精神を鍛えさせられるなんて、絶対嫌だ。
ぼくにとっては全く必要無いと思ってる。
隠されていて見えなかった今までと違う面が、
何かのきっかけで表出するというのは有ると思う。
キャラや性格のような表層のモノが全く違ってしまうということ。
ただ、人が変わっちゃうことは無いと思っている。
ぼくが考える人と言うのは、
もっと根源的な、本来のその人みたいな部分。
子どもの頃から変わらない部分が、
人の深層には在ると思っている。
精神を鍛えるって、
辛い状態を経験して強く変わるということだろう。
だから、精神だって鍛えられない。
人はそれぞれみんな違う。
それはそれぞれ役目が有るということだろう。
世界を成り立たせていく為の役目が全員に割り振られているんだと思うのだ。
だから、人にそんなに簡単に変わられたら、おそらく世界が困る。
世界をひとつの生命体に例えると、
それぞれの人は細胞だと思う。
細胞が、期待されてる以外の働きをしたら、
困る、では済まないことになるだろう。
人もそういう感じじゃないかと。
世界も困るだろうけど、
一番困るのはやっぱり自分自身じゃないだろうか。
それぞれの人生には、
それに沿って生きて欲しいという一種のプランのようなモノが在る気がする。
プランに沿って生きていると、人生は順調に進むのだろう。
安楽で良い事ばかり起こるということは無いだろうけど、
辛くても、大変でも状況が変わって行って多くの経験が踏めるよう進んで行くんじゃないかと思う。
しかし、本人の自由意志が最優先されるので、そのプラン通りに生きないことも可能なのだろう。
でも、プランから外れると長過ぎる停滞や同じ状態しか経験しなくなるのではないかと思う。
もしかしたら、変わっちゃう人も稀に居るかも知れないけど、それはそういう経験をするプランなのだろう。
ほとんどの人はたぶん変わらないようになってる。
だから、人が最高に能力を発揮するのに、苦労や苦悩は要らないだろう。
世界がその人にやって欲しいことが有る。
だとしたら、最初からそのやって欲しいことの能力や才能は持ってるはずだと思う。
無いとしても、そのやり方を苦も無くマスター出来るだろう。
ぼくには、残念ながらスイスイ行ったという経験の心当たりは無い。
してないのではなくて、あまりにも自然だったから記憶してないのかも知れない。
単にまだ経験してないのかも知れない。
実体験の記憶は無いけど、そう思えるのだからしょうがない。
あるいは、これを書くことがぼくの役割なのかも。
