我慢が美徳の時代は終わった | 自分世界探検家のブログ

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だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

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我慢はもうしたくないな~

全くしない訳にはいかなくても、なるべく我慢はしたくない。

我慢が仏教語、しかも煩悩のひとつだとは知らなかった。
ただし、意味は変わってしまっているようだ。


「我慢する」は、本来「我意を張る」などという強情な心意を意味していたようだ。
それが煩悩だというのは分かる気がする。

最近の意味合いでの「我慢」は、強情というよりはむしろ忍耐に近く、美徳とされている気がする。

しかし、それもどうかな~

ぼくは、自分よりも何か別のモノを優先しているから、我慢することになっている気がする。
それは自分を粗末にしているとも言えるだろう。

そういう意味において、自分に失礼だと感じる。

 

我慢は、心が嫌がっていることを思考が強要するひとつのケースだと思う。

自分との間にも関係性は有ると思っている。
厳密には、主体としての心と、ツールである思考との間の関係性。
それを信頼関係としたいのであれば、思考が心をないがしろにしてはいけないと思う。

何故なら、心が思考を信じなくなるきっかけになり得るので、避けるべきだと感じる。

 

心と思考の間に信頼関係が築けていないから、

我慢することになる、とも言えるだろう。