他人のせいにしている内は本当の自分は現れないだろう。
『ああ、この原因で、私はこうなった!!!
だからアイツが悪い!私悪くない!』
こう思うことはよくある。
いつもそう考える人も居るかも知れない。
それは無力感から来ている。
自分を信じていないのだ。
自分は弱く、守ってもらわないと生きて行けない。
守られる必要が有る、守られる権利が有る。
それなのに守ってくれなかった〇〇が悪い…となるのだ。
〇〇は人だったり、事柄だったり、それ以外の何かであるかも知れない。
そして、その〇〇に甘えているとも言える。
全幅の信頼を寄せているとか、負けを認めているととか、崇拝しているとか、愛しているとか、尊敬しているとか、
逆に、軽蔑しているとか、憎悪しているとか、
とにかく自分に多大な影響力を持っているモノだと認めてしまっているのだ。
それは、〇〇に自分をコントロールする権利を譲ってしまっているとも言える。
こういうことを全部引っくるめて該当するのが、
幼少期の大半において何らかの関係性を持って生きて来た間柄である、
両親やそれに相当する関係の人だろう。
そういう人に対して潜在意識から自分が信じ切っている概念は、顕在意識でもなかなか分からないし、
だからこそその概念から生み出される関係性から抜け出すのは難しいと思う。
人生の師であり、神であり、幼少の一時期には、外の世界そのものでもあっただろうから。
仮にその人を親とすると、親は、親である前に、自分と同じ人であり、
その意味で、自分とは同等だと認めることは、いつかは果たさなければいけない一種の人生の通過儀礼だと思う。
そうすることで、その人を許すと言うか、頼るのを止めると言うか、甘えるのを止められるようになる。
そうしないと、親の呪縛から抜け出せないから、本来の自分で生きていけないのだ。
だが、そういう人は実に多い気がする。
ここで言う呪縛とは、親から教え込まれたり、親が信じていることを吸収するという形で取り入れた考えだ。
そういう考えは、幼少の頃は生きるために必要なのだ。
だから、凄い勢いで吸収するのだ。
吸収していることに本人が気づかなくてもそうしてしまう。
そして、吸収した考えは潜在意識で記憶される。
顕在意識では認識されないで、自分に働きかけ続け、呪縛し続けるのだ。
それは
「良い子にしなさい。」
「我慢しなさい。」
「頑張りなさい。」
「好きなことばかりしていてはいけない。」
というような、言葉で伝えられたかも知れないが、
潜在意識では言葉ではなく、概念そのものとして記憶される。
だから、自分で信じていることが分かり難いのだ。
自分の思った通りに生きるよりも、
自分の呪縛の命ずるままに、得な方、正しい方、安全な方にばかり行く生き方をするのは、
奴隷の生き方だと言っても良いと思う。
やりたいことをする。
あるいは、やることを自分で選択出来る。
これが自由に生きているということだと思うからだ。