季節外れの大雨で町が冠水した昨日から一転、今日は雪化粧。
震災発生から4年が経ちました。
4年が経ったいま、“支援”とか“復興”とかという言葉があまりにも日常的になりすぎ、近くに普通に存在する“言葉”となってしまった気がします。
たとえばこれは、
朝、目覚まし時計で目覚め、目玉焼きの朝食を家族と食べ、車に乗って出勤。仕事の後に一杯やって自宅に帰り風呂に入って温かい布団で寝る・・・といった、何事もない日常の生活風景。
4年経った今、“復興”とか“支援”といった言葉に目を向けて欲しいと願うことは、こんな日常の中で言えば、
『目覚まし時計を作ってる発展途上国の現状に目を向けてください!』
『米作の大変さや養鶏場が抱えてる大きな問題にもっと世間は目を向けるべき!』
『車ひとつ見ても、実は鉄工業者の苦労やデザインの苦労、燃料の問題や環境問題、セールスマーケティングの大変さや技術力向上のための苦労・・・数え切れいない人たちの苦労の結晶なんだよ!』
居酒屋の苦労、飲んでしまっても問題ないほどのきれいな風呂水を作り出す苦労、温かい布団を作った人たちや、毛をむしられたガチョウの苦しみ・・・
これらの大変さに目を向けて欲しいと願っているのと同じなのかもしれません。
僕は一昨年、交通事故で友人を亡くし、ほどなくして父親を亡くし、つい先日、弟のように可愛がっていた後輩を事故で亡くしました。
失って初めて気が付くんです。
『当たり前の大切さ』
に。
4年前の今日、東の本大震災の被災者は『当たり前の大切』のほぼ全てが一瞬で奪われました。
そして世の中の人たちは、『当たり前にあった普通の日本の一部』が崩れ去った事に驚愕し、みんなで寄り添ってくれました。
そして4年という時の中で徐々に悲しみや辛さが薄れ新たな一歩を踏み出した人も、いまだに踏み出せないでいる人もそれぞれ沢山おりますが、おそらく両者ともに、
『もうがんばれない・・・』
と、
『いやっ!まだまだ頑張れるっ!』
との二つの思いが周期的に襲い、この波が一日おきであったり、一日に何度の時もあるはず。
『辛い時にはやっぱり誰かに助けて欲しいと思うのは、全くもって悪いことではない・・・けど、これ以上甘えられない・・』
こんな感情の浮き沈みが続く。
けどこの感情の浮き沈みはなにも被災地だけのものではなく、普通の生活にもたくさん埋もれていることなんです。
震災から5年目に入った今日この日、震災を通して改めて気づいたことや、大切な人や思い出など、
『当たり前』
と思っている目の前の全てに、改めて目を向ける日となることを願います。
皆様のその自分の大切なリストの中に、家族や友人の他に、震災で感じたことがあったり、女川の人や物があったりするならば、それこそが本当の“絆”なんじゃないでしょうか。
目をそむけたくなるニュースが溢れています。
目の前にある『当たり前の大切さ』を再認識し、それに感謝して愛情を注ぐといった小さな行動の積み重ねが、より良い世の中づくりにつながっていく・・・そんな気がします。
5年目に入ったいま、我々小さな復興プロジェクトは、
『応援し続けてきて良かったなぁ~~!!』
と思える、明るいニュースをお届けできるよう、スタッフ一同、日々努力してまいりますので、これからも応援いただけますよう、心よりお願い申し上げます!
小さな復興プロジェクト
代表 湯浅輝樹
※昨日の女川駅の写真です。
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