたかった。


しかし、ニミッツはやがて、こんなふうに考え出したように見えるのです。
 


思考の焦点にはふたつの事実がある。


「日本海軍はアリューシャン攻略とミッドウェイ攻略というふたつの作戦目的を立てている」


「大和武蔵を中心とした艦隊主力が機動部隊の500キロ後方をついてくる」


日本の本にはよくアリューシャン作戦(AO作戦)はミッドウェイ作戦(AF作戦)の「陽動作戦」であった、と書いてありますが、

AO作戦は陽動作戦の体をなしていません。

 

これに敵がつられて出てくる、というのは相当バカな参謀でも考えるはずがないことです。

では、AO作戦はなんのためにあるか。
 


大和武蔵を中心とした三十隻を越える(!)「主力部隊」は陣容こそものものしいものの、

機動部隊に較べると鈍足な亀足部隊で後で実際にも実証されてしまうように

前方の機動部隊が戦闘を始めても戦闘に加われるわけがない。


では「主力部隊はなんのために出てくるのか」


ニミッツは「ははーん」と思います。また日本人のビョーキが出たな。














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国家ブランドランキング

 South Korea  (^m^*)ぷっ

 

●2009年(世界15位を目標に李明博政権が国家ブランド委員会を設置)


1 United States

 2 Canada

3 Australia

4 New Zealand

5 France

6 Italy

7 Japan

8 UK

9 Germany

10 Spain


★39 South Korea


●2010年(韓流大旋風の1年目の結果はいかに?)


1 Canada

2 Australia

3 New Zealand

4 United States

5 Switzerland

6 Japan

7 France

8 Finland

9 UK

10 Sweden


★44 South Korea


●2011年(そろそろ成果の出る頃ニダが?)


1 Canada

2 Switzerland

3 New Zealand

4 Japan

5 Australia

6 United States

7 Sweden

8 Finland

9 France

10 Ital

★42 South Korea


●2012年(投獄秒読みの李☆自演乙☆明博が指示?)


1 Switzerland

2 Canada

3 Japan

4 Sweden

5 New Zealand

6 Australia

7 Germany

8 United States

9 Finland

10 Norway


★49 South Korea ←←ww 明博在任中最低を記録


これを受け韓国サムスン経済研究所「韓国の国家ブランド力は世界15位」と謎の発表。

4年間の考察と結論 » 銭の無駄。永遠にシンガポール、インド、タイ以下の負け組。


力を入れていたFood項目でもベスト15にも入れずランク外ww


ちなみに日本はFood項目で世界第3位www


 

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シンディ・ローパーと日本

 
シンディ・ローパー

 

シンディー ローパーという米国人歌手がいます。

昭和59(1984)年に、Girls Just Want to Have Fun という曲でブレイクした、
昭和28(1953)年生まれの白人歌手です。


当時MTVという番組で毎日放映されていました。
彼女は、80年代を代表するシンガー・ソングライターです。

過去にグラミー賞、エミー賞などを受賞しており、57歳になった現在も勢力的に活動をしています。


2011年3月4日、アルゼンチンの空港で飛行機の遅延や欠航が相次ぎ、

足止めを食った客らが、空港側に抗議して大騒ぎとなりました。

その場にたまたまシンディ・ローパーが居合わせ、同様にフライト待ちをしていました。

彼女はそこで、怒り狂う客らを落ち着かせるために、ある粋な計らいを行いました。


シンディは、アナウンスのマイクを奪うと、歌い始めました。

歌ったのが、彼女をスターダムに押し上げ、世界的ヒットとなったGirls Just Want to Have Fun です。


突然のライブに、イライラしていた乗客も空港関係者も大喜び。

スーパー・スターの歌声に魅了され、騒ぎは収束しました。

 



そのシンディーも、昔、売れないでどうしようもない時期がありました。


平成元(1989)年、定職もなくブラブラしていた時、

「ミホ」という日本食レストランを経営している鈴木サクエさんという日本人女性と出会い、

「それじゃ駄目だから自分の店で働きなさい」と誘ってもらい

規則正しいきちんとした生活が出来るようになりました。