アリを目指したキリギリス | 自分世界探検家のブログ

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人はみんな自分の信じていることに基いて、全てを解釈しています。
だから、全ての人がそれぞれ自分の世界に住んでいるとも言えるでしょう。

ぼくはぼくの世界を探検しながら、気付いたことや発見したこと、気になったことなどをここに記録しています。

ぼくも、

「これからも色んな困難が待ち受けてると思うけど、、」

と考えるタイプだった。

 

 

これから大変なことが来ることを前提に生きて行くか?

何かワクワクすることが来ることを前提に生きて行くか?

前者は、自分は限られた存在だという意識がより強い感じがする。

だから、自分がしっかりしなければいけない。

固くカチッとした感じ。

自分の中のモノでやりくりする、みたいなイメージが浮かぶ。

コップに半分水が入っているのを見て、半分しかないと考える姿勢。
アリとキリギリスで言えばアリ。

後者は、あまり自分とか他人とか意識していない感じ。

だから、あまり先のことを考えていない。

フワッと柔らかい感じ。

状況に応じて他人と助け合ったり、独りでやり過ごしたりと、臨機応変に対応する感じ。
コップに半分水が入っているのを見て、まだ半分もあると考える姿勢。

アリとキリギリスで言えばキリギリス。

この違いは、もう在り方から来ていると思う。
全ての考え方、捉え方、意識の向け方に共通するだろう。

 

どこを意識しているか?どこを目指して生きているか?

ぼくはズーッとアリのような在り方が正しい、

そうしないといけないと自分に言い聞かせながら生きて来た。

さんざんその在り方で行こうと思って辛い目に遭って来た。
だから、その在り方は自分には合っていないと思う。
と言うか、人はそういう風には出来ていない様だと、だんだん感じるようになった。

アリのような在り方が悪い、間違っていると言うのではない。
そうしても良いけど、それは険しく辛い道のような気がする。

あえてそんな道を行かなくてもいいのではないか?と思うのだ。

本来、人はキリギリスの在り方で生まれて来る気がする。
だから、アリの在り方は後天的に身に付けるのだろう。


自分を観察していて最近思うのは、ぼくはきっとこの両方の在り方を経験したかったのだろうということ。

でも、最初キリギリスだった頃のことはもうほとんど覚えていない。

だから、これからはキリギリス版の生き方をして行くのかな?と思う。

 

そんなことを考えた後に

この↓ブログを読んだ。

 

ブログに書かれている、

『今のあなたの状態はあなたの価値とは関係のないこと』

とはどういうことか考えてみたい。

あなたの状態とは、実績、能力、評価、評判、社会的地位、健康状態、収入、家族構成、経歴、経済力、そういったモノ、

自分本体ではない属性や付属しているモノ全部を指すと思う。

過去に属する全て。
将来性みたいなことを言い出すと、未来に属するモノも含まれるかも知れない。

あなたの価値とは、あなた本体、本来、そのもの。
現在に属する全て。

そういう風に切り分けられるから、『関係のないこと』と言い切れるのだろう。

アリの在り方はこれを混同していると思う。
と言うよりむしろ、自分の価値よりも自分の状態を重要視している在り方だ。

他人軸だと思う。

キリギリスは混同するとか言うよりも、考えていないだろう。

思考は、過去や時間の中にしか成立しない。

現在に居る人は思考から外れているからだ。

自分軸ということ。

『自分を認めて、自分のペースを尊重している』というのは、

自分を受け入れるとか、自分以外のモノに成ることを諦めるということだと思う。

これが出来ないと、大変な人生に成ると思う。
ぼくを含め、如何に多くの人が大変な人生を選択していることか。

大変な人生を選択する人は、他人にもそうするように強いるだろう。

なぜならそれが正しいことで、それがその人の為だと考えるからだ。

「人の為と言うのは偽モノ」みたいな言葉が有るように、それは本当ではないと思う。

本心でもないだろう。

大変な人生を選択するとき、人は自分を欺いている。

欺いていないとしたら、勘違いをしている。
それを解かずに居ると、自分の本心が分からない。

その状態で他人と接するから、その交流は本心からのモノでは無いという意味で、偽モノになってしまうだろう。

勘違いしていた身としてはそう思うし、
今出来るのは、そのことをここに書き出すことくらいだろう。