ぼくはずーっと自分の中に生き辛いという感覚があると感じていた。
ぼくは適応障害を発症したのだが、
発症の前後で何かが大きく変わった。
簡単に言うと、無理が利かなくなった。
頑張るとか勝負するとか戦うという感じで事柄に向かうことが出来なくなった。
パニックになったり、体調が崩れたりするのだ。
その影響なのか、仕事のようなことが出来なくなってしまった。
自分が壊れちゃったような気がしていた。
今考えると、それまで感じなかったことをだんだん感じるようになって行ったのはその頃からかも知れない。
それは、身体の不調や天気や景色のようなもの、それから他人の感情。
それは思考最優先だった在り方が、
感覚や感情も大事にする在り方に変わったのだろうと考えていた。
それがこの↓動画を観て、ちょっと見方が変わった。
勝つ、反響がある、儲かる、出来る、分かる、速い、強い、大きい、正しい、明文化などなど。
結果優先主義と言うか、形式重視型というか、体裁や面目を重んじる、
そういう誰にでも分かり易い形を現わすこと、現しているモノが良いとする在り方。
ぼくはこれを「入れ物重視」のように感じる。
この動画ではこういう傾向が男性性の働きと言っていると感じた。
これに対して、具体的な形になる前のモノ、
雰囲気とか、流れ、エネルギー、そういう言葉でこれだ!という形では表現出来ないモノが良いとする在り方。
ぼくはこれを「中身重視」のように感じる。
この動画ではこういう傾向が女性性の働きと言っていると感じた。
男性性が悪くて女性性が良いという話ではない。
バランスの問題だと思う。
ぼくは男性性の働きを極端にもてはやしている気がする。
中身が伴わない、入れ物だけが大きかったり派手だったりする感じだと思う。
自分の中の生き辛さの正体は、そのアンバランスから来ているとも言えると、
上に挙げた動画を観て思った。
食事に例える。
ぼくはズーッと、器が入れ物で料理が中身だと思っていた。
今は、中身は楽しむとか経験するということだと思う。
そう考えると、料理は勿論、食事の場所や時間、参加メンバー、会話の内容なども器ということになる。
じゃあ、中身は何か?
ぼくはその時の雰囲気や感じたこと、思ったことなど表現される以前のモノだと思う。
そう考えたときに、
自分の求めているモノが少し具体的になった気がする。
中身を欲している。
そしてその中身に適した入れ物を欲していると思う。
物質的なモノは全て入れ物だと思う。
出来事やその結果も入れ物だろう。
中身が定まっていないのに、入れ物を作ったり整える作業ばかりしていたのが辛かった気がする。
じゃあ、どういう中身を欲しているのか?と考えるとちょっとワクワクする。