自我っていうのは、思考で生み出した自分の概念だと思う。
生きていく上で、本来の自分の欲求を分からなくしているのが思考だと分かり、
これを使わないようにすることを目指した時期があった。
しかし、どうしても思考が無いと生きていけないと気付いたけど、
そこからどうしたら良いのかが分からなくなった。
何となくそのまま生活していたが、気付いたら前ほど思考に振り回されなくなっていると気付いた。
これで良いんじゃないかと思った。
それと似たことがこのブログに書かれていると感じた。
思考は結局ツールだということ。
それが潜在意識で知ることが出来れば、
元々主体である心からの欲求よりも思考での判断を優先することは無くなるようだ。
このブログの最初にも書いたけど、自分というのは概念だと思っている。
しかし、その使い手である心が、思考に頼り過ぎるあまり判断を全て任せてしまったので、
心も誰が主体なのかが分からなくなっているのだ。
そして、自分という概念を持ち出して主体として扱うようになったのだと思う。
自意識過剰というのは、この自分という概念を意識し過ぎている状態だと思う。
思考がツールなら、自分という概念もツールの一種ということになる。必要がないときは消える。
それが正しい使い方なんだろう。
そんなツールである自分を大事にし過ぎるのは、
思考が、自分という概念がツールだということを潜在意識から知ってはいないからだろう。
また、恐怖を前提としていることも挙げられる。
恐怖を信じるといいう在り方を選択しているので、
自分も世界も信じられない。
そして、自分という概念を守ろうとして、それが行き過ぎるのだろう。
自意識過剰は勘違いなのだろう。