「後悔」というのも考えだと思う。自分がどう思うかで決まるからね。
決断を迫られてるけど正解が分からない、ということがある。
何でなんだろう?ぼくがバカだからだろうか?
と疑問だったが、そうじゃないようだ。
今閃いたけど、正誤や善悪などの判断は外から取り入れた考え方なので、
自分本来のアイデアではないから、完全に修得出来ていないのだろう。
難しいシチュエーションになると判断出来るほど、自分がその考え方「判断」を使いこなしていないのだ。
「判断」というのは後から学んだ技術なので、正しく「判断」するのは難しいと思う。訓練が必要だ。
だから、その修得のレベルによってどれだけ使いこなせるかの個人差があると思う。
ぼくは、後悔するのは、そのことに執着しているからだと思う。
自分が難しい選択を迫られたときに、自信が持てない方法「判断」で決めたときは未練が残るのだろう。
でも、そういう外から取り入れた技術には頼らないと腹を括って、
エイヤッ!と自分の勘や直感や好き嫌いで決めた時の方があまり後悔しない気がするのだ。
それは、その時の自分の状況が分かっていて、その時の自分の最善を尽くしたと思えるからだと思う。
つまり、諦めが付くのだろう。
悪い結果が出た選択をしたとしても、その時自分を許すと言うか諦めると言うか、要は責めないと決めると、
悪かった結果でも、時間はかかるけど受け入れられるようだ。
諦められないというのは、実は自分を責めるための方便だったりするので、
自分を責めないと決めると諦めるしかなくなるということらしい。
そうすると思考が働いて、自分を責めないで済む理由を捻り出して来るから面白い。
これを思考だけでケリを付けようとしても無理だろう。
結局のところ思考はツールでしかないので、
選択肢を考え出すことや結果を推測することは出来ても、何かを決めることは出来ないからだ。
だから、諦めると決めたら、その道筋を付けることは思考に任せられるのだ。
とはいえ、いくら顕在意識で考えても、決めることは出来ないようだ。それには潜在意識の力が必要らしい。